合同会社縁家 / 代表社員 吉田絢子 氏
障がいのある人の暮らしを支える上で、住まいの確保だけでは十分とはいえない。日中をどう過ごすか、どんな役割を持てるか、地域とどうつながっていくか。その先まで見据えた支援が、今あらためて求められている。
そんな中、大阪市城東区・蒲生四丁目でカフェ「Pu-a-Pu」を営む合同会社縁家は、グループホームとあわせて、この店を就労継続支援B型の場として運営し、暮らしと働く場をつないでいる。
地域に開かれた店を、なぜ福祉の実践の場にしたのか。そこには、代表社員である吉田絢子氏が現場で培ってきた、支援観が息づいていた。

一汁八菜の小鉢定食!このカフェが担う、もう一つの役割
城東区・蒲生四丁目の一角にある食べカフェ「Pu-a-Pu」は、地域の人たちに親しまれているカフェだ。
看板メニューは、8種類の小鉢が並ぶ日替わり定食で、彩り豊かなランチを目当てに近隣で働く人や常連客が足を運ぶ。他にも軽食やドリンクメニューがそろい、店内には暖かな空気が流れている。
この店を運営する縁家の出発点は、大阪市鶴見区で始めたグループホームだった。
暮らしの場を支える中で見えてきたのが、日中をどう過ごし、どんな役割を持てる場をつくるかという課題である。
そこで立ち上げたのが、就労継続支援B型事業所と飲食店を組み合わせた現在の形。
生活の場だけでなく、その先の時間や役割まで支えていきたい。そんな思いを形にしていく中で、吉田氏が軸に据えたのが「食」だった。
「食べることって一番身近な、選べる自由だと思うんです。」
暮らしを支えることと、働く場をつくること。その二つを切り離さずにつなごうとする思いが、この場所に息づいている。

認知症介護、ケアマネ、障がい福祉…現場を渡り歩いて見つけた“人を見る支援”
吉田氏が福祉の仕事に入ったのは、20歳の頃。結婚を機に大学を離れ、その後、母から勧められるまま社会福祉協議会の面接を受けたのが始まりだ。
「まあ、面接受けときゃおかんも喜ぶやろ」くらいの感じで、当時はそこまで深く考えていませんでした。でも、いざ飛び込んでみたらめちゃくちゃおもしろくて。気づいたら、ずっと福祉の仕事していました。
はじめの数年間は、自分に合う場所を探す時期だった。デイサービスや介護施設、小多機(※1)など、さまざまな現場を移りながら試行錯誤するなかで、吉田氏が強く惹かれていったのが認知症ケアだ。
(※1)小多機:小規模多機能型居宅介護の通称。通い・訪問・泊まりを組み合わせて支援する地域密着型サービス
「言うたから分かるやろ」では済まないのが、認知症の方です。何が不安なんや、どうしたら少しでも楽になるんやろうと考えて、その人に合う関わり方が見つかるときがある。そこにやりがいを感じてきましたね。
たとえば、何度もトイレに行こうとする若年性認知症の男性がいた。止めても説明しても、また不安になって立ち上がる。そんなとき吉田氏は、ただ制止するのではなく、その人に別の役割を渡した。
車椅子の人を診療所まで連れていってもらったんです。「助かった、ありがとう」と伝えると、表情がすっと落ち着くんですよ。この人はトイレに行きたいんじゃなくて、不安やったんやなって。
そこで吉田氏が実感したのは、行動の表面だけを見ても、その人の本当の不安は分からないということだった。必要なのは、その人が落ち着ける関わり方を見つけること。そうした視点が、のちの支援観の土台になっていく。
そしてもう一つ、吉田氏の“人と向き合う力”の背景には、幼い頃からの感覚もある。
家庭のなかで大人の空気の変化に敏感になり、長女としてまわりを見ながら動くことが当たり前になっていた。
小さい頃から、わりと大人の顔色は見てたと思います。この人いま機嫌どうやろう、とか、何考えてるんやろうとか。たぶん、ずっと「人」を見てたんでしょうね。
表に出た言葉だけでなく、その奥にある気持ちを見ること。認知症ケアに強く惹かれたのも、もともとの感覚と重なる部分があったからだろう。
その後はケアマネジャーとしても経験を積み、地域包括支援センターなどから指名で相談が入るようになった。病院では、末期の患者から比較的軽度の方まで幅広いケースを担当し、最後までその人らしさに寄り添うことを考え続けてきた。

手間がかかるケースでも、「この人のために何をかなえてあげられるかな」と考えるのが大事やと思ってて。しんどいこともあるけど、やっぱり福祉が好きだなと思うんですよね。
経験を重ねる中で、次第に障がい福祉の現場にも関わるようになっていった。高齢者介護の現場で積み重ねてきた経験は、障がい福祉にも通じている。相手が変わっても、言葉の奥にある不安や、その人に合った関わり方を探る姿勢は変わらない。
一方で、障がい福祉に関わるなかでは、思いだけでは支援は続かず、かといってお金だけを見ても人は支えられないという現実にも向き合ってきたという。
言葉にならない思いをくみ取り、その人に合った関わり方を考えること。きれいごとで終わらせず、支援を続けていける形を探ること。吉田氏はその両方を、現場の中で身につけてきた。
「一人ひとりに合う仕事をつくる」カフェでの就労支援
そうして培ってきた支援観を、自分の手で形にしたのが縁家だった。出発点となったのは、大阪市鶴見区で始めたグループホーム(※2)である。
ただ、暮らしの場を支えるだけでは十分ではなかった。日中をどう過ごし、どんな役割を持てる場をつくるか。その課題に向き合う中で就労継続支援B型事業所(※3)とカフェを組み合わせた現在の形が生まれていく。
(※2)グループホーム:認知症の高齢者や障がいを持つ人が、専門スタッフの支援を受けながら、5〜9人の少人数で家庭的な雰囲気の中、地域で共同生活を送る住宅型の介護施設
(※3)就労継続支援B型事業所:障害や難病(369疾病)により一般企業での雇用が困難な方が、雇用契約を結ばずに軽作業などの「生産活動」を通じて知識・能力向上と工賃(賃金)を得る福祉サービス
ホームでごはんを出していても、白菜とレタスの違いが分からない子がいます。その子のなかでは全部“葉っぱ”になってしまう。外食にしても、知ってるものや食べ慣れているものに選択肢が寄りやすい。でも、食べることって一番身近な“選べる自由”やと思うんです。関わることで食材を知って、そこから興味が広がっていったらええなって。
そうして生まれた食べカフェ「Pu-a-Pu」(※4)は、地域の人が気軽に入れるカフェとして空間を整えている。
(※4)Pu-a-Pu:フランス語で「段々、徐々に」の意味を持つPeu à peuを文字って名付けられた。

障がい者施設であることを前に出しすぎると、どうしても来にくい方もいると思います。地域の方が普通に入ってきて、ごはんを食べて、「いい店やな」と思ってくれる。まずはそういう場所にしたかった。
もっと就労継続支援B型事業所であることを打ち出した方が、利用者の募集につながりやすい面はある。それでも吉田氏は、この場所のあり方を変えようとはしなかった。
本当は利用者さんを増やさないと、商売としては厳しい。社長としては失敗してるのかもしれないけど(笑)。「おしゃれなカフェで働きたい」と思ってくれる子たちの気持ちは、大事にしたいなと思ったんです。
日々の仕事の組み立て方にも、その考え方が表れている。Pu-a-Puの定食に小鉢が多く、器の形や色も一つひとつ異なるのは、そのためだ。
小鉢が8種類あったら、いろんな子が何かしらの作業ができます。同じ大きさに切るのが苦手な子もいるし、盛り付けが得意な子もいる。だから、その子に合った仕事をつくりやすいんです。器の形を変えているのも、見た目を華やかにするためだけではなく、みんなが分かりやすく働けるようにするためなんですよ。
さらに、食材を見て吉田氏がメニューを決め、飲食経験の長いスタッフが支えることで、日替わりの小鉢は和洋さまざまな味に広がっている。毎日通う常連がいるのも、そうした美味しさがあってこそだ。
ただ、店で出す料理には、どうしてもお店としての基準がある。そこで縁家では、厨房の中だけで完結させず、別の場にも仕事をつないでいる。その一つが、畑での作業だ。
調理や接客が難しい人でも、野菜を育て、食材に触れるところから関われる。食への関心や選択肢を広げるための、大切な入口になっている。
お店で出すのは難しくても、グループホームのごはんなら任せやすいこともあります。カフェ以外にも、地域の高齢者に届けるお弁当だったり、知人の運営するグループホームのごはんだったり。同じ食材でも出口はいくつもあるので、その子に合う形で仕事をつないでいけるんですよね。
一人ひとりに合う関わり方を探し続ける吉田氏の姿勢は、そんなところにも表れていた。
地域の中で頼れる存在に!まずは知ってもらうことから
食べに来てもらうことで、まず知ってもらえる。そこから信頼ができてきたら、困りごとも話してもらえるようになると思うんです。
吉田氏が見据えているのは、食べカフェ「Pu-a-Pu」が地域の身近な相談先になっていくことだ。
その背景にあるのが、吉田氏がケアマネジャー時代に見てきた「福祉電話」(※5)の仕組み。
緊急時に消防などへつながるその電話は、一人暮らしの高齢者にとって心強い備えになる。だが、利用するには近隣に合鍵を預けられる相手が必要だった。
制度があっても、地域に頼れる相手がいなければ使えない。そんな場面を何度も見てきた吉田氏だからこそ、支援を必要とする人が出てきたときに、まず思い出してもらえる関係を地域でつくりたいと考えているのだ。
(※5)「福祉電話」:高齢者や障がいのある方が緊急時にボタン一つで通報できる機能や、会話をサポートする機能(大きな音量、骨伝導など)を持つ専用電話機
うち(店)が「預かれますよ」と言ったところで、知らない相手には頼みにくいですよね。だからまずは「あそこの店の人やな」と分かってもらうことが大事。
もちろん、その関係は店を開けばすぐに生まれるものではない。蒲生四丁目エリアに根を張るために、吉田氏自身も地域の老舗に通い、少しずつ顔を覚えてもらってきた。自ら街に馴染んでいった積み重ねの先に、食べカフェ「Pu-a-Pu」も地域の困りごとが集まる拠点へと育っていくのだろう。
いつか「困ったら縁家に聞いてみよう」と思える、安心につながっていく……
そんな拠点を、吉田氏はこの街で育てようとしている。

