大阪錫器株式会社 代表取締役社長 今井達昌 氏
タンブラーや酒器としてよく目にする錫器。銀白色の輝きはいかにも高級感が漂う。実は、国内の錫器の約7割を占めるのが、経済産業省指定の伝統的工芸品「大阪浪華錫器」。その伝統を一手に支えているのが、「現代の名工」今井達昌氏が社長を務める大阪錫器だ。「伝統工芸は立ち止まったら終わり」がモットーの今井氏は、次々に新しい錫製品を開発して錫器ファンのすそ野を広げ、後継者の育成にも力を入れている。

製造会社が減っていく中、押しも押されもせぬ業界のリーダーに
日本の錫器は京都で作られていたが、江戸時代に京都錫の流れを汲む職人が大阪で製造を始め、次第に大阪が中心となっていった。戦後、一時下火になったが、関係者の尽力で1983(昭和58)年、伝統的工芸品に指定された。
江戸時代後期に京都から大阪へ移ってきた錫屋伊兵衛が仕事のはじまりといわれている。戦時中、社長を継いだ今井氏の祖父が各界に働きかけて技術保全を図り、戦後に大阪錫器として再スタートを切る。
昔ながらの錫器製造会社は現在、大阪に4社、京都と鹿児島、それに関東に各2社あるだけで、この10数年で3分の2に減りました。私が社長を継いだ2002年には国内市場は総売り上げ1.2億円余。そのうち当社が約6700万円でしたが、2019年は約3.2億円まで回復しました。
元々当社は技術の幅が広いことが強み。
戦後、職人さん達が帰ってきてくれた事や難しい仕事を自社で受ける事により、新しい技術を生み出してきているからです。
現在、当社には伝統工芸士が6人おり、大阪の製品の97%を当社で占めます。

マスコミ取材に応じて知名度アップ、感謝祭でファンの掘り起こし
圧倒的なシェアを誇る大阪錫器だが、飛躍的な回復の背景には、今井氏のきめ細かい取り組みがあった。それまでの経営者や職人はめったにマスコミやメディアに出なかったが、今井氏は小さな取材にも応じて知名度をアップさせるとともに、自社の製品や技術を知ってもらうために「感謝祭」を開き、錫器ファンの掘り起こし、拡大に努めた。
感謝祭では、近年この小さな会社に3日間で400人から500人が来てくれました。製品を展示するとともに、工場見学や製作体験も行ってもらいました。一方で、流通関係の正常化にも努めました。錫器は問屋さんを通じて店頭販売してくれる百貨店などに卸すのですが、途切れていた問屋さんとのお付き合いを再開して販路を拡大していきました。当社は関東や九州にも取引先を持っていたのが良かったですね。
手に取ってもらえる製品目指して多色化を進め、さまざまな模様も生み出す
忘れてならないのが、新製品の開発だ。漆職人とのコラボ製品も生まれた。中でも目を引くのが、カラフルな色使い。錫器といえば銀白色。そんなイメージを大きく覆す木の葉や市松模様、網目模様などのぐい呑みやタンブラーを生み出していった。
なんぼいいもんでも、色が付いていなかったらお客さんの目に留まると思いますか?
錫器の色はもともと赤・黒・白の3色だったのですが、青・緑・黄色を加えました。といって、新しい色のものが爆発的に売れたというわけではありません。逆に、従来の赤や黒、白の製品がよく売れるようになりましたね。錫器には廃番というものがなく、作れば作るほどアイテムは増えていきます。昔ながらの神器や茶筒などもあり、今は4000以上のアイテムになります。

錫器で飲むと、お酒やビールがおいしくなることを実感してほしい
残念に思うのは、根強い錫器ファンがいる一方で、錫器の魅力はもとより、その存在自体がまだまだ認知されていないこと。感謝祭はすそ野を広げる一つの手段だが、2008年のリーマンショック後には、ビールの有名銘柄をデザインしたタンブラーを作って注目を集めた。
売るためではなかったのですが、これで錫器の良さがバイヤーにも知られるようになりました。リーマンショック前は、30弱の百貨店で販売していたのですが、今では店頭で販売してくれている小売店は、百貨店だけで100を超えます。
スズという金属は手触りが良く、錫器で飲むとお酒もビールもおいしくなります。名店といわれるお店では錫器を使っているところがたくさんありますから、そんなところで実際に錫器を手にして、手触りや味の良さを感じてほしいですね。
自分にしかできないものをつくってこその職人
経営者としての顔を持つ今井氏だが、職人として果たすべき役割や責任を忘れたことはない。職人としての自らを常に追い込んでもきた。原点にあるのが、職人になって3・4年のころの経験だ。若手の自分が30年、40年と続けてきたベテランにどうすれば対抗できるのか。深い葛藤の末、生まれたのが、波の動きを表現した文様「さざなみ」。この間の数年間の試行錯誤が職人としての基礎をつくったと言えそうだ。

自分たちから発信できる仕事、チャレンジできる仕事でないと面白くないでしょう。職人は自分にしかできない仕事をして自分にしか作れないものを作らないとだめです。ですから、若い人には厳しく指導します。その分、成長も早いですよ。私自身、やりたいこと、面白いなと思うことができたら、また新しいものにチャレンジしたいと思っています。
「私たちが止まったら伝統も終わり」
――だからこそ新しい需要を見つけ出す
1999年に伝統工芸士の認定を受け、2009年に「なにわの名工」、そして2012年に「現代の名工」となった今井氏。錫器製作のトップに立ち続けて、一層思うのは伝統の意義と重み。
伝統工芸は、つながっているから「伝統」だというのが口癖だ。
私らだけでは伝統は作れません。錫器が歩んできた時代の中の一つを預かっているだけ。
止まったら、伝統も終わりなんです。ですから、時代時代の需要を常に見出していかなければいけません。言い換えれば、売れるものを作り続ける必要があるということです。
