有限会社千草 / 代表取締役 蜷川裕規氏
大阪・天満で70年以上続くお好み焼きの名店「千草(ちぐさ)」。店を仕切る3代目有限会社千草 代表取締役 蜷川裕規氏は元ラガーマン。たくましい体にみなぎるファイトは、50歳を目前にしても衰えることはない。突き動かすのは、「現状維持は答えにない」という思い。今も、※①MBA取得を目指して経営者としての勉強を続ける一方、スポーツと教育、そして地域とのつながりを柱に、新しい挑戦を考え続けている。毎日店でキャベツを刻みながらもただの「下町のおっさん」にとどまらないチャレンジ精神に迫る。
※①MBA:経営学修士(けいえいがくしゅうし、Master of Business Administration、MBA)は、経営学を修めたものに対して授与されることのある学位。英米圏においては実務経験(AMBAは3年と規定)を有する社会人を対象としたマネジメントプログラムを提供するビジネススクール(経営大学院)、日本においては大学院(修士課程または専門職学位課程)が、これを授与する。

高校・大学・大阪府警でラグビーに打ち込み、33歳で「千草」の大将に
千草の開業は戦後すぐ。祖母が始め、1949年に現在の天満に移ってきた。特上の豚ロースを生地の間に挟んで蒸し焼きにし、青のりに代えてケシの実をふりかける店のオリジナル「千草焼」をはじめ、いろんな種類のお好み焼きと焼きそばは根強いファンをつかんで、平日の午後もひっきりなしにお客さんがのれんをくぐる人気店として定着している。2代目の父を継いで蜷川氏が店に入ったのは33歳のとき。それまでは、ラグビーに明け暮れる毎日だった。

ラグビーがしたくて当時は強豪の北野高校に入りました。北野の先輩で大阪府知事・大阪市長を務められた橋下徹さんが高校ラグビーの聖地・花園を駆け回ったのは、僕が中学3年のときです。大阪教育大でも続け、大阪府警ラグビー部の監督さんに声をかけていただいて府警に入り、ここでもナンバー8やフッカーとして試合に出ていました。でも、毎年若い選手が入ってきますから、年上は次第に押し出されていきます。僕も33歳でラグビー部を卒業、それと同時に府警を退職して千草に帰ってきたというわけです。中学生のころから店に出ていましたので、店を継ぐことには何の抵抗もなかったですね。
変化のない日常に飽き足らず2号店出店。10年続けるも商売の難しさを味わう
店は順調だった。特に宣伝しなくても、お客さんは途切れることなく入ってきた。毎日仕事をしていたら1日が終わっていた。しかし、そんな状態が物足りなくなったころ、天満から近い同じ帝国ホテル横のOAPタワーの地下に店を出さないかという話があり、1年後、千草2号店を開店。ここで、商売の難しさ、特に人気店の2号店ならではの運営の厳しさを味わうことになった。

今まで通りやっていても先細りするのは見えていると感じていたこともあって、2号店に踏み切りました。しかし、所が変わればお客さんは変わります。滞在時間や注文メニューも千草と同じではありません。それに応じてやり方は変えていきましたが、味は変えませんでした。でも、同じ看板を掲げていたら、お客さんはどうしても本店との違いを探し、自分の思っているものに近づけようとするんですね。同じことは店の空気感についても言えます。天満の店の空気感はOAPでは生み出せません。2号店は2号店独自の空気感が生まれてくるもので、ここでも本店との違いをお客さんが感じてしまいます。元の店が100だとしたら、いくら頑張っても110にはできないんんですよ。難しいですね。
商売の新たな魅力を感じた屋形船「満天丸」
そんな目に見えにくい壁があって、2号店は10年で閉めた。しかし、現状維持では気が済まない性格は、いろいろなチャレンジを生んでいく。大川に浮かべた船で食事を楽しむ「てんま屋形船・満天丸」もその一つ。2010年のことだ。大川を行きつ戻りつしながら豚しゃぶコースや天ぷらコースの料理を提供した。

知り合いから持ち掛けられたんです。ちょうど、大阪府・市や大阪商工会議所などが「※②水都大阪」を打ち出したころだったのに加え、2号店で大川を前にしていろいろ考えていましたので、開業に踏み切りました。調理場のある船を東京から取り寄せて始めたのですが、船は沈んだらおしまい。エンジンが止まったらどうするかなどということも頭をよぎります。何より、大川には船を係留する場所がありません。こうしたことから、しばらくして船を売り払いました。ただ、普段の生活の場ではなく特別な空間を提供し、お客さんとそれを一緒に味わえるのはとてもいい経験で、調理場のある舟の魅力を再発見しました。少し始める時期が早すぎたのかもしれませんね。
※②水都大阪:大阪はかつて「水都」と呼ばれ、水運に支えられて経済・文化の中心として発展してきましたが、モータリゼーションの発達等により、水都としての輝きが失われつつありました。2001年、「水都大阪の再生」が国の都市再生プロジェクトに採択されたことを契機に、都心部をロの字の河川が囲む「水の回廊」という特徴を活かし、「水都大阪」を都市魅力創造の核とした取り組みを官民連携で進めたもの。
MBA取得目指して勉強中。商売以外にも広がる視野
結局、元の天満のお好み焼き店の大将に戻った蜷川氏だが、「何かをやっていたい」という自分の中の基準は変わらなかった。今、3年間にわたって続けているのがMBA取得への挑戦。著名な経営コンサルタント、大前研一さんが学長を務める専門校で、オンライン授業を受けながら、ときどきは東京に出かけて同じ目標を持つ仲間と会って、刺激を受けている。

今まで経営者としてちゃんと勉強できていなかったんですよ。実践でしか学んでいないので、人間としても経営者としても幅が狭いと感じていました。下町のおっさんがMBAを持っていたら面白いやろなという気持ちがあったのですが、今では、MBAの資格を取ること以上に、自分で何がしたいか、そのためには何をするか。勉強を通じて自分で考えることが大事だということを学んだのが何よりの成果だと思っています。単に理論を学ぶより生の経営者の声を聞く方が勉強になりますね。やる気を触発されます。飲食店からいろんな活動の幅を広げていきたいと考えるようになりました。
スポーツ、教育と職を結びつける方策を模索中
元ラガーマンらしく、スポーツへのこだわりは強い。そして、大阪教育大学で教員資格も持っているうえ、子供が小さいころ、小中学校のPTA会長をずっとやっていただけに、教育にも関心は高い。小学校でラグビーを教えた経験もある。

最近スポーツ庁で公立中学校の部活動の指導を、休日だけ外部に委託する方向性が打ち出されましたが、安い時給で来てくれるのは、リタイアした中高年の元教員らに限られるのではないでしょうか。本当にスポーツの楽しさを味わってもらうためには、バリバリの現役や若い人が参加すべきなんです。そのために、スポーツと職業をつなげる取り組みができないかと考えています。たとえば、飲食業は慢性的に人手不足ですが、飲食業界に働く場をつくりながら学校に関与する仕組みがつくれないかと。スポーツを発展させるには支える人間が多くないとダメです。さらにもう一つ。学校スポーツにおいては勝った負けたではなく、プロセスを活かすべきです。大学の後輩でそういう活動をしているので、その活動を教えてもらいながら自分に何ができるかを考えています。
ベースはあくまで千草。地域と人のつながりを大切に新たな道を開拓
蜷川氏が大切にしているのが地域とのつながり。大阪天満宮の氏子青年会の活動に30年間取り組んでいる。

祭りにかかわっているとそこから人間関係が生まれます。それを大事にしたいですね。僕は親に育ててもらったというより町や祭りに育ててもらったという気持ちが強いんです。人間関係を学ぶのも祭りでした。基本的に人と会って話をするのが好きなんですね。10年後、20年後もそこから新しい課題を見つけて、今と同じようにあれこれ考えながら新しいことをやっていると思いますよ。でも、ベースはあくまで千草です。それはお店をやっているからこそ人とのつながりができ、地域とのつながりも深めていってくれますから。千草も、ただ残すだけが仕事ではないと考えています。ただ、続ける良さも確かにあります。僕が75歳になるとき店が100周年を迎えます。そこまでは新しいことをやり続けたいと思っています。
そう語る蜷川氏には現状に立ち止まらず前に突き進むラガーマンの神髄が心に生き続けている。
