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「目立ちたくない、人の上に立つのは苦手」— その内なる決意が、40年企業の伝統と革新を導く
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「目立ちたくない、人の上に立つのは苦手」— その内なる決意が、40年企業の伝統と革新を導く

2026.02.08
相互ビジネスフォーム株式会社





相互ビジネスフォーム株式会社 / 代表取締役 川畑 利之 氏


目立つのは好きではない。人の上に立ってみんなを引っ張るなんて、大の苦手。

「目立ちたくない、人の上に立つのは苦手」— その内なる決意が、40年企業の伝統と革新を導く

なのに、父親が興した会社を受け継いで社長になった。今回は、そんな社長のストーリー。その社長とは、大阪府大東市に本社を構える相互ビジネスフォーム株式会社の代表取締役、川畑利之氏だ。社長就任の経緯の前に、まずは同社がどのような事業を行っているのか語ってもらった。

弊社は社名にあるように、印刷のなかのひとつの分野であるビジネスフォーム(※1)を主事業としています。製品としてはさまざまな帳票のほか、個人情報を記した部分を特殊なシールで隠す隠匿ハガキ、糊で張り合わせて受け取った人が開いてなかの情報を読む圧着ハガキなどがあります。これら以外にもさまざまな加工を施した印刷物やデジタル印刷など、印刷物全般においていろんなことにチャレンジしながら、多様な商品作りを行っている会社ですね

※1 ビジネスフォームとは、決められた書式やフォーマットが印刷された事務用書類の総称です。請求書、納品書、注文書、振込用紙などが代表的な例で、コンピューターで出力する「帳票」や手書き用の「伝票」を含みます。

「目立ちたくない、人の上に立つのは苦手」— その内なる決意が、40年企業の伝統と革新を導く

社の始まりは1982(昭和57)年。先に記したように川畑社長の父親が個人事業として創業し、その2年後に法人格となった。

私の父親はビジネスフォーム業界で中堅規模の会社で印刷職人をやっていて、そこから独立して個人創業しました。最初は前の会社で同僚だった先輩が始めた会社に入り込んで機械を借りて仕事をもらう手間受けをしていたそうです。その2年後に鶴見区茨田浜に工場を借りて、印刷用の機械と加工機を購入して相互ビジネスフォームを設立しました。当初は父親と母親、あと親戚の人の3人でやっていたようです

それからは順調に業績を伸ばし、会社の規模は年を重ねるごとに大きくなっていく。川畑社長は学生時代、あるいはもっと幼いころから父親の会社で働くことを考えていたのかと問うと、「とんでもない」とばかりに顔の前で手を左右に振り、こう話した。

私はふたり兄弟の次男坊でして、兄がこの会社を継ぐということで先に会社に入っていたんです。父親から『兄弟でいっしょにやると、万が一のことがあったら共倒れになってしまう。だからお前は外で働け』といわれて、一般企業に就職しました

当時は定年まで、その一般企業で働くのだろうなと思っていた。しかし勤めて月日が経ってから、事業所が関西から広島県の福山に移転することになる。

「そのことを兄に話したら『それやったら、ウチでいっしょにやらへんか』となったんです。前に勤めていた会社は大手企業で、なんの不満もありませんでしたから迷いも悩みもしました。だけど自分が必要とされるなら、兄の助けになりたいと思うようになっていったんです。それまではまったく、この会社に入る考えはありませんでしたね。だけど転勤を理由に辞めるのは嫌だったので、一旦福山で1年間勤めてから前の会社を辞めて、相互ビジネスフォームに入社しました」


「目立ちたくない、人の上に立つのは苦手」— その内なる決意が、40年企業の伝統と革新を導く

事業を継ぐはずだった兄が、父親との溝を深めて社を去り……



入社後は、兄が作った営業部に配属。前職は経理で社外の人と話す機会は全くなく、更にもともと人見知りの性格だっただけに当初は苦労しました。飛び込み開拓なんてとんでもなく、何度も扉の前でノックできずに退散もしたが、やると決めたからには全力で仕事に取り組んだ。それから4年ほどの時間が経ったころ、これも兄が開設した東京支店に後任として赴任。兄は大阪に戻り、父親の跡を継ぐための事業承継の準備に入った。しかし……。

兄は東京にいたころは父親から離れて、自分の思うようにやれていたんですよね。だけど大阪に戻ってきて、そのころは父親もまだまだ元気だったんですよ。後を継がせると言いつつ、兄がなにかを言うと『余計なことを言うな。ワシの目の黒いうちは、お前はなにもせんでエエ』とか、そんなことを言い出す。兄がなにを言ってもその調子ですから意見が合わなくなってしまって、もともと独立心が強かった兄は『もう、辞める』となったんです。私としては兄のほうが後継者にふさわしいと思っていましたし、自分は兄を支える立場になろうと思っていたので『アカンって、おってくれんと困る』と、ずっと説得していたのですけどね……

川畑氏や母親が間を取り持っても、溝がまったく埋まらない。最終的に兄は大阪に戻って1年が経ったころに、退社することになった。

それが決まったときに私はまだ東京にいたのですが、父親と母親に『大阪に戻っていっしょにやってくれないか、兄の後をやってくれないか』と言われたんです。断る理由が全然見当たりませんでしたし、もし自分が断ったらこの会社はどうなるんやろうという思いもありました。弟でもいたら変わったかもしれませんけど、もう自分しかいなかったですし。それに父親はなんだかんだ言っても、息子に継がせたいんだろうということも感じていました。ほかに選択肢がなかったですし、なにもわかっていないから言えたのでしょうが、家内の『やったら、いいやんか』という言葉が最後の決め手になって『もう、分かった。じゃあ、頑張るわ』と決断。本当に、そんな感じでしたね

兄は父親と似た性格で独立心が強く、営業に出れば臆することなく積極的に飛び込んで行く。だけど自身は真逆で、とにかく目立ちたくない。社長として自分のカラーをどう出せばいいのか。当初は相当、悩んだという。

弊社は印刷会社で、工場がメインなんですよね。父親は職人だったので印刷機を回すこともあるし、生産現場のこともよく分かっている。だけど私はまったく工場の経験がなくて、印刷機械ひとつ回したことがありません。そんな人間がトップになって、周りは『なにも知らんくせに』といった見方をしていたかもしれません。そんななかで、どうやって自分のカラーを出して会社を経営していけばいいか。それには、すごく悩みましたね

父親はワンマン経営者で、剛腕を振るって周りを引っ張っていくタイプ。自分に同じことができないのは、最初からわかっていた。ならば、自分なりの経営はどうするのか。自分の性格と向き合って辿り着いたのは、社が進むべき道を明示し、みんなで一体になって会社を進めて行くことだった。

「目立ちたくない、人の上に立つのは苦手」— その内なる決意が、40年企業の伝統と革新を導く

会社の方向性や事業経営計画を作って、それをみんなに共有しました。私が先頭に立って引っ張るのではなく、計画をもとに従業員たちもある程度は自分で考えて、それでいっしょに進んでいく。それをみんなに、理解してもらおうと思いました。父親は自分の頭に経営計画があったでしょうが、みんなと共有するということはしませんでした。私は社員だけではなくパートさんや技能実習生にも共有し、そのうえで個人面談で『こういった形で進めていこう』と説明して。そういうことをしながら、ここまでやってきました


初めてのBtoC商品にチャレンジ、今後もなにごとにも挑戦していく



経営計画を作ってもその通りに進むことはほとんどなく、何度も作り替えた。だけどみんなで会社を理解して進めるという軸は、決して揺るがさない。そうして粘り強く自分の経営を行っていくうちに社内の理解度も高まり、社風もより自由なものへと変化していった。そんな中から、新たな商品が生まれる。それはBtoB一辺倒だった社にとって、初めてのBtoC商品である文具だった。

「営業部のある女性社員が産休と育休を経て会社に復帰したのですが、子どもさんがまだ小さいので、時短でしか出勤できずにいたんです。外回りの営業は時間的にできないので、内勤をやってもらっていました。それがあるときに、こういう文具をやってみたいとその女性社員が言ってきまして。これも大きくは印刷物ですし、でも今まで弊社から出てきたことがなかったもの。じゃあ、やってみようかということで始めました」

猫のイラストをメインキャラクターに、システム手帳用のリフィルやメモパッド、ロール式のふせんなどが商品ラインナップに並ぶ。

「目立ちたくない、人の上に立つのは苦手」— その内なる決意が、40年企業の伝統と革新を導く

いわゆる文具女子向けかと思いますが、こちらの事業が昨年の10月から新しくスタートしました。このために『れんこん社』という自社ブランドを立ち上げ、弊社が運営会社になっています。初めてのBtoCでまだ事業の柱になるほどではありませんが、1年経って徐々に成果が表れ始めていますね。直近ではSNSを通じて海外からの注文もありました。ウチの商品も海外で売れるようになった!何とも言えない嬉しさがありました。これがもう少し広がって柱になるかは、まだまだ先の話でしょう。弊社にとって新たな分野ですし、ここからなにかほかのことにもつながる可能性があるのではないかと思って取り組んでいます

「目立ちたくない、人の上に立つのは苦手」— その内なる決意が、40年企業の伝統と革新を導く

世の中のデジタル化、ペーパーレス化の流れは止められないことは認識している。紙への印刷を主業としてきた相互ビジネスフォーム社にとって逆風が予想されるこれからの時代に、川畑社長はどう社を導いていくのか。
紙製品の減少を止めることはできない。しかし、そんな中でお客様から製造依頼が来る商品というのは、お客様の事業活動やさまざまな行動、いわゆる“コトづくり”(※1)に絶対に必要なものなんです。我々は必要なものを作るというモノづくりを行うことによって、お客様のコトづくりに貢献しているんだという意識を持って取り組んで欲しいと発信している。

※1 コトづくりとモノづくり  「ものづくり」は製品を生産すること、「ことづくり」は、その製品がもたらす顧客体験や経験価値、ブランドストーリーなどを設計することを指します。現代では、単なるモノの生産だけでなく、顧客がモノを使うことで得られる「使用価値」や、感動、共感を重視する「コトづくり」の考え方が重要視されています。

ビジネスフォームの分野において弊社は後発ですから、抜かれることはない。抜くことしかできないはずだ。そういう思いでいますので、いろんなことにチャレンジしていきたいですね。私自身は、なんでもできるタイプだとは思っていません。それぞれの分野で長けている人に任せて、彼ら、彼女らと対話を重ねながら自分の考えを伝えてやっていきたい。自分でなんでもできると思っていたら、会社は伸びないと思っていますから


「目立ちたくない、人の上に立つのは苦手」— その内なる決意が、40年企業の伝統と革新を導く

社長なんて、自分には向いていない。そう認識しながらも、家業を継続させるために腹を括った。社長就任から16年あまり。この間の日々は、自分らしい経営の道を探る毎日だっただろう。経験を重ねて「社長らしくなったと思えるのでは」と話を向けると、「いえいえ」と苦笑しながら川畑社長はまたも手を左右に振った。だがこのインタビューで発した言葉の端々に、リーダーたる決意と自覚が確かに感じられたことを付け加えておく。

「目立ちたくない、人の上に立つのは苦手」— その内なる決意が、40年企業の伝統と革新を導く

相互ビジネスフォーム株式会社
本社:大阪府大東市新田境町3番26号
オフィシャルサイト:http://www.sougo-bf.co.jp/