株式会社山田製作所 / 代表取締役社長 山田 雅之 氏
山田雅之氏は1959(昭和34)年にプレス加工業として創業した、山田製作所の3代目社長である。創業者は父で、次に兄へと受け継がれ、現在は自身が代表取締役社長に就いている。

創業したのは大阪市都島区で、最初は掘っ立て小屋みたいな工場だったそうです。そこで10年近くやって、もっと事業を伸ばそうと1968(昭和43)年に今の大東市に移転してきて、翌年の7月に法人化しました。当時の私はまだ幼稚園に入る前だったので、そのころの記憶は引っ越したことがおぼろげにあるくらいなんです
山田製作所の主事業は、製缶・板金である。鉄板を切って曲げて、溶接する技術で産業用機械を作ること。
産業用機械とは要は、なにかを作るための機械です。たとえば化粧品の原料を運ぶ機械や、海水から氷を作る装置の一部分を設計・製作したり、最近では液晶フィルムに使われる光学フィルムを作る装置の一部分など、いろんなものを作らせてもらっています。最近では設計から、据え付けまでやっていますね。お客さんのほとんどは、機械メーカーさんや装置メーカーさんです
同業他社にない自社の強みを訊ねると、誇らしげにこう言った。
手のひらサイズのものから大型製缶まで、どんなものでも対応できることですね。それから、自社で設計ができるのもそうです。多くはお客さんから図面をいただいてモノを作るのですが、最近はお客さんから要望を聞いて製作図を作り、そこから作っていくことも増えてきました。図面が作れる、設計ができるのは強みですね。今後はここを、もっと伸ばしていこうと考えています

製造者にとどまらず「メーカーになりたい」の思いから、管理システムの開発を手掛ける
山田社長は現場作業をこなしてきた技術者出身の経営者であるが、クリエーター的な視点の持ち主でもある。現場の経験から、作業の進捗具合を発注元が把握し辛いことが問題であると、かねてから考えていた。そこで独自に進捗管理システムである「ちょくレポ」を開発した。これは製品ができるまでの進捗を、顧客にわかりやすく伝えるシステムである。顧客ごとに専用のページをウェブ上に設け、そこでコメント付きの写真や動画で工程の進捗具合を伝えるというものだ。これにより発注者は現場立ち会いや頻繁な電話、メールなどでの連絡から解放される。


このシステムに工程の進捗具合を逐一、写真や動画でアップしていって、このなかでお客さんとのやり取りもできます。ここにアクセスすれば、お客さんはいちいち問い合わせをせずとも、進捗がわかるというサービスです。最初はメールでやっていたのですが、ソフト化しました。互いに作業の進捗に関する電話連絡などのやりとりが省けますし、お客さんにとっても『今はこの工程が進んでいるのか』が明らかになって、安心材料にもなります。私たちにとっても、同じ発注が来たときに記録が残っているのもメリットですね
このほかにも、工程を手書きで管理する「Y-decl(ワイデクル)管理ボード」を製品化している。これはアナログにこだわったホワイトボード型で、その利点は目で見て、全員で作業が確認できること。ひいてはそれが、作業効率を上げることにもなることを謳った製品である。

これらの製品やシステムの開発に、製缶・板金の製品を図面から設計することなど、山田製作所は自社発の取り組みにこだわる。その根底にあるものは憧れだと、山田社長は語る。
それはやっぱり、ありますね。私たちのような受注型企業にすれば、やはりメーカーになりたい思いはあるんですよ。だから自社商品が欲しいと、ずっと思っていました。私が社長になって『メーカーになりたい。そこを目指そう』と社の成長ビジョンにも記しました。お客さんのご依頼にお応えする技術力には、もちろん自信があります。だけどそこにとどまっていては、私たちの成長はありません。会社の名前を売ることも大事ですが、それが第一の目的ではない。メーカーになるに見合った力をつけて、それに相応しいように商品力を高めていくことが大事だと思っています
支援学校出身者を初雇用 それが社内に、新たな風を吹かせた
山田社長の代になって新たに手を付けたひとつは、支援学校出身者を雇用することである。今年の4月に、初めて採用した。初の取り組みに当初は不安も否めなかったというが、この試みが社内に新たな風を吹かせた。
これまで従業員の技術研鑽に関しては『仕事は見て覚えろ』と、『勉強会を開いて教育する』を行き来していました。そのどちらも一長一短で、最近は見て覚えろにまた針が振れてきていたんです。でも支援学校出身者のコを迎え入れるにあたって、やっぱり見て覚えろでは無理だろうと。それもあって、もう一度、教育体制を見直すことにしました
製造業にとって従業員のスキルアップは、生産効率の向上につながる欠かせないものである。そのための教育は社にとって重要なものであることに、あらためて気付かされた。また当初は支援学校出身者を遠巻きにしていた従業員たちも、時を経るごとに互いの距離を縮めて新たな人間関係を構築していって、現場の雰囲気もこれまでとは変わってきた。

支援学校出身者のコは昨年の秋に、職場体験に来てくれていました。本人も入社に前向きだし、私もやれるんじゃないかと思っていたんです。だけど会議で発言はなかったけど、終わってから一部の従業員に『やっぱり、迷惑だ』という言葉が出ていることは聞いていました。でもその反面、私にはみんなが教えてくれるやろう、協力してくれるやろうという気持ちがあったんです。最初のころこそ腫れ物に触れるようなところはありましたが、時間とともに慣れてきて、今ではすごく可愛がってくれています。もちろん安全面には殊更に気を付けていますが、すごく可能性を感じるので、そのコにそろそろ溶接をやらせたいなと思っているところです
代表取締役社長就任後、次々と目標を達成 今後は社の発展に第一の、新工場建設を目指す
山田製作所を訪れたのは夏の真っ盛りだったが、驚いたのは作業現場の空調が整っていたことである。工場作業の現場は空調整備まで手が及んでいないことも少なくないが、これも山田社長が就任してから掲げていた将来ビジョンに則って実現させたものだという。そして山田製作所が、これからも歴史を紡ぐための一丁目一番地としているもの。それは、新工場の設立である。

テレビに取り上げられること、展示会に出すこと。それにISOを取ること、エアコンやパソコンを使って仕事をしていること。私が山田製作所に帰ってきたころのビジョンは今、叶っています。これから先、この会社が成長していくためになにが必要か。私の思いもそうですし、従業員に問うてもやはり新工場だと。それが、共通の目標になっています。そのためには、もっと売り上げを伸ばしていかないといけない。それが、社内の共通認識になっていますね。そこに向かうことで従業員の収入が増えますし、新工場の設立が近付く。それらを実現させることを、目指していきます
そう話す山田社長は新工場設立に向け、しっかりと舵を切った。
