NPO法人街かど福祉 にしなり よろしい茸工房 / 代表理事 豊田みどり氏
大阪のド真ん中、西成の一角に、椎茸の菌床がずらりと並ぶ施設がある。名前を「よろしい茸工房」という。
そこから、障がいのある利用者さんたちの手も加わり、日々、新鮮な椎茸を市内の飲食店やスーパーへ届けている。
その「よろしい茸工房」を率いるのがNPO法人街かど福祉 代表理事の豊田みどり氏だ。
大阪北新地の商売人の娘として生まれて幼い頃から空気のように商売を身近に感じて育った豊田氏は、料理学校を卒業後、スナックを開いて年商3億を売り上げるなど成功を収める。
しかし不動産に手を出して14億もの借金を抱え窮地に。10数年かけて返済した後は、障がい者就労支援、地産地消の椎茸事業に乗り出した。
「あの地獄を乗り越えられたので、もう怖いものは何もない」
と笑う豊田氏の半生と尽きない未来への思いを伺った。

幼い頃から商売を空気のように感じていた
母が京都の銘菓 そばぼうろの販売業を営んでいたので、赤ん坊の頃から乳母車に揺られながら、自然と「商売」を身近に感じて育ちました。小学生になると近所への配達を自ら買って出るようになり、その頃にはすでに、いつか自分で商売をしたいという気持ちを抱いていました。
商売人になると父に宣言したやりとりも覚えているという。
当時の女性のたしなみとして、日本舞踊、お茶、お花、和裁の稽古をさせられていたのですが、どうしても正座をするのが嫌で嫌でたまらなくて、泣きながら父に「辞めさせてほしい」と頼みました。すると父は、「女がそういうことできなかったら、誰かにしてもらわなあかん。それにはお金がかかるんやで」と言われたので、「じゃあ、私はそういう人たちを雇えるようになる!」と言い返しました。口にした以上、自分で何かせなあかんという思いがふつふつと湧いてきて、迷いがなくなりました。
将来、割烹の店を開くのを目標に、短大の食物科に進んで栄養学を修め、その後、調理師学校で本格的に料理を学んだ。卒業後は料理教室で助手、講師と着実に経験を積み、25歳のとき、お店を開くため大阪ミナミで手頃な価格の物件を見つけて契約する。

客に助けられる「素人の店」で年商3億
しかし、借りた物件で、いずれ割烹店を開きたいが、まずは喫茶店から始めて経験を積みたいと不動産屋に伝えたところ、「この辺りは夜の店ばかりだから、喫茶店は難しい。最初はスナックをやりながら飲食の経験を積みなさい」とアドバイスされた。
それまでほとんど酒を口にしたことがなかった豊田氏だったが、その言葉に従い、3か月ホステスのアルバイトとして働いて経験を積んだ後、スナックを開いた。
ロックを注文されても、「ロックって何?」と知り合いに電話で聞きながらつくったくらい水商売のことを何も知りませんでした。そんな素人丸出しの経営が逆によかったのかも。危なっかしい店主をお客さんが助けてくれたんです。お酒の代わりに飲み続けた濃縮ジュースで急性糖尿になってトイレで倒れた日も、常連さんが代わりに店を回してくれて、お店が閉店の頃に起こして家まで送り届けてくれたり。私の店なのに、みんなの店みたいな感じ。友達にもお客さんにも、ほんまに恵まれました。
スタッフも、プロのホステスは雇わず素人の学生のみ。その分、周辺の店の相場の半額という思い切った価格設定で客の心をつかんだ。愚痴をこぼしに来る男性経営者たちに「男がそんなことでグズグズ言うてたらアカン」と喝を入れる豊田氏の"毒舌"も人気を集める。
4.5坪の小さな店舗からスタートして、10坪、30坪と次々に規模の大きな店を手掛けるようになった。30坪の店では常時20〜30人のスタッフを抱え、1日3回転をこなす繁盛店に。年商3億を売り上げ、納税協会の優良納税者賞も手にした。
14億の借金地獄を踏ん張り、怖いものなしに
しかし、成功に慢心していた豊田氏に思わぬ落とし穴が待ち受けていた。お客の不動産業者から持ちかけられた話に乗り、オフィスビルや土地を次々と購入。気がつけば総額14億もの借金を抱えていた。
バブル崩壊とともに5億で買った物件が6,000万に暴落したり、売り上げがすべて金利に消えていくようになりました。お客さんの前で笑えなくなったのが何よりつらくなり、これが潮時と思って45歳で店をたたみました。
その後も、夫との離婚、2人の幼子の育児、脳梗塞で倒れた父と認知症になった母の介護に迫られる、など試練が一度に押し寄せた。
ほんとに地獄でしたが、小さな子供のために踏ん張れた。子供がいなければ、ひょっとしたら…ということすらありました。その後、業者にだまされないようにと宅建の資格を取得して自ら不動産業も始めました。銀行との交渉の仕方を学び、同じように物件をつかまされて借金を抱えた人のために不良債権の処理をするということで稼ぎながら10数年かけてなんとか借金を完済。それ以来、どんな不運に見舞われても「あの頃と比べたらぜんぜん平気」と思えます。
障がい者の自立、大阪の食卓を塗り替える夢
試練を乗り越え、「キャンピングカーで日本一周する」といった楽しみも視野に入ってきた豊田氏だったが、不動産に携わる中で入会した経営者の学びの会で、「障がい者を1人雇用することで職場環境が整理され、健常者も働きやすくなる」という考え方に触れ、福祉の世界へ踏み出すことに。
清掃のプロ1名を迎え、障がい者3名とチームを結成し、不動産業で外注していた退去後清掃を内製化することからスタートしました。退去後に残される多くの自転車のリサイクルも始め、知り合いから紹介された焼き芋販売を加えた3つの事業を軸に、2012年、NPO法人街かど福祉を設立しました。
当時の業界の相場5,000円の倍となる1万円の工賃を支払うことを実現できました。
さらに、高校卒業後すぐ入所してくる利用者もいる中、両親が亡くなったとき、自分の力で生きていける人になってほしいとの思いから、就労支援B型事業所(※)にとどまらず、一般就労での自立の道を見据えて、西成区で椎茸を栽培するという取り組みを始めた。
(※)就労支援B型事業所:障がいや難病があり、一般企業での雇用契約に基づく就労が困難な方に対して、就労の機会や生産活動の場を提供する障がい福祉サービス
地方で育てた椎茸だと、都市圏に届くまで4〜5日かかって鮮度が落ち、どうしても美味しさが半減します。私たちは大阪のド真ん中で育てているので、その日の内に朝採れとして届けることができます。もっと多くの人に新鮮な椎茸の美味しさを知ってもらいたいです。椎茸嫌いな人も、うちで試食してもらえたら8割の人が買ってくれるんですよ。
現在は市内の飲食店やスーパーなど50店舗以上と取引を重ね、注文に供給が追いつかない場面も出てきた。
今年77歳を迎え、来期には代表理事を息子に譲る予定だが、自身も現場に携わり続けるという。
他の福祉事業所さんとも連携して、もっと大きな土地を借りて生産量を増やして、大阪の椎茸市場を「よろしい茸」で埋め尽くしたいです。
収穫したその日のうちに届けることで、美味しいタイミングを逃さず食べてもらえるようにする。そして、現在60%を徳島産が占める大阪の椎茸市場で、大阪産のシェアを30%以上にする。
そんな地産地消の未来を実現させることが私の夢です。

