大阪渋谷(しぶたに)麦酒 代表 澁谷香名 氏
大阪・堂島のANAクラウンプラザホテル大阪のそばに「国産ビール発祥の地」の石碑が建っている。
明治5(1872)年、日本人として初めてビール醸造を事業化した澁谷庄三郎(※1)の醸造所「渋谷(しぶたに)麦酒」があった地だ。
それから150年。庄三郎につながる一人の女性が、独力でクラフトビールの製造販売を始めた。
「大阪渋谷麦酒」代表 澁谷香名さん。
庄三郎の5代あとが香名さんの夫というつながりだ。
藤井寺市役所南隣に醸造・直売所を構え、店の名前は「大阪渋谷麦酒」。
≪庄三郎ビールの復活≫と言われるのには「ハードルが高くなる」と苦笑いする香名さんだが、庄三郎と同様に国産大麦を使ったビール製造の準備も進めており、生まれたての子どもを育てるように夢は広がる。

(※1)澁谷庄三郎(しぶたに しょうざぶろう):日本の実業家。1872年(明治5年)、大阪市堂島に日本人としては最初のビール醸造所である「渋谷ビール製造所」を建て、渋谷ビールを商業販売した。/ フリー百科事典『ウィキペディア』より

友達の一言が、ビール造りへの思いよみがえらせる
香名さんが庄三郎の名を初めて耳にしたのは25年前の結婚式でのことだった。
現在は寝具店を営む澁谷家は280年続く商家。夫の親類の一人が、「先祖にビールを作った人がいる」と話した。
調べてみて庄三郎の存在と事績を知り、「すごい人がいるんだ」と驚くとともに、自分も作ってみたいという思いにかられる。
しかし、子育てに追われるなどして、その思いもいつの間にか消えていた。
よみがえらせたのは、仕事で人間関係の悩みを抱えていた時に友達から掛けられた「あんた、ビール造りしたい言うてたやん!」という一言だった。
友達の言葉で「あ、そうやった」と思って、すぐにインターネットで調べました。ビール醸造用タンクなどを作っている会社が1週間の無料講習会をしていることを知り、その場で申し込みました。講義で原料や仕込み、発酵の基本などを学び、製造実習も行いました。なんとなく流れが分かったので、今度は実際にクラフトビールを造っている店を見学させていただきました。私は思い立ったらすぐに調べて行動に移す性格なんですよね(笑)。
資金難に直面するも、安価な「石見式」で打開
講習会で使ったノートには、講義内容がびっしり書き込まれている。分からないまま、板書されたものをとにかく書き写しただけだと振り返るが、やると決めた時の集中力のすごさを感じさせるノートだ。しかし、大きく立ちはだかったのが資金の問題。
講習会を開いていた会社は、自社が製造した設備を販売するのが目的だったのですが、一式そろえると2,000~3,000万円。安い中国製でも1,000万円はかかるんです。次に見学したお店では「2,000万円貯まったら」と言われました。とても手に負えません。(※2)石見式醸造法:ポリ袋で醸造するので大規模投資は不要で、しかも金属製タンクは醸造した後の洗浄作業が大きな手間。
そんなとき、「石見(いわみ)式」(※2)と呼ばれる、安い設備投資で醸造ができるやり方を知ったのです。
実際に「石見式」で製造販売されている大阪市内のお店を見学させていただいて、「これならできるかも!」と初めて手ごたえを感じました。
ポリ袋は使い捨てできる。一度の醸造が50~200リットル程度の小規模なクラフトビール会社には適した製法。
この方式を編み出したのが島根県の石見麦酒。そこの経営者が、以前に勤めていたみそメーカーでも同じ発酵食品のみそ作りにビニール袋を使っていたことなどからヒントを得たもの。特許などは取得せず醸造法はオープンにしている。石見式醸造法は日本各地に広がっている。
寸胴とビニール袋を使って週600本分製造
ビールの醸造工程はそれほど複雑なものではない。基本的な原料は大麦を発芽させた麦芽、ホップ、酵母と水。
麦芽を粉砕して温水と混ぜて加熱することででんぷんを「糖化」させる
↓
ろ過してホップを加えて「煮沸」する
↓
冷却して酵母を加えて「発酵」させる
↓
「熟 成」
という過程を経て瓶詰めすれば出来上がり。
「石見式」の最大の特徴は、通常は高額なステンレス製タンクを使う発酵に、ビニール袋を使う点。
麦汁を詰めたビニール袋は安価なストッカーに入れて温度管理しながら発酵させる。
さらに、糖化や煮沸には寸胴を使い、醸造所兼店舗も香名さんの実家が営んでいたパン店の跡地を活用するなどして、初期投資は300万円以下に抑えることができた。
開業までに絶対必要なのが国税局の製造免許を得ること。
ビールなどアルコール類は酒税法で生産量や原料、衛生管理などが厳しく規制されている。ビールは年間生産量が60キロリットル以上であるため一人では難しく、6キロリットルでよい発泡酒の免許を2022年3月に取得した。

石見式ビニール袋発酵風景
製造工程で大事なのは温度管理と時間管理です。
糖化は麦芽によって異なりますが55度または68度。ろ過はうまくいけば1時間半ですが、3時間かかることもあります。
煮沸は2時間で、この時にホップを3回に分けて入れます。冷却は25度で1週間、5度で1週間。貯蔵熟成にさらに1週間かけて、完成までほぼ3週間です。
このサイクルで週2回造っています。
冷却装置(ポリ袋)は4つあり、110リットルほど、約300本(1本330ミリリットル)分できます。
もう少し作りたいのですが・・・。
地元産品とのコラボで地域の盛り上げを図り、「河内乃えーる」と命名
現在造っているのはコクのある黒ビール「スタウト」、すっきり飲みやすい「ピルスナー」、柔らかな風味の「ヴァイツェン」、華やかな香りの「ペールエール」の4種類。
発泡酒は副原料が認められており、香名さんは太子町特産のミカンの皮を入れて香りを移している。
このためか、全体に苦みを抑えた仕上がりになっている。

4種はそれぞれ麦芽、酵母、ホップを変えています。
種類を増やすより、4種をしっかり作って、フレーバーを入れたらそれぞれがもっと生きてくると思っています。
地元の食材を取り入れたいと、焙煎したほうじ茶と地元のクラフトコーラとコラボした商品も始めました。
地域をアピールして盛り上げていきたいですね。そんな思いも込めて「河内乃えーる」と名付けました。
4種については味にばらつきがなくなってきたと思いますが、何が正解かはわかりません。
思ったものができなくても、飲んだ人はおいしいと言ってくれることもありますし。
ただ、「これまで飲んだスタウトで一番うまい」とインスタにあげていただいたり、阪神百貨店での大阪酒万博で購入された北海道の人から注文が入ったりしたときは、やっててよかったと思いましたね。
お客様の「おいしい」の一言がうれしいですし、力になります。
それに、発酵してブクブク言ってたら、「頑張れ!」と声を掛けたくなりますね。
国産大麦を使った「庄三郎ビール」の再現に向けて着々と
現在の課題は販路の拡大。
近鉄藤井寺駅前や自宅がある天神橋筋の「天満天神 MAIDO屋」(大阪の「ええもん」を集めたお土産物店)さんに自分で売り込んで置いてもらったり、知り合いの飲食店で提供してもらったりしているが、醸造から販売まで一人でこなしているため、なかなか営業廻りの時間がとれないという。
もともと寝具メーカーで営業をしていたので、営業は好きですし向いていると思っています。これから店を大きくして、人を雇えるようになれば、私は営業に廻りたいですね。
それともう一つ、庄三郎さんは原料の大麦は国産を使っていたらしく、私も大阪府内で生産されている大麦を提供してもらえる目途がたちました。
庄三郎さんのビール造りの詳細は分かりませんが、可能な限り近づけたらなあと思っています。

