株式会社 田村商店 / 専務取締役 田村友紀晃 氏、TEPPEN 代表 田村久美 氏
長年、社会に欠かせないものづくりを支えてきた町工場。しかし、人手不足や働く環境の変化など、製造業を取り巻く状況は大きく変わりつつある。
そんな中、大阪市西区九条に工場を構える株式会社田村商店では、ある新しい取り組みが始まっていた。
「モノづくり・コトづくり・ミライづくり」を掲げ、プロダクトや発信、コラボレーションなどを通して
「楽しく働く大人の姿って、子供たちの未来の希望になると思うんです。」
そう語る専務取締役の田村友紀晃氏と、活動を率いる田村久美氏。
夫婦で始まった挑戦の背景にある、思いを聞いた。

町工場から生まれた、新しい挑戦『TEPPEN』
大阪市西区九条。昔ながらの工場や倉庫が並ぶこの町に、70年以上の歴史を持つ町工場 田村商店がある。
もともとはボルトを製造する小さな工場として始まり、やがて土木建築分野の金属部品を手がけるようになった。
友紀晃氏:今は主に、橋に使われる金属部品をつくっています。橋梁などのインフラ構造物に入る部材です。ほとんどはコンクリートの中に埋め込まれてしまうので、普段は見えないんですけどね。
一見すると重厚で無骨そうに思える町工場だが、田村商店には少し違った空気が流れていた。
おしゃれな空間に、金属の端材を使った小さな雑貨や、ネジやボルトをモチーフにしたプロダクトが並ぶ。それらは、金属という素材の魅力や技術を伝えるための取り組みのひとつだ。
こうしたプロダクトをきっかけに、企業や地域とのコラボレーションも広がっている。その中心にあるのが、田村商店から生まれたプロジェクト『TEPPEN』だ。
掲げているのは、「モノづくり・コトづくり・ミライづくり」
三つの“つくる”を通じて、社会をおもしろくするというコンセプトである。
友紀晃氏:人手不足が大きかったですね。それと、働く環境を変えたいという思いもありました。
田村友紀晃氏がそう振り返るように、この取り組みは、町工場の現場から少しずつ始まったものだった。
そして今、中心で動いているのが、友紀晃氏と、妻で『TEPPEN』を率いる久美氏だ。
老舗の町工場に生まれた新しい挑戦の原点には、友紀晃氏が家業に戻り、現場で試行錯誤しながら仕事を覚えていった日々があった。

商社秘書を経て家業へ…町工場の現場で仕事の全体像を掴んだ
家業は町工場。友紀晃氏は、そんな環境の中で育った。
友紀晃氏:生まれた時から工場が身近にあったので、特別な場所という感じではありません。近所にも同じような工場がたくさんあって、働いているおっちゃんたちに遊んでもらっていました。昔ながらの下町の雰囲気でしたね。
家業を継ぐことを決めたわけではないが、将来どこかで関わることになるかもしれない……そんな感覚は、どこかにあったという。
大学卒業後、友紀晃氏は鉄鋼商社に就職。配属されたのは総務や秘書など、いわゆるバックオフィスの仕事だった。経営陣の働きを近くで見ながら、人事や労務、会社運営の仕組みを間近で学ぶ日々。やがて、家業に戻るきっかけが訪れる。
友紀晃氏:当時、橋の工事などの案件が増えていて、実家の工場がかなり忙しかったんです。人手も足りていなくて、父も夜遅くまで働いているような状態でした。そんなときに「忙しいから戻ってきてほしい」と言われたんです。ちょうど自分の仕事も一通りやりきった感覚があったので、良いタイミングだと思いました。
こうして友紀晃氏は家業の田村商店へ入ることを決断する。
しかし、町工場の現場は簡単な世界ではなかった。橋梁工事の業界には専門用語も多く、図面の読み方ひとつとっても分からないことばかりだったのだ。
友紀晃氏:いい大人が、めちゃくちゃ怒られるんですよ。業界の常識が全然分かってなくて。一度、納品した部材でトラブルがあり、クレームの電話がかかってきたことがあったんです。その日のうちに大阪から静岡まで車で行って、現場で謝りましたね。今となっては笑い話にできますが、当時は本当にいろいろ教えてもらいました。
現場に出ながら、少しずつ仕事を覚えていった。代表である兄が製造を担い、自身は営業や経営を担当し、役割を分けながら会社を支えていく中で、少しずつ仕事の全体像が見えてきた。
そんな友紀晃氏の隣には、いつも支えてくれる存在がいた。後に『TEPPEN』という新しい取り組みを生み出すことになる、妻の久美氏である。

見せたくなかった町工場を、見せたくなる場所へ。夫婦で始めた小さな発信
田村商店が新しい取り組みを始める背景には、町工場が抱える人手不足という大きな課題があった。
友紀晃氏:当時はいわゆる“3K”…「きつい、汚い、危険」と言われるような環境でした。油や鉄粉も多くて、正直あまり人に見せたいと思える状態じゃなかったんです。妻にも「こっちには来ないで」と言っていたくらいですから。
若い世代が製造業に入ってこない。町工場の仕事に触れる機会も少ない。この状況を変えなければ、会社は続かない……。
友紀晃氏はそう考えた。
友紀晃氏:家業に入る前に秘書の仕事をしていたこともあり、空間のつくり方でオフィスの雰囲気が大きく変わるのを見てきました。社員の目線はもちろん、外から会社を見ている家族や取引先の目線もある。やっぱり、恥ずかしくない環境にしたいと思ったんです。
まず取り組んだのが会社の環境を整えることだった。数か月かけて改装し、開放感のある事務所を完成させる。

しかし、もう一つの課題が残っていた。どれだけ環境を整えても、その様子は周りになかなか伝わらない。町工場の仕事は、外からはほとんど見えない存在だったのだ。
そこで友紀晃氏が頼ったのが、妻の久美氏だった。
「工場の様子をSNSで発信してほしい……」 そう声をかけたのである。
久美氏:もともとSNSはあまり得意な方ではなくて、自分から何かを発信するタイプではありませんでした。アカウント(スマホやパソコン、インターネット上の会員証)は持っていたけど、友達の投稿を見るくらいでしたね。
それでも、夫に頼まれたこともあり、試しに工場の様子を投稿してみることにした。作業風景を撮影したり、鉄の素材を紹介したり。そんな投稿を続けていたある日、一つの写真が思わぬ反響を呼ぶ。
ネジにマグネットを付けた、小さなアイテムの写真だった。
久美氏:工場の中を撮っているうちに、床に落ちているネジとか廃材が目に入るようになるんです。なんとなく拾って並べていたら、ちょっとかわいく見えるようにもなりました。
ある日、ネジにマグネットをボンドで付けてみたんです。子どもの工作みたいな感覚だったのですが、投稿したら思った以上に反応があって。たくさんの人が見てくれているんだなというのが純粋に嬉しかったですね。

投稿をきっかけに、町工場の素材や技術に関心を持つ人が少しずつ増えていった。
「同じものを売ってほしい」「どうやったら買えますか?」といった声も届くようになり、活動は工場の外へと広がり始める。
さらに転機となったのが、大阪ギフトショーへの出展だった。
廃材を生かしたアイデアや、町工場の素材を新しい価値に変える取り組みは、素材を無駄にせず活かす、サスティナブル(持続可能な)なものづくりという時流とも重なっていた。
友紀晃氏:やっていることがおもしろいから、展示会に出てみたらどうですかと声をかけてもらったんです。僕らとしては、まだ“商品をちゃんと持っている”という感覚もなかったので、正直ピンときていませんでした。
二人は右も左も分からない状況の中、出展準備を進めた。
会場では、多くの企業が洗練されたブースを構えていたという。ショーケースに商品を整然と並べ、映像やタペストリーでブランドを紹介する、いかにも展示会らしい光景が広がっていた。 しかし…
久美氏:うちは、いわゆる展示会の“商品ブース”という感じではなかったんです。工場にある素材や、それらを組み合わせた試作品を並べているような展示で。
その異質さが逆に来場者の目を引いた。
友紀晃氏:たくさんの企業やクリエイターの方が興味を持って来てくださって、一気にいろんな話が出てきました。そこで初めて、これを事業として育てていけるかもしれないと思えたんです。
こうして2023年に立ち上がったのが『TEPPEN』という取り組みだった。
町工場の素材や技術を、新しいアイデアや人との出会いによって広げていく試みが、本格的に動き出すことになる。
「働くことは、そんなに悪いものじゃない」
『TEPPEN』の活動は、当初の想定を超えて広がっていった。
SNSの発信や展示会をきっかけに、企業や行政、学校など幅広い業界から声がかかるようになり、コラボレーションの機会が増加。工場の素材や技術に興味を持った人々が実際に工場を訪れ、新しい企画が生まれることもある。

友紀晃氏:町工場って、どうしても閉じた場所になりがちなんですよね。でも、ここに工場があって良かったと思ってもらえる場所にしたいなと思っています。
もともとは町工場の仕事を外に伝えるために始めた発信だった。
今では『TEPPEN』そのものが、田村商店にとっての広報機能も担っている。採用の問い合わせや新しい仕事の相談につながることもあり、町工場の新しい見せ方が、本業にも返ってきているという。
久美氏:活動を始めた頃は、商品をたくさん作って販売することも考えました。でも、それだと結局は数を売る仕事になってしまいますよね。それよりも、町工場の背景や考え方を伝えていく方がおもしろいんじゃないかと思って。今は、数を追うよりもブランドをつくることを大事にしているんです。
アイデアの多くは、久美氏の感覚から生まれている。
友紀晃氏:妻は昔から、ひらめきがすごいんですよ。何か頼むと、だいたい想像していなかった面白いことをやってくれる。
久美氏:デザイン集とかマーケティングの本とか、参考になるものはあまり見ないようにしているんです。見ちゃうと、そっちに引っ張られる気がして。名刺にも書いている通り、自分のこと“ひらめきオバケ”だと思っていますから(笑)。
そんな田村夫妻には、大切にしている習慣があるという。週に一度、“鳥貴族ミーティング”と題して二人だけの時間を持つことだ。
食事をしながら、その週にあった出来事や、これからやってみたいことを話す。そんな時間から次のアイデアが生まれることも多い。

友紀晃氏:めちゃくちゃおもしろそうに働いている大人の姿を見せたいんです。子どもたちが、大人になるのを楽しみに思える社会にしたい。
働くことって、そんなに悪いものじゃないと思うんですよ。
町工場から始まった小さな発信は、少しずつ人を引き寄せ、新しい出会いをつくっている。
その関心は、九条にある他の町工場や、ものづくりの現場へも広がる。
それぞれが異なる技術や部品をつくる町工場が集まるこの地域だからこそ、生まれるつながりもあるのだ。
田村商店と『TEPPEN』の挑戦は、これからもゆっくりと形を変えながら続いていく。

