株式会社 中道組 代表取締役社長 / 中道 正伸 氏
昨年、大阪の街を大きく盛り上げた 2025年大阪・関西万博(日本国際博覧会)。来場者を迎え入れるために設置された、東西の入場ゲートについて記憶している人も多いだろう。東ゲートに面した大阪メトロ 夢洲駅の南東出入口を施工したのが、株式会社中道組だ。
世界的なイベントに関係する建物といえば、いわゆる大手の有名ゼネコン(総合建設業者)が手掛けそうに思えるが、同社は主に地元に根付いて活動してきた139年の歴史ある中堅ゼネコンだ。
セレモニーイベントの開催に合わせて、工期を当初の予定より3ヶ月も短縮できた高い技術力は、長い歴史が培ってきたもの。民間企業以外に官公庁からも深い信頼を寄せられている同社。
代表取締役社長を務める中道正伸氏に話を聞いた。


2025年大阪・関西万博の大阪メトロ 夢洲駅も事例の一つだ
世界的有名企業を、鬼門の方角へ誘致した
当社の創業は1887年です。私の曽祖父にあたる中道寅吉が大工として独立し、後を継いだ祖父の猪三郎が1948年に株式会社を設立しました。時代とともに取引先が増えて、業績が順調に伸びましたが、社の歴史を語る上で欠かせないのが、大きな発展につながった松下電器さんとの関係です。
当時、中道組が広大な土地を所有していた門真市は農業に適さない湿地だった。そこで、府の主導により宅地整理が進められることになり、同社が直接、松下電器(現・パナソニック ホールディングス株式会社)に工場を建てる話を持ち掛けた。しかし、当時松下電器は現在の大阪市福島区にあり、門真市は鬼門にあたる北東の方角だった。
「わざわざ鬼門の場所に行くなんて考えられない!」と反対する声も大きかったのですが、「だからこそ、やってやる」という意気込みを見せてくれ、完成させたところ、そこが拠点となり以降の松下電器の発展につながりました。
負けじ魂が功を奏して成功した木造の乾電池工場を皮切りに、その後も他の鉄筋コンクリートの工場や社員寮などを施工し、「松下電器と共に歩み続けた昭和時代」となった。
建築施工事例
中道氏の記憶に残る当時の社員たちの姿も興味深い。
夕方になると工事現場から戻ってきた職人さんたちが、次々に我が家の広間に集まりました。うちの祖母が四斗樽(※1)から手づくりの漬物を取り出してきて、職人さんたちはそれをアテ(酒のつまみ)に一杯飲んでいるという光景でした。
(※1)四斗樽:四斗樽は鏡開きに使う大きな樽です。当時、それを常に2段積みして、無くなれば上下を入れ替えて飲まれていた。
昭和の大家族的に過ごす古いタイプの職人の姿を見て育った中道氏は、100名を超える社員を抱える企業の代表でありながら、現在も社員たちに気さくに声を掛ける。
そんな中道氏が同社に入社したのは大学を卒業した22歳のとき。建築や土木ではなく経済学部を出たことから、建築のイロハがわからない。最初の配置は道具を揃えるような現場における雑用に始まり、次に経理部へ、その次は総務部へと一通りの部門に配属された。
そして、1988年に代表取締役就任となる。
外国の例に習い、早くから環境保全に注目
現在、中道組の主な事業は住宅から大型の施設まで幅広く手掛ける「建築」、公共工事などを担う「土木」、地震に備える「耐震」、建物を再生する「改修」を柱にしている。
民間企業の他、官公庁からの依頼も多い。
古くから大阪府の工事などに携わり、多数の実績を積み上げてきた。現場での作業力や技術力に長けているのはもとより、「必要な人員を必ず配置して、書類についてももれなく揃える」と細部まで誤魔化しのない誠実な仕事を続けてきたから、現在の信頼関係がある。
かつ、時代に応じた新しい取組みにも積極的に目を向けることを忘れない。
今では当たり前に聞くCSR(企業の社会的責任)だが、同社では2005年からすでに「地球・自然・人」をテーマとする、環境に配慮した建物づくりを行ってきた。
中道氏がかつてドイツに行った際、廃材を徹底的に出さないなど環境を第一に考える建築方法を目にして衝撃を受けた。そこから、同社でもゼロエミッション(※2)やISO認証の取得といった目標を掲げて、着実に達成してきた。
建築を地球上に建つ単なるうわものとしてではなく、環境や生態系まで含めた総合的な視点で捉える。このあたりの先進的な感覚も、時代を超えて信頼されてきた企業である理由だと思う。
(※2)ゼロエミッション:1994年に国連大学が提唱した、産業活動や人間活動から発生する廃棄物や有害な排出物(温室効果ガス等)を、相互利用やリサイクルにより可能な限り「ゼロ」に近づけ、循環型社会を構築する概念
「小さい頃はアオダイショウ(ヘビ)を首に巻いて遊んでいた。兄弟と一緒にスッポンをよく捕まえた」と少年時代を豊かな自然の中で過ごした中道氏にとって、個人的にも環境問題は身近だ。

先の見えない時代に指針となる先代たちの姿
とはいえ、何もかもが順調だったわけでなく、ときには大きな打撃を受けたことも。
建築の請負いが主体であった同社が中道氏の代になり、新たに参入した事業が別会社を設立してスタートした「ハウジング事業」や「不動産事業」である。自社で開発した住宅などを販売し、不動産の仲介も行う。すでに競合他社が多い分野に挑戦したのは、より総合的な企業への躍進を目指したからだ。
分譲マンションなどを手掛けてかなり儲かっていたんですが、2008年のリーマン・ショック(※3)により大変苦労しました。しかし、大変な時期だからこそ、社員たちが奮闘してくれましたね。(※3)リーマン・ショック:2008年9月15日に米投資銀行リーマン・ブラザーズが倒産し、世界的な金融・経済危機を引き起こした出来事
社員たちが地道に営業を続けたから、官公庁に代わる民間企業の仕事を多く受注できた。乗り越えて再び軌道に乗ることができた。中道氏に企業を長く存続させるために必要な事柄について尋ねると
「余計なことをしないこと」
と一言が返ってきた。
聞くと、祖父にあたる猪三郎氏は非常にやり手の人物だったが、勢いあまって九州の炭鉱事業にまで手を出したところ、失敗したという。
その姿を目の当たりにした父の朝男氏は、反面教師で地に足のついた堅実な経営に徹したそうだ。彼らの軌跡から学んだ「余計なことをしない」精神を基本にしつつ、時代に呼応した方針を取り入れている。
今後における同社の課題については、どのように考えておられるか。
倒産や吸収合併で、中堅の建設会社がどんどん減っていくなかで、どうやって生き残るかを考えています。そのためには人材確保が大事です。求人票や求人サイトの活用以外に社員を通して人材の紹介を受けるリファラル採用(※4)も取り入れています。近年、当社では女性社員の活躍が目覚ましくなりました。熱心に働いてくれています。(※4)リファラル採用:自社の社員から友人や知人、前職の同僚などを会社に紹介してもらい、採用選考につなげる手法
人手不足の時代のなかで、ほぼ毎年、新卒の人材の確保に成功している。また、中途採用にも積極的だ。
工事などの業務に大阪市が高い成績評価点をつける「大阪市優良成績認定」に繰り返し認定されている同社。
これからも大阪の街を支え、彩る、存在感の大きな建物を生み出し続けてくれるはずだ。

