樋口メリヤス工業株式会社 / 代表取締役 中江優子 氏
靴下といえば「く」の字に曲がってかかとがあるのが当たり前…そんな常識を覆した靴下が「つつした」です。かかとがなく、まっすぐな「筒」のような形をしたつつしたは、誰にでもフィットする履きやすさが魅力。雑貨店に売り出せば行列ができ、テレビやメディアの取材も殺到する人気商品を考案したのは、枚方市に本社を置く樋口メリヤス工業株式会社7代目代表取締役 中江優子氏です。つつしたが生まれるまでに経験された数々の苦労と困難をお話し戴きました。

「お嬢様」から一転、危機的な状況からスタート
中江氏の祖父が1933年に創業した樋口メリヤス工業は、中江氏で7代目の老舗企業。今まで6代目を名乗っていた中江氏でしたが、最近になって7代目であることが判明したそう。
まずはいきなりなんですが、今までさんざん6代目と公言してましたのが、実は7代目だったんですよ。最近会社の歴史を調べる機会があったので、よくよく調べると「私の父の兄」も社長だった期間があることがわかりました。父の兄が4代目で、父が5代目ですね。そのことは父も知らなかったようです。父の兄は社長に就任して2ヶ月後に亡くなってしまったのですが、「そこは抜けたらだめです」。正しい会社の歴史では「7代目」で認識を新たにと思っています。
中江氏の父が社長だった時期のアパレル業界は、大きな設備投資を基盤とした大量生産が主流でした。量産アパレルメーカーが台頭する時代です。樋口メリヤス工業もそうしたメーカーから生産を受注し、どんどん新しい機械を増やしていきます。設備投資に必要なお金は銀行がどんどん貸してくれるため、会社にお金が溢れている時代だったと中江氏は振り返ります。
この時期は、本当に裕福な生活をさせてもらっていました。父が車を毎年買い換えるもんですから、私は車検のことすら知らなかったくらいです。その分、お金絡みで騙されることも多かったんですけどね。新規の取引先にもかかわらず相手を信用し100万円の売掛金を踏み倒された経験もあって、警察も「ここまで見事に詐欺に引っ掛かるのは珍しい」とも言われました。父も気がいいので、「詐欺に引っ掛けるよりはええわ」と言っていたんですけど。

ただ、中江氏が前夫と結婚した2007年ごろから、会社の先行きが怪しくなり始めます。売上の9割を占める大口の得意先が、倒産してしまったのです。同時にアパレルメーカーの製造拠点が海外へと移っていき、いかに安価に製品を提供するかが重視されるコストカットの時代がやってきました。会社の借金はみるみる膨れ上がり、当時社長を務めていた中江氏の夫は、「工場と家を売ったお金で借金を清算して、一からやり直そう」と、会社の清算を提案します。しかし、中江氏は前夫の意見が腑に落ちませんでした。
父は本当は外交官になりたかったのですが、実家を継いで家族を支えるためにやむなく夢を諦めた過去があります。私もこの仕事が好きだったわけではなくて、正直いやいやだったんです。だから会社を清算するのは、自分としては楽になる選択肢でした。でもこの会社がなくなればいろんな人に迷惑がかかる。得意先の倒産で苦しんでいる私たちと同じ思いを、他の誰かに味わわせてしまう。だから「精一杯やれるところまでやろう」と思ったんです。それに、今まで歴代の社長が会社を繋いできた思いもあります。お金を出しても歴史は買えないですからね。
借金を返済するために工場は整理したものの、樋口メリヤス工業という会社そのものは存続させることを、中江氏は選びました。
量産の時代に「一点もの」と助けられた大阪の起業者支援
工場を整理し、外注のみ取り扱うようになった樋口メリヤス工業。中江氏はパソコン1台を武器にして、営業に力を注いでいきます。そんな時に枚方市の広報誌でたまたま見つけたのが、インキュベートルーム(※1)の募集でした。一般的な貸オフィスとは異なり、起業者向けの支援を受けることができるのがインキュベートルームの特徴、中江氏はそこで3年間を過ごすことになります。
(※1)インキュベートルーム:公的機関によるレンタルオフィス、また、新規事業の育成機関のこと。一般的なレンタルオフィスとインキュベートルームが異なっているのは、利用対象となる条件に公的機関からの指定要綱が設けられているところ。
「これや!」と思って、すぐに応募しました。その時に初めて事業計画を書いて、自分の頭の中も整理できました。何とか企画書が通り、第二創業(※2)という形でインキュベートルームに入ることができました。起業家に向けたスペースなので、中小企業診断士とか、いろんな方の紹介を無料で受けることができて、本当に助かりました。(※2)第二創業:比較的規模の小さい中小企業などににおいて、新しい経営者を就任させ別の分野に進出すること。 事業の基盤を維持しながら、状況を変えるための経営革新を図ることを目的としています。 企業によっては経営者は変わらず、新しい分野に挑戦する場合もあり。
毎日朝早くから夜遅くまで、インキュベートルームにこもっていた中江氏は、オリジナルのメッセージを編み込んだ「メッセージ靴下」の考案に至ります。量産の時代にオリジナルの「一点もの」を売り出したのは、当時の繊維業界としてはあり得ない改革。テレビでも取り上げられるほどでした。
最初に「一点もの」という観点を思いついたのは、製品の営業をしているときでした。取引先に「こんなの中国でもっと安くできる」と言われてしまって、仕事の意味を見失ってしまったんです。そのタイミングで友人が糖尿病で入院したんですが、足の裏に「ダイエット中です」というメッセージを編み込んだ靴下をプレゼントしてみたら、めちゃくちゃ喜んでもらえたんです。自分の仕事を否定され続けた私が、ものづくりで初めて喜んでもらえた瞬間でした。
ただ、一点ものは構造上、どうしても利益が出にくい問題がありました。加えて樋口メリヤス工業は外注だけに頼っていたため、ますます利益は小さくなります。内製するにしても、機械を扱える前夫を頼ることはできない状況でした。さらに追っ手をかけるように、インキュベートルームの期限もやってきます。八方塞がりの中江氏に手を差し伸べたのは、またしても枚方市の起業者支援制度でした。
私の中では「機械をもう一度持たなければ」という気持ちになっていました。知り合いのつてで手に入れた中古の機械を会社とは別の場所で保管していたので、それを戻そうと。ただ、機械を置くにも場所が必要です。そこでまた枚方市の広報誌を見てみると、地場産業向けの起業施策が偶然にも掲載されていたんですよ。それで企画書を一生懸命書くとまた通って、助成金が出ました。それを活用して実家の離れを土間にリノベーションし、機械を置くことができたんです。
機械を扱える技術者との出会いも重なって、自社で製造できる環境を再び整えた中江氏。しかし、最終的にメッセージ靴下はお蔵入りとなってしまいます。メッセージ靴下を東京のデパートに出展しても、ほとんど売れなかったのです。自社で製造できるようになったとはいえ、やはり利益が小さいメッセージ靴下。さらに売れないとなると、経営が厳しい会社で製造を続けることはできませんでした。そんな時に見つけたのが、またしても行政の支援制度。大阪府が提供する支援制度で「専門家の指導のもと、独自ブランドを作ってビックサイトに出展する」という企画でした。
また企画書を書いて、そしたらまた通って。ただそこでは「自分がいいと思うものが、売れるとは限らない」ことを学びました。自分達が自信を持って作ってきたものを、専門家の人たちに厳しく評価されるわけです。プライドをめちゃくちゃ傷つけられるんですね。中には「やってられへんわ」とやめてしまう人もいました。でも私としては、自分の認識と世間の認識のズレに気付かされて、今では本当に感謝をしています。
専門家からの指導を受け、プライドを傷つけながらもやっとの思いで企画を作り上げた中江氏でしたが、なんと商標詐欺に引っ掛かり、企画の商標を丸ごと奪われてしまいます。いよいよ、後がなくなってしまいます。
刑事事件にまで発展した大事でしたね。弁護士に相談して商標を取り戻すこともできたんですが、何となく縁起が悪く感じたので、その商標は諦めることにしたんです。正直、会社を畳む理由ができた、とも思いました。
知人の言葉がきっかけに「つつした」の誕生
やっとの思いで企画した商標を失い、ビックサイトへの展示も目前に迫る状況。崖っぷちの中江氏を救うきっかけになったのは、年配の知り合いからの「ある一言」でした。これが「つつした」が生まれた瞬間です。
ある日知人が「かかとがない、つつ型の靴下が昔あったんやけど」と言ってきたんですよ。気になって実物を持ってきてもらうと、履き心地がすごい良くて。それでは試しに「靴下のかかとを取っみよう」と自社の技術者に頼んで作り、ビッグサイトに展示してみたところ、バイヤーの目にとまって、あれよあれよと製品開発が進み始めたんです。
これから「つつした」は破竹の勢いで広まっていきます。2016年には、リクルートが企画するボランティア事業のコラボ先に選出されます。

有名デザイナーたちのデザインを使ったものを作り、売り上げを寄付するという事業があって、そのコラボ先に選ばれたんです。5,000足の注文が来て、メッセージ靴下での経験も活かし、いよいよ自分が本格的に機械を動かす技術を身に付けて会社で持っている2台の機械をフル稼働。厳しいノルマをクリアしました。それからリクルート本社にいろんなデザインの「つつした」を展示してもらってから、それがどんどん広まっていきました。メディアに取り上げてもらったり、販売先のロフトに行列ができたりしたこともあります。
現在、「つつした」はタイト・リラックス・ワイドの3タイプがあります。革靴とスーツに合わせたいビジネスマンなら「タイト」タイプ、それより少し緩めの履き心地を楽しみたいなら「リラックス」、もっとゆったりとした履き心地を求めるなら「ワイド」がおすすめです。

環境も、技術も、次世代へと紡いでいく
リクルートとのコラボではデザイン性の高いつつしたを作った中江氏でしたが、実はそれをきっかけにデザイン性の高いつつしたはやめてしまったそう。
デザインが少しでも入ると、無駄な糸がたくさん出てしまうんですよね。それは環境に良くないですし、ナイロンを使うことになるので肌触りも悪くなります。今後はもっと素材を追求していこうと思っているんですよ。作り方も、昔の方法に戻っていくのかな。最近だと、淀川に自生するヨシを使って糸を作るプロジェクトがあって、そのヨシ糸で作ったつつしたを展示会に持っていこうと思っています。ヨシ糸を作ることで淀川の水環境を改善できて、環境にやさしいんです。
環境だけでなく、「Made in Japan」の繊維技術そのものも次世代へと残していくことが、今後の中江氏の目標。
繊維の町といわれた大阪なのに、どんどん繊維の会社がなくなっていく。大阪の繊維業界を残すには、若い後継者を育てることが大切だと思います。ただ、今は残念なことに、技術をつなぐ仕組みができてないんですよね。そこで私がメイドインジャパンを世界に広めて、その技術を継承する仕組みを作れたらいいなと思っています。数年後には、私は社長を息子に譲って、技術を伝える仕組みづくりに専念したいと思っています。メイドインジャパンは世界に通用するブランドなので、繋がなければならない。私ほど熱く語る人は、周りでもあまりいないんですけどね。

環境も技術も次世代に「紡いでいく」。その必要性を熱く語る中江氏の眼差しは、「つつした」のように真っ直ぐに繊維業の未来を見つめていました。
