株式会社アオキ / 代表取締役社長 青木 理(おさむ)氏
株式会社アオキは部品加工事業を主業とする、東大阪市高井田の企業。
1997年にはアメリカに本社を置く世界最大の航空宇宙機器開発メーカーであるボーイング社から信頼を得て同社の認定工場となった。
また東大阪のものづくり企業が集結し、2009年に打ち上げに成功した人工衛星『まいど1号』(※)に関するプロジェクトの中心的存在を担うなど、高い技術力を誇る。
社は1961年に個人事業として創業し、1979年に法人化。現在は創業者の孫である青木 理(おさむ) 氏が、代表取締役社長を務めている。
(※)まいど1号:大阪府東大阪市の中小企業が中心となって開発した小型人工衛星。JAXA(宇宙航空研究開発機構)などの支援も得て、2009年1月23日に種子島から打ち上げに成功。不況下の関西を活気づけ、次世代への技術継承や地域産業の活性化を目的として、様々な企業の技術を結集して製作された。

高度経済成長期に祖父が起業したのが始まりで、当初から時代の風に乗って業績は良かったようです。そういうところから始まって、私の父である二代目の時代に航空機業界に関わっていったのが、弊社が飛躍する転機になりましたね。
そこから現在も航空・宇宙関連の部品製造がメインでして、売り上げの半分強の割合を占めています。そのほかでは色んな事業展開や研究開発に関するものづくりに携わっているといった現状です
青木社長は幼少期から手先が器用でものづくりに興味があったこともあり、大きくなったら会社の跡継ぎになることを考えていたという。
大学を出てから修業ではありませんが、外に出てみようかとも思いましたが、私の時代は就職氷河期だったんです。それでも一応、弊社と取り引きのある金融機関の入社試験を受けたのですが、見事に落ちました(笑)。もともと父親からよそに行かず、そのままうちに入れとも言われていましたので、そうすることにしました

跡を継ぐことになる原点となった、心温まるエピソードも語ってくれた。
小学2年生のころに、父親と風呂に入っていたときの話です。ちょっと元気がなさそうだったので、元気を付けたろうと思って「大きくなったら、僕が会社を継ぐわ」と言ったら、父親が半ベソをかいたんですよ。いつも元気だった父親が見せたそんな姿に、子供心にも「アカン、ウソつかれへんやん」と思ったのを覚えています。そこで私のなかに、会社を継ぐことがインプットされたんですね
大学を卒業し家業に入社、父から学んだのは人との縁
入社後はまず、現場の仕事に就く。高校時代にここでアルバイトをしていたこともあり、仕事はスムーズにこなせた。やがて営業も担当するようになり、経営的視点からも会社を見るようになった。父の経営から学んだのは、人との縁の大事さ。
通り一遍ですが、やはりそれですね。それはやはり、大事なんです。私は大学を卒業してからすぐここに入社したので、ほぼ物作りしか知らないと言ったほうが良いかもしれません。だけど会社は技術力があったり、品物が良ければ安定するかというと、そうではない。いろんな情報や協力を得るには、人の縁が大事なんです

「まいど1号」のプロジェクトを通じても、父から大事なことを学んだ。
父親が『まいど1号』をやりましたが、弊社に何ができるかといえば、実はそれほどないんですよね。ハード面で部品などは作れますが、人工衛星を打ち上げるとなったら電気制御なり、私たちがやったことのない技術がたくさん必要なんですよ。普通だったら、自分のところでできることだけをしっかりやろうとなると思います。でも父親は、外部の会社や人も取りまとめてやっていった。私はそういったやり方から、大事なことを学ばせてもらいました
そして2013年に正式に事業を承継。三代目社長となった。事業継承者はこれまでの社の在り方を引き継ぐ者もいれば、新たに自分の色を加えようとする者もいる。青木社長の場合は、どうだったのか。
先代も同じでしたが、ものづくりをやる以上、私も思うことが大きくなってきているんです。そのひとつは、自社製品を作ること。メーカーにならな、アカンと思うんですよ。BtoCなのかBtoBなのかは別として、お客さんに喜んで使っていただける自社製品を開発したいなと、ずっと思っていますね
一朝一夕に叶うものではないことは承知しているが、それでも粘り強く動きを続けている。
所詮私らは部品作りだけしかできないので、なかなか難しいのは事実ですね。実際にそうなるにはM&A(合併・買収)をするとか、メーカーさんの一部といっしょになってメーカーの機能を得て、そこで価値を高めていく。そういうやり方を10数年前から模索していますが、こればかりはご縁ですから。今のところなかなか上手くはいっていませんが、間口はつねに開けているつもりです。実は数年前に、実際にM&Aをしたんですよ。同じ部品加工業ですが、弊社と取り扱われる部品が少し違うんです。弊社が得意とするところと、M&Aした先が得意とするところが一緒になって、やれることの幅を広げました。だからM&Aは、今後も続けていこうと思っています
もうひとつ考えにあったのは、自分の代で航空・宇宙産業分野のイメージを変えたい、脱却したいということ。
私たちの歴史でいうと1990年代から航空機の分野に入っているわけで、もう30年くらい携わってきています。それもあって弊社は航空・宇宙分野の企業というイメージが強いので、なにか違う分野にも挑戦しようと、いろんな業界の仕事をやろうとしていたんですよ。でもコロナ禍になって航空機もアカンし、もちろん全産業がアカンかったのですが、いろんなところに携わる機会があったんです。それをきっかけに、今も少し仕事が来てたりはしています

経営理念にある「最強の中小企業を目指す」の真意とは
実際に異分野に手を広げてみたところ、あらためて再確認したのは自社の強みだった。
やはり、私たちの得意分野は航空・宇宙産業分野やなと思ったんですよ。それに今は、世界情勢が読めない時代じゃないですか。半導体や自動車といった大きい業界ですら、動きが読めない。そんななかで今、最も先が読めるのは航空と宇宙、防衛産業なんですよ。そういう産業に携わっていかないと、シンドいんじゃないかなとは正直、思いますね。
私たちは従来からその業界に携わっていて、今年から再来年にかけては少し上向くことが多少なりとも見えています。そういうのが見えてるだけでも、ありがたい。そう感じたことが、弊社の強みを再認識したというところですね
とはいえ航空・宇宙産業に軸足を置きながら、培ってきた技術をもとに水平方向に事業を広げる施策も考えの中にある。
そのひとつは、“医食住”への展開。
医はコロナ禍で実感した医療分野の重要性。食=食品関連は人間が生きるために欠かせないもの。住はインフラ面で、ものづくりに携わることである。
エンドユーザーの使用する装置か、あるいは道具なのか。メーカーとしてそこに寄与するのがベストではあるが、部品加工に携わることでも構わない。これからは、その方向性を見つけていきたいと言う。そういったことも含め、三代目社長はこれから先に、社をどのような未来に導いていくと考えているのか。
短中期でいうと、今はまず航空・宇宙・防衛産業でしっかりと利益を確保できるような状況にしていくことが肝要だと思っています。現状では弊社のものづくりの本業自体が、少し厳しい状況にあります。そのあたりの体制を構築し直して、利益が出せるようにしないといけない。利益が出ていればいろんな挑戦もできますし、レアで尖った技術が必要なものづくりにも携わっていける。それをしながら利益を出せていったらM&Aもできるでしょうし、必要な融資も受けられるでしょう。そのための体制作りは喫緊の課題で、この2~3年にやらないとアカンことだと思っています
アオキ社の経営理念のなかに、『最強の中小企業を目指します』との一文がある。そこに込められた真意は、こうだ。
「最強の中小企業を目指します」とはなにかといえば、シンプルなんですよ。潰れない会社。
そうするためには、どうすればいいか。それだけを考えて、私は経営戦略などを練ってやっています。私たちが目指している、メーカーになることもそのひとつ。M&Aも必要ですが、それに頼るばかりではなく自分たちでアイデアを出して、やれることをやらないといけない。それに今後は、海外との取引も重要になってくる。そういったところでは若年人口が増加し、GDPの面でも成長傾向にあるインドネシアに注目しています。そういった施策をとっていって、潰れない最強の中小企業にしていきたいと思っています
