株式会社 点天 代表取締役 今野啓介 氏
大阪の北新地で生まれたひとくち餃子といえば?
そう、みなさんご存知の手土産にもらって嬉しい青い包み紙のひとくち餃子「点天」である。
1977年、大阪の北新地でスタートして以来、今年で46年目を迎える。
折箱に和菓子のように品よく並んだ餃子は、徐々に知名度を高めていった。
北新地の店はわずか3坪、木製の椅子が7脚だったお店は、今や全国57店(委託店含む)、年商18億円にも上る。
1973年生まれの株式会社点天 代表取締役 今野啓介氏は、当時のことを鮮明に記憶している。
保育園の年長のときにはすでに父親が出前に出かけている間、「今、パパは出前に行っているから、ちょっと待っていてください!」と、店番をしていたという。
今野氏が代表取締役に就任したのは、2019年10月、46歳のときである。
長年、創業者である父の元で背中を見続けてきた今野氏にはやりたいことは山ほどあった。
しかし、あのえらいことが世界中を席巻することになる。そう、コロナ禍である。
代表取締役就任後、すぐの出来事であった。

代表就任後に、コロナ禍
コロナ禍が世間をざわつかせていたが、ピンチはチャンスだ、さあ、やるぞ!と張り切っていたときでした。(※1)さと:和食のファミりーレストラン『和食さと』をはじめ、グルメ寿司の『にぎり長次郎』、定食の『宮本むなし』などの外食チェーンを展開する。正式社名はSRSホールディングス株式会社
2020年の2月に、さと(※1)の重里会長とゴルフに行ったときに、「君の会社も融資してもらうなり、早めに準備しろよ!」と言われました。
会長いわく、「このコロナ禍は最低でも3年は続く」と。
重里会長の弟である現社長は東大の農学部で細菌学に詳しく、そこからの情報でした。
じゃあ、どうしようか?
以前から新規事業や新商品のアイデアは山ほどありました。
大きな集客販売の場である新大阪駅や空港でのお土産需要がぱったりと無くなった。
普通なら出鼻をくじかれ落ち込みそうだが、今野氏は違った。
厳しい状況になれば、人が辞めていく。そんなときこそ、優秀な人材が確保できるチャンスだ!
今こそ買い手市場だと考え、すぐに実行に移した。
ヘッドハンティングの会社に人材紹介を依頼し、タイミングよく某大手商社の営業部長を迎えることができた。
この事で、これまでになかった様々な取り組みに着手できたという。
平常の日が来るまで、ひたすらビジネスの種まきをし、点天の足場を整えていった。
その一つが新たな販路の開拓。取り組んだのは今まで取引のなかった全国の高級スーパーでの販売である。
新たに加わった営業部長とともに交渉を進めた。
また、店頭では期間限定の生餃子の販売もした。
点天の生餃子がスーパーで買えると、客が殺到!6,000箱、7,000箱も売れたという。
コロナ禍で一気に攻めを進めたことが下支えとなった。
加えて、冷凍の餃子の販売である。2022年の3月から販売を始めた。
因みにコロナ禍で、全国各地に冷凍餃子の無人販売所が出来た。
今野氏のところにも数社から事業展開の声はかかったそうだが、そのすべてを断ったという。
冷凍餃子は、点天のひとくち餃子とは別のものですがモチモチ感があります。ちょっと皮が分厚いんです。できるだけ本来の風味を残して普段使いとして食べてもらえる商品にしました。


2022年には、社員のモチベーションを上げるために、全員の給料を上げた。
当時赤字ではあったが、給与を上げることで社員のモチベーションは当然のことながら上がった。
厳しい状況下の中でなかなかできることではない。
そこには今野氏の覚悟があった。
何より人が大切です。今年で私は50歳になりますが、41歳の時に脳梗塞になりました。
生死に向かい合ったことで、いつ死んでもいいように、やらないといけないことをすると思うようになりました。
コツコツまいてきた種が花開き始める
2022年1月29日、阪神百貨店地下1階の惣菜ワールドに点天の新ブランド「大阪胡椒餅」(※2)の専門店を立ち上げた。
台湾の夜市(※3)の名物、胡椒餅をヒントにした。
(※2)大阪胡椒(こしょう)餅:胡椒餅とは、台湾の名物市場「夜市」の屋台などで手軽に食べらる焼きパンの一種。
(※3)夜市(よいち、よるいち):主に中華圏や東南アジアを中心に存在する、夕方から真夜中に営業する屋台、露店、雑貨、売店、移動販売などの集合体である。
なぜ、台湾の胡椒餅だったのでしょうか?
今までいろんな餃子を作ってきましたが、試作を100種類作っても残るのはその4分の1の25品ほどです。餃子ではネタが尽きてました。
4年前、私が専務だった時、父の勇退の時に錦を飾る最後の仕事として、私と一緒に台湾へ行ってみないか?と誘ってみたんです。
3泊5日で、台北をできるだけ移動して、散々食べ歩きました。
「豆花(トウファ)」「かき氷」「排骨飯(パイコーハン)」と台湾で美味しいといわれるものを食べ歩きましたが、今一つピンとくるものはなかったですね。
そんなとき、台湾の有名店で胡椒餅を食べて、「これは美味いな。やってみようか」と思ったそうだ。
その3か月後、今度は1泊3日という突撃視察に出かけ、台北市内6か所の胡椒餅を食べ比べた。
日本の外食は朝食べても、夜食べても味が安定して美味い。
ところが台湾の胡椒餅はどこも朝、晩で味が一定していなかった。
出来立てでも、持ち帰っても安定しておいしい胡椒餅にするために、色々と苦労しましたね。
こうして完成した「大阪胡椒餅」は、催事では行列となり、完売の大ヒットだった。
試行錯誤の上にたどり着いた本場台湾に負けない新ブランド「大阪胡椒餅」が誕生したのだ。

北新地で誕生した点天のことを知らない20歳代から40歳代の女性ファン獲得のきっかけになる商品となった。
創業当時のことを知っている方は50歳代から70歳代後半の方が多く、北新地に点天があったことを知っているのは、40歳代以上のお客様です。
次の世代へのバトンタッチをしていかなければなりません。
午前3時と具材のこだわり
工場によって、多少は違いはあるが、基本、点天の餃子作りは午前3時に始まる。
それは、作りたての餃子をお客様に届けるためである。
担当者は早朝2時過ぎに出社し、6時には餃子が完成する。
専用の機械に餃子の皮を並べるのも出来上がった餃子を箱に詰めるのもすべてが手作業である。
すべて機械でやっていると思われがちですが、手作業の部分がほとんどです。
点天の餃子はニラの風味が重要だが、すべてJA高知県(土佐香美地区)の生産者から送られてくるニラです。
朝取りと呼ばれる朝一番に収穫したニラですね。
その後、収穫から発送までに何度も検品をし、くぐりぬけたニラたちです。
このニラは割烹に届けられるレベルの質の高いニラを使用しています。
工場では毎日刃に磨きをかけた刃物でカットしているので、水分やエグ味はほぼ出ない。
また豚肉はすべて国産で、豚肉の脂は季節によって異なるため、同じ脂の比率になるように調整しています。
今野氏を取材中、餃子のいい香りがしてきた。
実は、お昼は毎日、お弁当に加えて、点天の餃子を食べているのだそうだ。
常に新しいこと目を向け、次世代に紡いでいく
点天の理念を正しく残していくのが僕の仕事だと思っています。
次世代に残すのではなく、“紡いでいく”ことです。
餃子を製造して売っているというより、祖父、父から受け継いだ魂を、“紡いでいく”と感じています。
祖父は鉄工所を経営していました。祖父の会社は今は叔父が継いでいますが、現在も精密機器を製造しています。
父も餃子製造機を自ら考案しました。DNAのせいか私も手先が器用なんです。
私には代々受け継いだ職人気質が根底にあるんですね。
今野氏の2人の息子さんは、一人は設計の道へ、一人は服飾の道へ進み、それぞれモノづくりの世界に進んでいるそうだ。
おや、これで衣食住が揃うではないか。
今野氏は今後、会社を衣食住をトータルで提案できる会社として成長していきたいと考えている。
衣食住をトータルサポートできる会社になっていきたいです。
事業を引き継いでわずか数年ではありますが、成長し続ける未来を見据えて次世代へのバトンタッチの準備を進めています。

今野氏は、2025年の大阪・関西万博に向かって動き始めている。
パビリオンの出店の参加者に内定している一般社団法人大阪外食産業協会(ORA)の常任役員の一人でもある。
更に御堂筋を美食の屋台が並ぶ「美食のシャンゼリゼ」構想も動いているという。
ひとくち餃子点天の今野氏は今後の食文化の先導者と成り得るかもしれない。
今野氏に目が離せない。
<<TOPIC>>
点天社長今野啓介氏が各地の餃子を食べ歩き「餃子王」を目指す!こんな楽しそうなこともやっているのだ。
餃子王ちゃんねる : https://www.youtube.com/@tentengyozaking