大阪故鉄株式会社 代表取締役 / 矢追大祐 氏
10月に閉幕した大阪・関西万博で行われたイベント「こども万博」で、ひときわ目を引く「最高のクズ集団」のロゴ入りユニフォームを身にまとい、子ども向けのワークショップを行うブースを出展した大阪故鉄株式会社。
金属スクラップの年間取扱量は通天閣276本分!
子ども向けにワークショップを行った背景には、業界のイメージを変えたいという3代目社長 矢追大祐氏の強い想いがあった。
「社員が家族に自慢できる会社にしたい」と語る矢追氏に、日本における金属リサイクル業界の社会的意義や経営哲学を聞いた。
入社の決め手は先代の一言「うちは5時に帰れるぞ」
1946年に創業した大阪故鉄株式会社は、来年で80周年を迎える老舗企業だ。
現社長の矢追大祐氏は3代目だが、はじめは住宅設備関係の代理店で営業職として働いていたという。
「いずれは家業を継ぐことになるのだろうな」という漠然とした意識はあったものの、まだ遠い先のことと考えていた。状況が変わったのは、勤め先の先輩が退職して独立したときだった。
会社に勤めていた期間は、3年弱です。先輩が独立して軌道に乗ってきたときに「うちで働かないか」と誘われたのです。先輩の会社へは行きませんでしたが、そのときに転職を意識して、初めて転職活動を経験したんです。そのことを先代社長の父にも話したところ「うちへ来い」と言われ、転職先の候補に家業もリストアップしたわけです。
その時点では、家業に入ることはまだ決めていなかったが、父親からのある一言が矢追氏の心を大きく動かす。
父から「うちは5時に帰れるぞ」と(笑)。つまり定時(刻)にあがれるという、当時の私には魅力的な一言だったのです。
矢追氏が当時勤めていた会社は、今でいう「ブラック企業」だった。営業職なので厳しいノルマがあり、連日深夜まで働き詰めだった。
年配者があまりいませんし、体を壊す人も多い。そんな会社でした。当時は結婚した時期と重なっていたこともあって、家業へ入ることを決めました。
それが2005年のこと。2代目3代目が遭遇しがちといわれる、古参社員からの「社長の跡取りが入ってきた」というアウェイ(敵地)な雰囲気はなく、むしろウェルカムな空気で迎えられたという。
初めは、大東工場での勤務でした。もちろん、いきなり幹部候補ではなかったし、人手が足りていなかった現場作業から入ったこともあって、むしろ歓迎ムードでしたね。当時の上司も、僕にケガをさせないように気を遣ってくれていたようです。
入社はしたものの、とくに新人研修があるわけではなく、現場へ連れていかれて「じゃ、よろしく」という感じで戸惑ったという矢追氏。そのため、自分から仕事を覚えるよう努めた。
何も知らないので、まず「スクラップを教えてください」と。そこからのスタートでした。1週間か2週間過ごして全体を見ている中で、この業界は現場が大事だということは分かりました。周りの社員さんからは、どうせ社長の息子と見られるのは分かっていましたから、いちばんしんどいと思われる現場仕事をやったほうが認めてもらいやすいかなという完全な計算のもと、現場に入っていました(笑)。

専務就任にあたって採用権の全面移譲を要求
入社してから1年ほど経ったとき、営業にも出るようになった。最も会社の体制として専従の営業担当はおらず、工場勤務との兼任だったという。だが、営業を経験する中で、矢追氏は違和感を覚えていく。
初めのうちは先輩から引き継いだ仕事をしていましたが、社としての目標がないのです。だから、個人のノルマもありませんでした。会議も「今月これだけ(数字が)いったね、よかったね、とか悪かったね。来年どうしよう」という感じで、けっこうモヤモヤした想いを抱えていました。
そんな想いを、上司の1人に打ち明けた矢追氏。その人物は、事実上1人で営業をこなして新規の仕事を取っていた。その人物から言われたのは、「自分の意見をいうには時期を見極めろよ」ということだった。
いま表に出たら、必ず「社長の息子が……」と反発されるだけ。やるなら、何かズバ抜けてからのほうがいいとアドバイスをもらいました。それで、新規開拓を大阪府外へも広げたのです。それが思いのほか上手くいったのですが、なかなか役職をもらえなかったので会議に出ることができず、やはりモヤモヤ感はずっとありました。

役職なしの状態で勤め続けて12年目、矢追氏に先代から「専務にならないか?」と声がかかる。
専務就任を受けるにあたって、採用に関する権限を100% 私に移譲してほしいとお願いしました。当時は採用が厳しいうえに、せっかく入社しても定着しない。理由は、はっきりしていました。クレーンのオペレーター職で採用したのに、はじめはクレーンの下の現場作業をさせるのです。これじゃ辞めていきますよね。そういう慣習を改めたかった。
ところが先代は、最終的な決定権までは手放そうとしなかった。そこで矢追氏は、ひとつの妥協案として、先代に面接に同席してもいいし、その場で質問をしてもいい。その代わり、採否の最終判断は自分が決めさせてほしいと求めた。その結果、矢追氏が採用権限をもつことで同意を得られたので、専務就任を正式に受けたという。
私は1年で5人採用する目標を立てました。当時1年に1人か2人ぐらいしか採用できていなかったのに5人もです。
言ったからには成果を出さないといけないから、友人知人に「仕事を探している子がいたら紹介してね」と頼んだり、就活イベントにも顔を出して学生に声をかけたり、甲子園球場の売り子にまで声をかけて、とにかく必死で採用活動をしました。
そんな努力が実を結び7人を採用することができた。社員の平均年齢が一気に若返り、周りからの信頼も得た。
矢追氏が次に取組んだのが社内の改革だった。
部署ごとに5~6人の少人数で飲み会をセッティングし、日ごろ抱えている不満や困りごとを聞く機会を設けた。
きっちりした面談ではなくて、「ちょっと懇親会でもしようか」というような形だったり、展示イベントの後に打ち上げみたいな口実を設けたりして、各部署で年1回くらいは話をしました。その中で気になることがあったら個別で話を聞いて、会社に対する不満を吸い上げていく形をとりました。とにかく閉塞感が強い会社だと感じていたので、とりあえず意見はいえる環境にしようということが、専務になって最初に手を付けた改革ですね。
矢追氏が最も気になったのは、事務所・営業・現場がお互いに対して抱いている不満だったという。
本社と大東市の諸福営業所との意見の食い違いや摩擦も明らかになった。
現場は営業に対して「いきなり仕事をもってくる」という不満をもっていることが判明しました。これは結局、どこを向いて仕事をしているかという話なのです。営業も現場も、お客様からお金をいただいている。だから、お客様のほうを向いて、お客様のためを考えてくださいという話をしました。営業は、もしかしたらお客様から「急いでくれ」といわれたかもしれない。それを現場に伝えて、頭を下げたのか。「お客さんが急いてるから、よろしく」じゃなくて「急ぎですみませんが、お願いします」の一言、すなわち社内営業も大事ですよと。また、本社と諸福営業所で、相互の人事異動も盛んにしました。
突き詰めれば、不満の原因は大半がコミュニケーション不足だった。
「不満をいっても変わらない」という諦めを、矢追氏は「言ったら変わるかもしれない」へと変えていった。
コミュニケーションだけではない。見た目で変化が分かるよう作業着を変えたり、ワイシャツだとクリーニング代が毎日発生することから、自宅で洗えるポロシャツの導入などを行った。
専務時代には、そのような様々な「お金のかからない改革」を進めていった。それらが功を奏し、社内の風通しはずいぶんよくなった。
「金属リサイクルは“地球”になくてはならない仕事」 業界のイメージ改革へ
10月に閉幕した大阪・関西万博。閉幕間際の10日と11日に、EXPOメッセ「WASSE」で開催された「こども万博」に出展する。そこで、鉄がリサイクルされる流れを知ってもらうというコンセプトで、子ども向けのワークショップを行う。

子どもに工場長になってもらい、ヘルメットやゴーグルをつけて鉄のリサイクル工場の仕事を遊びながら体験してもらうという内容だ。
鉄を叩いたり削ったり切ったりして、「削ったら色が変わったのはなぜかな?塗装されていたからだよねとか、錆が取れたよね、鉄はなぜ錆びるかわかる? 」。そして、最終的にコインを入れてガチャガチャを回してもらって、缶バッジが出てくるようにしました。「古い鉄をリサイクルしたら、こんなにかわいい缶バッジに変わることもできるんだよ!」と、遊びながら体験してもらいました。
また、親御さん世代には、使用済み金属の引き取り、加工、販売をしている金属リサイクルという仕事があることを伝え、諸福営業所に併設している『てつ・くず・しごとミュージアム』の紹介も行った。
僕らがしているスクラップの買い取りやリサイクルの仕事は非常に重要で、なくてはならない仕事だと思っています。なぜなら、日本で需給率100%を超える資源は、たぶん鉄だけだからです。もし私どもの業種がなかったら、巷には鉄が溢れますし、新しい鉄製品も生まれないので、新しい建物も建てられません。
この社会的役割をしっかりと果たし、レジリエンス認証(※1)や業界で初めてSBT認定(※2)などのサステナビリティ認証を取得することで環境への取り組みを証明し、そういった会社であることを知らしめています。
(※1)レジリエンス認証:社会全体のレジリエンス(しなやかな回復力)の向上を進めるという観点で国土強靱化に貢献する団体を認証する制度(※2)SBT認定:温室効果ガス削減目標を設定し、認証機関によってその妥当性が認められる制度
自分の仕事への誇りとともに、入社したときから目標にしている信念があるという矢追氏。
それは「自分の子どもや家族に自慢できる会社にする」ということだ。
鉄をリサイクルするという会社があることを知ってほしい。これが、いちばん強く抱いている想いです。
矢追氏が率いる大阪故鉄は、業界の古いイメージを打破し、現代社会のインフラを支える重要な役割を担っている。
社員が自分の会社に誇りをもち、やがて来る100周年、さらにその先のサステナブル(持続可能な)な社会の実現に向けた確かな土台を築いている。
