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歴史は観光の宝庫、川は文化の船着場。「水都大阪」を担う船
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歴史は観光の宝庫、川は文化の船着場。「水都大阪」を担う船

2023.03.31
一本松海運株式会社

一本松海運株式会社 代表取締役社長 一本松 榮氏

                                                                

大阪市内には、33本の川が流れ、大阪市域の面積の約一割が水面である。
川が都心部をロの字にめぐる特徴的な地形は「水の回廊」と呼ばれており、世界でも類を見ない。
水の都と呼ばれるに相応しい地形を持っている大阪だが、2001年に「水都大阪の再生」が始まるまでは、その財産を活かしきれていなかった。

創業百年を超える一本松海運株式会社は川を舞台にした大阪をリードしている会社である。
「落語家と行く なにわ探検クルーズ」・「とんぼりリバークルーズ」・「とんぼりリバージャズボート」・「中之島リバークルーズ」など、大阪へ来たら体験したくなる魅力的な観光船を数多く運営している。
昭和21年生まれの代表取締役社長 一本松 榮 氏は、幼い頃ころから中之島で育ち、川が遊び場だった。
日本映画の名作「泥の河」(※1)の原作者、作家の宮本輝氏とは幼なじみだ。
(※1)「泥の河」:宮本輝の同名小説。舞台は昭和31年の安治川。安治川の河口のうどん屋の息子の視点で社会の底辺で生きる人々の姿を描いている。本作は第13回太宰治賞受賞。1981年には映画化され多くの賞を受賞する。


歴史は観光の宝庫、川は文化の船着場。「水都大阪」を担う船

昔は「泥の河」の風景そのものでした。よくそこ(大阪市中央)の卸売市場から物を運ぶ馬車が通っていて、おでん屋や食堂がありました。作家の宮本輝さんは、うちの近所に住んでいたので、小学校の頃は一緒によく川で遊んでましたね。
この界隈が小説「泥の河」の原点です。


歴史は観光の宝庫、川は文化の船着場。「水都大阪」を担う船 映画「泥の河」より

映画の舞台になった昭和30年代は、生活排水や工場排水などが原因となって、河川は相当に汚れていた頃である。
大正4年に創業した一本松海運は創業百年を超える。
大阪港に出入りする港運業者としてスタートし、海洋土木関連事業、工事関連事業で発展した。
観光船事業を本格化したのは、2001年「水都大阪の再生」が国の都市再生プロジェクトに採択され、「水都大阪」の取り組みが始まったときだ。
このことが契機となった。
観光船が走れば、観光都市・大阪の目玉になる。

しかし、大阪の川で観光船を運航するには、低い橋桁(はしげた)が障壁だった。
普通の船では通れない。観光船さえあればスタートできるというものではなかった。

上があかんかったら、下がある。低い橋桁を通る観光船の開発


「水都大阪」の取り組みが始まったとき、JR西日本さんから「船で大阪市内の川の回廊を遊覧しよう!」という話が来たのが観光船事業に本格的に注力し始めたきっかけです。
その頃は、今のような川ではなく、もっと汚れていたんですが、「人に見られたらきれいにするねん。時間はかかるけど」というんです。
船着場はないし、橋桁が低いので通常の船では、ぶつかってしまうので通れません。
私はへそ曲がりなんで(笑)、無理な事があるならなんとかしたくなるんです。
それなら、低い橋でも通れる船にすればいい。
上があかんかったら、下があると。
うちの観光船は潜水艦みたいになっているので、乗客のお客さんも圧迫感を感じないですね。


観光船が潜水艦みたい? どうなっているのだろうか。
まず、大阪市内の橋の高さをすべて調べ上げた。
この低い橋桁をくぐりぬけるためには、低い船を作るしかないのか。船室が低いと圧迫感があり、乗客が楽しめない。
今まで、海洋土木や工事関連の仕事をしてきた経験が、全く新しい船の開発に生かされていく。
低い橋でも船室の広さは変えず、船全体の高さだけ変化できる油圧を利用した船体を沈める独自構造の船舶を開発した。

2003年3月、落語家がガイド役として川沿いの名所や大阪の歴史を面白おかしく解説する「落語家と行く なにわ探検クルーズ」が運航開始した。このクルーズは、一本松海運の最初の定期便となる。
現在同クルーズで運航しているのは旅客船「きらり」と「ほたる」だ。
潜水艦と同じく、船底のタンクに川の水を取り込むことで、船自体を浮かせたり沈めたりでき、橋桁を運航するときは、驚くほど低く、ぺったんこ(=平坦)になる。

歴史は観光の宝庫、川は文化の船着場。「水都大阪」を担う船水晶橋をくぐる旅客船「ほたる」

歴史は観光の宝庫、川は文化の船着場。「水都大阪」を担う船旅客船「きらり」

桂吉弥さんも若い頃に乗ってたことがあります。
ここから、今までに3名の方がNHKの新人落語大賞を受賞しました。

2019年に新人落語大賞を受賞した桂華紋さんもその一人だ。
今や「落語家と行く なにわ探検クルーズ」はちょっとした若手落語家の登竜門ともいえる。
橋も街も近いので、船から手を振れば乗客に街の人も気軽に手を振ってくれる。人情溢れる風景だ。
船に手を振ってくれるのは、大阪だけなんですよ。他ではそんなことはないですよね。


なるほど。人懐っこい大阪の気風もあるが、東京と違って、人との距離が近い大阪の川の地形も関係しているのかもしれない。
「落語家と行く なにわ探検クルーズ」の成功を皮切りに、一本松海運は観光に向けて、更にチャレンジしていくことになる。

2004年に道頓堀川の遊歩道「とんぼりリバーウォーク」が誕生し、翌年メインアトラクションとして「とんぼりリバークルーズ」が誕生した。道頓堀川を巡る約20分の観光船だ。

歴史を大切にせなあかん!「蘇れ!!淀川の舟運(しゅううん)」

 
2019年には、江戸時代の「淀川三十石船」(※2)をイメージした新造船「辨天(べんてん)」が完成した。
三十石船と同寸法にしつつ、最新鋭の船として建造され、船体はアルミ製、屋根を自動で昇降させて低い橋でも運行できる船だ。
「淀川三十石船」とは、江戸時代に大坂 (現大阪)の天満と京都の伏見を行き交っていた船である。
米を三十石(米俵にして75俵)積める容量があったことから名付けられた。上方落語の『 三十石 』でもお馴染みの京と大坂を結ぶ三十石船である。
(※2)三十石船:江戸初期に京都伏見と大坂八軒家(現在の天満橋付近)間を運行したの旅客専用の船。米を三十石積めることから三十石船と呼ばれた。人々の重要な交通機関として活躍したが、明治に入ると蒸気機関を備えた外輪船がとってかわり、鉄道の開通により姿を消した。

歴史を持つ淀川舟運の航路を一部再現し、春と秋に「期間限定」で運航しているのが「蘇れ!!淀川の舟運」である。(2023年春の運航は、4月1日からスタート)。船内で淀川にまつわる話や三十石舟唄(※3)を聞きながら、たっぷり約150分のクルーズを楽しめる。
又、サイクリングを楽しみたい人は、今年から自転車を船に積むことも可能だ。
(※3)三十石舟唄:京都から大坂に下る間に、七七七五の都都逸(どどいつ)の音数で、両岸に広がる風景を唄いあげたもの。船客を楽しませるとともに、船がどの辺りにいるかを知らせるものでもあった。大阪府下に残る数少ない貴重な労働歌として、「淀川三十石船船唄」の名称で平成14年に府の無形民俗文化財に指定された。


歴史は観光の宝庫、川は文化の船着場。「水都大阪」を担う船淀川舟運

川は文化の船着場。淀川三十石船の復活

 
2018年11月「淀川三十石船(さんじっこくぶね)」の復活プロジェクトが本格始動した。
京都ー大阪間を船で行き交うことができるようにしようというのだ。
京都府八幡市にある堤防、背割堤(せわりてい)(※4)から伏見へ向かう宇治川の約13キロでは、低水時に水深1メートルを切る場所が点在し、従来の観光船では、スクリューが川底に当たり、航行は不可能といわれてきた。
しかし、2019年に誕生した新造船「辨天(べんてん)」は水深60cmまで可能である。
(※4)背割堤(せわりてい):2つの河川が合流したり、隣あって流れるために、流れの異なる2河川の合流をなめらかにしたり、一方の川の影響が他の河川におよばないように2つの川の間に設ける堤防。

歴史は観光の宝庫、川は文化の船着場。「水都大阪」を担う船背割堤での新造船「辨天(べんてん)」

2025年大阪・関西万博が始まるまでに京都と大阪を水上で往復できるようになります。
話をしたらすぐにやろかという人が来てくれる。それがありがたいです。歴史ある淀川と周辺地域を活性化させたい。
川は文化の船着場、歴史は観光の宝庫です。
歴史を大切にせなとあかんと思います。


船で大阪の川を遊覧しようという話がきたときに「人に見られたらきれいにするねん。時間はかかるけど」といわれた一本松氏。
観光船の運航とともに人が川を行き交い、人に見られた川は、きれいになってきた。

観光船を始めたときは、まさかここまできれいになるとは思っていなかった。
長いことやってきたよかったと思います。今は、淀川にはまってます(笑)。


一本松氏のまわりには、協力してくれる人が次々現れる。
ピンと張ったアンテナが、キャッチして協力してくれそうな人を見つけ、人柄が人を呼んでいる気がする。

今年1月から淀川大堰閘門(よどがわおおぜきこうもん)(※5)の整備が始まり、2025年大阪・関西万博開催までの完成目指している。
淀川は、この淀川大堰(よどがわおおぜき)によって分断され、行き来ができなくなっているが、上下流を結ぶ閘門(こうもん)を設置することによって、淀川河口・大阪湾と淀川上流の間を船が行き来できるようになり、淀川河口から京都までを一気通貫の航路で結ぶことが可能となる。
淀川大堰閘門(よどがわおおぜきこうもん)の完成は、舟運(しゅううん)復活に向けた大きな一手となる。
ますます水都大阪が注目され、一本松海運の観光船への期待が高まっている。

(※5)淀川大堰閘門(よどがわおおぜきこうもん):淀川河口から約10Km地点には水道水の確保や潮止めを目的に設置された、淀川大堰がある。淀川大堰の上下流に最大2m程度の水位差が生じているため、現在は船の往来ができない。船の往来を可能とするためには、水位差を調整する「閘門(こうもん)」が必要となる。

一本松海運株式会社 
本社:大阪市北区中之島6-4-7
オフィシャルサイト:http://www.ipponmatsu.co.jp/