正栄工業株式会社 代表取締役 久保勇樹 氏

南海電鉄泉北高速鉄道線・和泉中央駅から南東方向に車をしばらく走らせると、ニュータウン然とした街並みがふいに山村風景に切り替わる。正栄工業株式会社は1968年に堺市で創業し、1989年に現在の和泉市国分町へ本社工場を移転した。社の成り立ちを、2代目代表取締役である久保勇樹氏が語る。
鹿児島の甑島(こしきしま)出身の私の父は、溶接工として東京や大阪など各地を転々としていました。それで最終的には大阪に定着して、溶接の技術でひとり立ちしたという経緯です。やがて溶接だけでは発展に限界があるということで、その前工程である鉄板を曲げたり切ったり、さらにはレーザー加工や塗装をして完成品にして出荷するといった具合に、徐々に規模を拡大してきました。会社として設立したのは1986年です
久保社長は幼いころから父親に連れられて工場に足を運んでおり、そこは遊び場のようなものだった。それゆえに、大きくなったら父の跡を継ぐことは自然と頭の中に染み込んでいた。やがて大学卒業を間近に控え、真剣に進路を決める時期がやってくる。
外で何年か修業してから父の会社に入る考えもありました。だけど当時、専務の立場でいっしょに仕事をしていた父の弟が、独立することになったんです。叔父が出ていくことになったのなら外の会社には行かず、すぐに父の会社に入ろう、ということになりました。入社してから職人の父親に言われたのは『お前は職人にならんでエエから、経営のことをちゃんと勉強せえ』と。それでも10年くらいは、現場でもいろいろと経験していましたね

入社して社内のひととおりの仕事を把握してからは、経営者視点でも社内を見るようになる。汚い状態が当たり前だった工場内を、清潔かつ整理整頓が行き届いた環境にするなど、変えるべきところは変えた。そのうえで、父親が築いてきた大家族主義経営は継承していく。専務時代にはこれからの時代を見据え、当時はさほど普及していなかったレーザー加工機の導入を決めて事業拡大に貢献した。そうして2009年に2代目社長に就任したものの、その直後にリーマンショックが起こる。
その影響と、父からの代替わりが重なったこともあって、20人くらいの退職者が出てしまいました。レーザー加工機を新たに増設して、もっと攻めていくぞというタイミングだったんです。機械の支払いも残っているのに仕事は半減し、人は減っていく。まさにマイナスからのスタートでしたね
どうにか売り上げを改善しようと奮闘する日々のなかで、人とのつながりから一縷の光が差し込んできた。
昔からの知り合いで、近畿車輛株式会社(※1)さんに勤めておられる方がいたんです。その伝手を頼って、お話をしに行きました。当時、分厚いアルミ板の切断が求められる仕事があったのですが、ほかの会社は『機械を傷めるから』とやりたがりません。しかし、弊社にはそれができるレーザー加工機があったので、『ウチの機械ならできます』とアピールしました。それを機に初めて受注できたのが、新幹線の部品なんです。いま振り返れば、新規の取引先に、よく新幹線の部品を発注してくれたなと思います(笑)。そこから新しい取引先が増えていき、少しずつ業績が回復していきましたね
※1 近畿車輛株式会社は、大阪府東大阪市に本社を置く、国内屈指の鉄道車両メーカーである。近畿日本鉄道(近鉄)のグループ企業であり、JR西日本とも資本・業務提携を結んでいる。新幹線や特急列車、通勤電車から地下鉄まで幅広い車両を製造しており、特に低床型路面電車(LRV)の分野では、国内だけでなく北米などの海外市場でも高いシェアを誇る。高い技術力とデザイン性を強みに、国内外の都市交通を支えるグローバルなインフラ企業として知られている。
金属加工を行う同業他社は数あれど、正栄工業は独自の強みを持つ。それは……。

Noと言わないことですね。なんでもできるという意味ではなく、難しいご要望に対しては、『こういうやり方ならできますが、いかがですか』といった代替案を出していきます。ただ図面どおりに作るのではなく、形のない状態からでも話し合いながらモノを作り上げていく、提案型営業のようなスタイルです。営業は少しでもお客様のお役に立てるようなものを提案し、製造も受けた限りは全力でモノを作ってお応えする、というスタンスでやっています
100年企業を見据え、設計・開発から自社製品を作れる会社を目指していく

技術にこだわり、顧客に寄り添い続けて、創業50年を過ぎた。次に目指すのは「100年企業」である。そのためには現在の受注生産から、一歩先に踏み込む必要があるとトップは考える。
今後は設計と開発の部門を社内で立ち上げて、自社製品を作れる会社にしていきたいと考えています。現在はモノ作りはできますが、設計や開発、デザインなどはできません。それをできるようにして、自社製品を作って売っていけるようにしたいと思っているんです
そのための心強い存在として期待しているのは、自身の子息である。現在は修業を兼ねて、外部の企業に籍を置いているという。
まだ大学を出て2年目くらいですから、これからですね。ただ本人は、いずれウチに戻って設計や開発に携わることに意欲的です。大学も工業デザイン学科に通って、設計や加工に関することをやってきました。今の弊社が手がけているような設計とは直接関わっていないかもしれませんが、設計の発想や考え方を学んできているでしょう。そういう新しい視点を弊社に持ち込んで、どんどんと道を切り拓いてくれればと思っています
未来の3代目が存分に力を発揮できるための環境作りも、自身の役目のひとつだと久保社長は認識している。
今のところは『いずれ設計部を作る』というくらいしか、具体的な計画はありません。現状としてはまだ、そういう仕事が取れていませんからね。まずは設計から携われる仕事を取って、最初は設計をお願いできる外注先を探してでも受注する。そこから先に、弊社で一貫して作るという流れを作らなければならない……と思っていたら、つい先日、完成図だけを持って来られて『これを全部、設計からやって作ってくれへんか』というお話が舞い込んできたんですよ。これはちょうどエエ機会やなと思って、今は設計ができる外注先を探しているところです。将来のために、今はそうして土壌を耕していこうと思っています
社長の自慢は人=社員 人が成長し、会社を成長させていく

100年企業を目指すならば、会社運営を安定させていかねばならない。会社の礎となるのは、やはり人=社員である。運営を安定させ、発展を遂げるためには、人材育成から目を背けることはできない。
そうですね。現状として外国人に頼らざるを得ない面はありますが、やはり日本人の若手も積極的に採用していきたい考えはあります。大卒であることにこだわりはありませんが、入社してもらい、長く定着してもらえるような会社を作っていかないといけないと考えています。社員の社歴でいうと、10〜30年のベテラン層と、2〜3年の若手層に分かれていて、その間がちょっと空洞化しているんですよね。そこを埋めるための中途採用もそうですし、昔のように毎年のように継続して新卒採用をしていけるようになりたい。そのうえで日本人も外国人も、『長く勤めたい』と思える会社にしていかなアカンなと思っています
そんな久保社長に自社の自慢は何かと問うと、間髪を入れずに答えが返ってきた。
それはもう、人ですね。それに尽きると思います。社員のなかには複雑な背景を抱えている者もいますが、彼ら、彼女たちが長く働いてくれて成長していく様子を見られたり、結婚して子どもが生まれたりすると感慨深いものがあります。そういった姿を見るたびに『これは、ちゃんとせなアカン』と責任を感じて、姿勢を正しています。会社って結局は、人でしかないんですよ。人が成長するのに合わせて、売り上げや会社規模も成長していく。そういう意味でも弊社は、社員さんのおかげでなんとかやれているのかなと思っています
この取材のため同社を訪れた際、取材者は駐車場所を間違えて工場内に車を乗り入れてしまった。誤っているであろうことに気付き、近くにいた外国人社員に正しい駐車場を尋ねたところ、彼はおぼつかない日本語ながら身振り手振りを交えて懸命に伝えてくれようとする。それでもこちらの理解が及んでいないと察すると、仲間の日本人社員を呼びに駆け出した。声をかけられた日本人社員は外国人社員の意図をすぐさま理解し、取材者に対して丁寧な対応で駐車場所を教えてくれた。
来客に対し、一生懸命に対応しようとする外国人社員。彼が求める助けに、笑顔で応えた日本人社員。そのやりとりを目にして、どこか温かい気持ちにさせられた。このような関係は、正栄工業にとってはごく当たり前のものなのだろう。社員を大事に考える久保社長の会社運営の本質が、こんな小さな出来事に表れていたように思う。

