株式会社摂津金属工業所 / 代表取締役 田中啓司 氏
株式会社摂津金属工業所はパイプを中心に、金属加工を手掛ける東大阪の企業。その歴史の始まりは昭和初期にまで遡り、1936(昭和11)年に先々代が創業した。当時は個人事業のいわゆる町工場であったが、1967(昭和42)年に二代目が法人化して事業を拡大。そして2010(平成22)年に、三代目にあたる田中啓司氏が代表取締役に就任した。創業から現在までの社の歩みを、田中氏が語る。

創業者は私の祖父で、当時はパナソニックやカミソリメーカーのフェザーの仕事を下請けで請け負っていたそうです。父の代になって法人化し、オフィス家具を入り口に事業を広げていきました。やがて小売店のチェーンストア化が始まり、その流れで小売店の店舗什器を作らせてもらうようになって、業績をぐっと伸ばせました
同社が手掛けた小売店の店舗什器とは、商品の陳列棚。柱となる垂直方向に延びるパイプに、棚を受けるための穴を開け、棚の高さを自由に変えられるようにしたものだ。

実はこのパイプにプレスで穴を開ける技術、先代が開発したものなんです。これは大手さんでもできなくて、当時は我々しかできませんでした。この技術開発がきっかけになって、『これがたくさん量産できる工場が、東大阪にあるらしい』との話が広まり、各社からお声掛けをいただくようになったんです。当時はこのパイプばっかり、作っていましたね

時流に乗れて業績を伸ばし、平成に入ってから10年で工場を3つ立ち上げる。そのように好調な家業を横目で見ながら、田中氏は大学を卒業後、ある金融機関に就職。そこで社会経験を積んだ後、1997(平成9)年に摂津金属工業所に入社した。
先代が無理をして10年で3つの工場を立ち上げたのですが、番頭さんみたいな人が育っていなかったんです。そんな状況で工場新設していたので、先代がひとりで四つの工場を見るような状態でした。それぞれに工場長は任命していましたが、マネジメントが上手く機能していなかったんです。当時は経理全般を母親が見ていたのですが、体調を崩してしまい、そのタイミングですぐに戻ってきてほしいと言われました。家業がピンチなのに、長男として嫌だとは言えません。それで、家業に入ることになりました
家業に入ってほどなくして、
社の最大の危機に直面する
入社後は前職での経験を活かし、母親に代わって経理全般を見ながら営業・製造部門の管理など、あらゆる業務に携わった。だが入社してほどなく制定された法律が、同社に創業以来、最大の危機をもたらす。1998(平成10)年6月に公布され、2000(平成12)年6月より施行された大規模小売店舗立地法(※1)である。
※1 大規模小売店舗立地法(大店立地法)は、大規模小売店舗が周辺地域の生活環境に与える影響を緩和し、地域社会との調和を図ることを目的とし2000年6月1日より施行された日本の法律。
大店法の施行前に駆け込み需要があり、その反動でめちゃくちゃ減るという需要の増減がありました。それとお客様の調達先が海外へシフトし、我々の仕事もかなり中国に流れていったことが重なって、急激に業績が悪くなったんです。またそのころはちょうど、3つの工場を新しく立ち上げる際に受けた、融資の返済が始まるタイミングでもありました
それは入社して3~4年目、年齢はようやく30歳になろうかというところ。資金繰りに終われる日々のなか、番頭役として会社を存続させるために、いくつかの工場の閉鎖を決めることとなる。
あのときは先代と年齢が同じぐらいの人たちに、『工場閉鎖します。退職して下さい』と言って回るのがほんと辛かったですね。『先代やったら、そんなこと言わへん』と言われたこともあります。だけど本丸を守るためには、やむを得ないことでしたから……。工場を閉鎖して走り回ったのは、本当にしんどかった。正直あのころのことはもう、思い出したくもないです(苦笑)
辛い時期を乗り越え、業績を回復させたのは、ひょんなことから。
それまではパイプを鋼管メーカーから購入していたのですが、それを内製化して社内で板からパイプを作る事業に乗り出し、それが上手くいったんです。ちょうど、それをやっていたメーカーさんが廃業されことになって、それを作る機械を安く買わせていただきました。それによってパイプがかなり安く作れるようになり、それが利益の源泉になっていきました

田中氏はその出来事を、「チャンスが転がってきた」と表現した。だが先代とともにつねに業界の動向にアンテナを張り、技術の研鑽を欠かさなかったからこそ、その幸運がつかめたのだ。
先代は本当に、工場経営の人なんですよ。元々プレスしかしていなかったのに、溶接もできるんちゃうか、塗装もできるんちゃうかと次々と新しいことにチャレンジして、加工の幅と技術をどんどん広げていきました。その姿勢がつねにあって、塗装まで行ったから、今度は逆に材料を作ってみようかと。そういう発想を、ずっと持っていたんですよ。先代も業界へのアンテナを張っていたようで、そのパイプを作る機械の見積もりも取っていました。それを見たら、もう莫大な金額。当時の弊社の財務状況ではとても買えないので、私が必死になって止めていました(笑)。そんなところに、中古機械を安くで譲っていただける話が舞い込んできたんです。あれは本当に、幸運でしたね
技術を活かして、新たな分野に進出
自社製品の成長に力を注ぐ
今では業績も安定し、金属加工の技術を活かした商品の幅を広げようとトライしている。鉄と天然木によって空間を構成する、ルーバー敷き(※2)の壁面システム「RooM in RooM」をリリース。さらに新たなブランドとして、パイプレーザー加工技術を活用したオーバルパイプのスチール製家具シリーズ「KOSEN」を立ち上げた。いずれも機能性と耐久性はもちろん、デザイン性に長けていることも特徴だ。

※2 ルーバー敷きという言葉は、建築やインテリアの分野で使われる専門用語で、細長い板状の建材である「ルーバー」を、一定の間隔を空けて並べて設置することを指します。
これらは、自社商品の企画開発をしたい思いから発展したものです。ずっとOEMで、ほぼ下請け仕事というか、お客さんの要望に合わせて物を作っていましたが、我々にも開発力がついてきました。かねてから企画から入って自分のところで売ってと、完結できるようなものを作りたいという思いがありました

新たな挑戦であるゆえ、まだまだ課題があることも認識している。それをクリアにし、ビジネスベースに乗せるために取り組んできた。
『RooM in RooM』はじわりと売れてはいるのですが、難しい面があるんです。設置する部屋のサイズはそれぞれですし、窓や壁面のスイッチの位置も違うので、個別の対応が必要になります。物作りの理屈から言うと、私たちは同じサイズの同じ物を大量に作りたい。だけど、それがなかなか叶わないんです。私たちは施工部隊を持たないのでビジネスとして上手く成り立たず、うちの設計開発の手が空いてるときなら受けられるといったレベルで、ちょっと苦労していました。だけど今はだいぶ仕組みが整理できてきたので、これから再度、拡販していこうかなと思っています

培ってきた確かな金属加工の技術を持ちながら、東大阪の本社では多品種・小ロットと多角的なニーズに、そして三重の工場では大量生産に応えることができる。加えて、企画設計を自社で行えることが、摂津金属工業所の独自性。商品を企画設計し、自分たちで図面が書ける町工場は、そう多くは存在しない。今後はその強みを、さらに伸ばしていくつもりだ。
社会情勢の変化にも対応しながら、
トップは来たる100年に目を向ける
その一方で、本業の事業は海外勢との競争や昨今の円安、国内市場の縮小など、さまざまな課題に直面している。そうした今の難しい時代を、社を統べる者としてどう乗り切る考えなのか。
今はまだ薄くしか考えられていませんが、国内の市場がシュリンクしながら、私たちと同じサプライヤー(※3)も減ってきている。工場が減ってきているんですよ。そういう意味では、まだまだ国内でも大丈夫かなと思っていて、今もありがたく引き合いを頂戴できています。いろんなお客さんから、生産能力を上げてくれという話もあるくらいなんです。それにこれだけ円が弱くなってくると、海外で全然、勝負できるんじゃないか。東大阪で作って、海外に売る。そのチャンスはあるだろうなと考えているので、それを狙いたい考えもあります
※3 サプライヤー(Supplier)とは、企業や組織に対して、製品やサービスを供給する企業や個人のこと。日本語では「供給業者」や「仕入れ先」などと訳されます。
祖父の創業時から重ねた歴史は、およそ90年。田中氏の代で、100年を向かえることが視野に入っきた。そこに向かって今後は、新たな分野に積極的に進出するよう舵を取る。

短期的な目標は、今チャレンジしている『KOSEN』という自社商品や、『QUALIA FACTORY(クオリアファクトリー)』という自社ブランドの販促を進めていくこと。商売が好きなので小売り事業にも入りたいですし、家具屋を持つではないですが、自分たちで売る場所を持ちたい思いもあります。それに加えて、海外に販売できる足がかりみたいなものを作っていきたい。具体的に拠点をいくつ持つかまでは落とし込めていませんが、そこに向かっていきたいと考えています


その先、いよいよ100年を迎えるそのとき。摂津金属工業所はどのような企業になっていると、トップはその像を描いているのか。
抽象的な話で恐縮ですが、新しい価値を作って、いかに市場を作っていけるか。そのための商品開発をして、喜んでいただけるもの、心を動かしてもらえるもの、便利なものを作っていくことですね。それを続けることで今は(売り上げが)20億円くらいの商いを、少しでも大きくしていきたいとは思っています。ずっと商業施設の商品陳列しかやってきていなかった企業が、今は住宅にも、オフィスにも入れている。新しい柱が、二つできたんですよね。それに最近は、インフラ系もやり始めているんです。下水管の老朽化が、社会的問題になっていているじゃないですか。その補強工事の案件も、請け負っています。そうやって新しい業種に入っていくことを広めて、新たな柱を増やしていきたいですね
会社を支える柱の数を増やし、それぞれを太くて堅牢なものへと育て上げていって事業の安定化を図る。それと並行しながら、ひたすら磨いてきた技術を異分野にも活用して、企業としての幅を広げる。
田中氏は明確に言葉にはしなかったが、その胸中には金属パイプの加工を出発点とした摂津金属工業所が100年を迎える際には、今よりもさらに上のステージで勝負できる企業とする決意が秘められていると感じた。
