株式会社クーディビジョン アーチ結婚相談室 / 代表取締役 木村 惠 氏
南森町駅・大阪天満宮駅の真上にある「アーチ結婚相談室」。オフィスからは、近くにある寄席「天満天神繁昌亭」からの出囃子の音も聞こえるという。そんな場所でこの結婚相談所を営むのが、株式会社クーディビジョンの代表取締役、木村惠氏である。
木村氏は「婚活」という言葉が生まれる前から活動し、多くの男女のキューピッドとなってきた。
結婚相談所を使うと費用はかかります。ですが、仕組みのある場所はスピーディで安心です
と、25年以上にわたり婚活業界で生き抜いた本人の言葉は簡潔で芯をとらえている。
「結婚相談所の地位を上げたい」――そう話す木村氏に、これまでの足跡と今後のビジョンについて伺った。

実家は縫製業、長屋で賑やかに育った少女時代
木村氏は守口市出身で、実家は縫製工場を営んでいた。
長屋住まいで、ご近所仲良く、うちで働く職人さんや出入り業者さんなど、家にはいつも誰かが出入りしていて、大勢に囲まれて賑やかに育ちました
工場では女児の制服のスカートを製造していた。時代は第二次ベビーブーム期で、子どもの制服は作れば作るほど需要がある状況だったという。
「会社ちょうだい」――父の病気がきっかけで事業承継
地元の中学・高校に進学し、大学卒業後は進学情報誌を手がける広告会社JSコーポレーション(※1)に入社した。当時は、バブルの余韻が色濃く残る時代。同社は創業期で少数精鋭の社員たちが営業職でありながら、あらゆる業務をこなしていた。
そんな濃密な20代を過ごす中、父親の病気が発覚する。
※1 JSコーポレーションは、進学情報サイトやガイドブックを企画・運営する広告会社である。https://www.js-corp.co.jp/
家業は株式会社化していたものの、時代の流れとともに需要は縮小していました。入院することになった父は『そろそろ会社を閉めようか』とつぶやいたのです
その言葉を耳にして反射的に浮かんだのが「もったいない」という思いだったという。
これまで多くの人が関わり、歴史を刻んできた工場。その灯を絶やすことがどうしても見過ごせなかった。
そんな気持ちをこころに秘めて、木村氏は7年6ヶ月勤めたJSコーポレーションの退社を決意。そして実家を手伝いながら500万円を増資し、事業承継を決断する。
婚活支援はDNA?!結婚相談所事業をスタート
引き継いだ当初は配達業務などをしていたという。そのうち父が退院して現場に復帰。木村氏は次なる道を模索し、地元FMコミュニティ放送局FM-HANAKOの広告代理業を主軸としていた。
その後、結婚して子どもが産まれたので、FMもりぐちの広告代理の傍らで、自宅で広告制作やDTP作業(※2)などをやっていました。事業の柱を増やそうと考えた時、夫から勧められたのが結婚相談所でした
※2 DTP作業とは、Desktop Publishing(デスクトップパブリッシング)の略で、パソコンを使って印刷物のデザインやレイアウトを行い、印刷データを作成する作業全般を指す。
年齢を重ねても続けられる仕事で、ワークライフバランスを保てると木村氏は考えた。そして選択の背景には母の背中があった。

母は多くの未婚女性を、出身地の滋賀から従業員として呼び寄せていました。そして母は彼女たちの将来を考え、お見合いをセッティングし、昔ながらの仲人をおせっかいでしていたんです
明るく世話好きで、人の笑顔を見るのが何よりも好き――そんなDNAは母譲りなのだろう。1999年に「アーチ結婚相談室」を開設することとなる。
結婚の3大揉め事をオリジナルメソッドで回避!
当時はインターネット黎明期。自社サイトを立ち上げると、徐々にネット経由で問い合わせが増えてきた。成婚者からの口コミも広がり、2007年には結婚相談所が事業の中心となる。
しかし幸せなカップルが生まれる一方で、結婚後にさまざまな壁にぶちあたり相談を受けるケースもあったという。「永続的に幸せな結婚をするにはどうすればいいのかを知りたくて、“婚学”について学びました」と木村氏は語る。
婚学とは元九州大学の佐藤剛史助教が体系化した学問である。その学問のエッセンスの一部をワーク化し「OMUSUBI WORK」と名付けたオリジナルメソッドが誕生した。


結婚後の3大揉め事はズバリ、『価値観の違い』『お金』『家事の分担』です。この3要素を結婚前にすり合わせることで、無用な誤解やすれ違いを防ぐことができます
と力を込める。
がん、介護、不登校。人生の嵐をくぐり抜けて見えた使命
持ち前のバイタリティと機知、“お節介焼き”の性分で道を切り開いてきた木村氏。しかし全てが順風満帆だったわけではない。49歳で乳がんが発覚。ちょうどその時期、高校生の娘が不登校になった。同居の義母、そして実母も認知症を発症。介護と育児と病との三重苦を経験した。
当時は細々とでも仕事をしていることが奇跡と思えるほど辛かったです。そして『一人でできることなんて大したことはない』ということを心から実感したのもその時でした
しかしそれを乗り越えてきたからこそ、改めて誰かの人生を“ちゃんと応援したい”と思えるようになったという。
今後の目標は、後継となる結婚カウンセラーを100人育てること。結婚を諦めていた人が、周囲のサポートと本人の努力を経て豊かに人生を展開する。そんな奇跡の瞬間を多くの人に味わってほしいという。

会員さん夫婦に生まれるお子さんは、私にとって外孫のようなものです。多くのお孫ちゃんに囲まれるという幸せを後輩たちに伝えていきたいです
現在は、自治体の婚活セミナー講師や講演活動も行っている。止まらぬ日本の少子化を背景に、結婚相談所という仕事を超えて「婚活の価値」を社会に伝えている。
人と人が出会い、支え合える未来を、木村氏は今日も南森町から一組ずつ育んでいる。

