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「私たちは家族じゃない」 都島の訪問看護が守る“家での最期”
大阪市都島区医療・介護・福祉新着女性社長

「私たちは家族じゃない」 都島の訪問看護が守る“家での最期”

2026.04.22
株式会社なないろ

株式会社なないろ / 代表取締役・管理者・看護師 長谷川泰子 氏



「私たちは家族じゃない」

その言葉は、冷たさの宣言ではない。看取り(※)の場面でこそ、支える側として立ち続けるための、覚悟の輪郭だ。

(※)看取り:回復の見込みがない終末期にある人に対し、身体的・精神的苦痛を和らげながら、本人が尊厳を保ち自分らしい最期を穏やかに迎えられるよう、そばで見守り支えるケア全般を指します。

大阪市都島区で在宅の暮らしを支える「なないろ訪問看護ステーション」。
その現場を束ねるのが、株式会社なないろ(以下、なないろ)の代表取締役であり管理者でもある看護師・長谷川泰子氏だ。

なないろが掲げるのは、「住み慣れた家に帰りたい」「大切な家族と暮らしたい」という願いにすぐ対応し、できることを尊重しながら“家でのあたりまえの暮らし”を整えること。
長谷川氏は「ゆりかごから旅立ちの時まで、暮らしを紡ぐ、繋ぐ、感じる」訪問看護を目指す。

「私たちは家族じゃない」 都島の訪問看護が守る“家での最期”


看取りで“支える側”に立ち続ける


長谷川泰子氏は、看取りの場面を語るとき、境界線を曖昧にしない。家族と同じ場所に立てば、同じだけ揺れる。だからこそ、線を引く。

私たちは患者さんの家族ではありません。本人さんとご家族を支える側として、望む過ごし方を整えることに集中したいんです。


家族が「どんな介護をしたいか」は、家族ごとに違う。必死でやり遂げたい人もいれば、距離を取りたい人もいる。
支援側はその揺れに巻き込まれず、残される家族が“死を受け入れ、明日から歩ける”ように整える。
伴走者として横にいる。ただし家族にはならない。それが、なないろの立ち位置だ。

「断らない」を“運用できる”体制


なないろが運営するのは、「なないろ訪問看護ステーション」「ヘルパーステーションなないろ」「ケアプランセンターなないろ」。
3つの事業が同じ拠点にあることで、在宅の時間に並走できる。

看護師は30名以上。看護職以外に理学療法士・作業療法士・言語聴覚士も在籍し、地域密着型の事業所の中では「珍しいタイプの大きい事業所」だ。

同一施設内で看護・リハビリ・介護職員・ケアマネジャーが勤務し、訪問の都度タイムリーに情報共有できます。遠方・地域外など物理的に無理な場合もありますが、重い病状でもまず聞いて、どう対応できるか考えることから始めます。今のところは断らずにお受けできています。


ポータブルエコーなど、訪問看護のケアに役立つ道具を現場に置き、医師への共有を滑らかにする。

画像や数値で共有できる道具があれば、先生への報告がスムーズになります。齟齬(そご=くいちがい)が起きにくいんです。

“断らない”は気合いでは続かない。多職種と仕組みで回る形にしてはじめて、質を落とさずに受け続けられる。

「私たちは家族じゃない」 都島の訪問看護が守る“家での最期”


このままで人生が終わる!


長谷川氏は学生時代から、最期の迎え方を含めた「生き方」そのものに関心があり、緩和ケアを学べる看護師になりたいと思っていた。卒業後、緩和ケア希望で入職したが配属は血液内科。白血病やエイズなど、死に直結する場面が多い科だったという。

受け持ち患者の発熱ひとつで頭がいっぱいになるんです。看護師、向いてないと思いました。仕事が終わっても頭が切り替わらなくて、家に帰っても「なんとかしないと」とずっと引きずってました。


そんな時期に、妹に誘われてカフェを始めた。看護師のアルバイトと掛け持ちしながら大阪と東京を行き来し、店を回した。常に忙しく、お店のファンもついた。だが経費がかさみ、赤字が続く。

このままいくと人生が終わる、と思いました。20代後半ですね。好きな店やのに、数字がずっと首を絞めてくるんです。


そこで長谷川氏は、固定費を抱えるやり方をいったん手放し、「店を持たない形」に切り替える。谷町六丁目ではバーの一角を間借りし、予約と段取りで席を埋める運営にした結果、満席が続き「一番売り上げた」経験にもつながった。

そんな中、飲みの席で“訪問看護で有名な人”と出会い、アルバイトで訪問看護の世界に入る。

入ってみると、訪問看護は、暮らしの中でその人の「いつもの時間」を相手にする。毎回条件が違う。そこに看護を見つけて組み立てていく難しさが、刺激的でした。


その後、訪問看護にのめり込むほどに、足は次第に大阪へ寄っていった。

東北での経験が“在宅の覚悟”を決めた


訪問看護を始めて3年目に、東日本大震災が起きた。退職して東北へ行く意思を伝えると、所属先の管理者が道を作ってくれ、岩手県陸前高田市で訪問看護師として活動した。事業所が流されても利用者はおり、仮設住宅・避難所等にも訪問ケアが必要だった。

東北で一番つらかったのは、孤独でした。職員さんは被災当事者で、私は外から来た立場です。ボランティアとも温度感が違って、その“間”にいる感じがありました。


その“間”に立つ感覚は、在宅にも通じる。家に入れば、暮らしの数だけ前提がある。誰かの当たり前は、別の誰かには当たり前ではない。長谷川氏は、在宅では価値観の違いに触れる中で「普通」という言葉を簡単に使わなくなったという。

在宅の看護は、医療だけで完結しない。暮らしの優先順位を整え、言葉にして、関係者に伝える。そのプロセスを“コーディネート”していくことに、長谷川氏は魅力を見いだしていった。

小さな管理者経験から「なないろ」を立ち上げる


東北から帰阪後、長谷川氏は立ち上げ間もない小さな事業所で管理者を3年務めた。現場を回し、体制を整え、人を育てる。管理者としての日々は、目の前のケアだけでなく、「この事業所は何を大切にして、どこへ向かうのか」を問い続ける時間でもあった。

続けるほどに、「自分がやりたいケア」と、組織が選ぶ優先順位のずれが見えてくるんです。追求したいことは、他人に代わって決めてもらえない。最後は、自分で舵を取るしかないと思いました。


長谷川氏はそう腹を決め、独立を選んだ。
開業時は、資金はほぼなかったが、冷蔵庫や炊飯器、コーヒーメーカー、机といった物品を知人から支援してもらい、初期費用を抑えてスタートできたという。

「私たちは家族じゃない」 都島の訪問看護が守る“家での最期”


訪問の現場は「日常」の顔をして、いつでも「命」に触れる。医療事故や医療ミス、ヒヤリハット(重大な事故には至らなかったものの、「ヒヤリとした」「ハッとした」ような危ない出来事や状況)。
可能性をゼロにはできない。利用者・家族・医師など関係者からのクレームもあり、謝る場面も少なくない。

だからこそ、起きたことを隠さない。小さな違和感も握りつぶさず、言葉にして共有し、常に話し続ける。安全を“空気”で回さない。在宅を続けるための覚悟が必要なんです。


仕事はきつい。くじけて泣くこともある。若いスタッフは入職3ヶ月以内に壁が来て悩むことが多いという。長谷川氏は、スタッフの顔色や表情の変化を見て、声をかける。本人から「時間を取ってください」と言ってくることもある。
その場で急いで結論を出さない。「答え」を渡して終わりにしない。会話を重ね、揺れを言葉にしてすり合わせる。焦らなくていい、と伝える。
この仕事の答えは利用者や家族の言葉に集約される。「ありがとう」よりうれしいのは、「家で過ごしてよかった」「連れて帰ってこれてよかった」という声だ。

「私たちは家族じゃない」 都島の訪問看護が守る“家での最期”

ホスピスで地域の受け皿をつくる


長谷川氏はいま、「ナーシングホームホスピス(ホスピス型の住宅)」の立ち上げを進めている。工事は始まったばかりで、完成は2026年9月頃を見込んでいる。
狙いは、在宅を望みながらも医療的ケアの重さで家族が疲れ切り、「家を諦める」状況を減らすことだ。都島区では入所先が郊外になりがち。
「地域内に受け皿をつくりたい」その発想が根にある。
ただし、ホスピスは「自宅ではない」。

ホスピスは“止まり木”みたいな場所にしたいと思っています。一時的に頼って、また家に戻れる「もう一つの家」を、都島の中につくりたいんです。


「地域で暮らしたい」は特別ではなく“普通の願い”。
その普通を普通のまま叶え続けるために、なないろは組織も仕組みも整え続ける。

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株式会社なないろ
本社:大阪市都島区都島本通4丁目22-9 なないろビルヂング
オフィシャルサイト:https://www.nanairo7.com/