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自分の目が届く範囲で! 堺で必要とされる<看多機>であり続ける、自然体経営
堺市堺区医療・介護・福祉新着女性社長

自分の目が届く範囲で! 堺で必要とされる<看多機>であり続ける、自然体経営

2026.03.24
合同会社オフィスK

合同会社オフィスK / 代表 臼井啓子 氏



合同会社オフィスKはあっと介護支援センター(居宅介護支援)、あっと訪問看護ステーション(訪問看護、予防訪問看護)、看護小規模多機能型居宅介護(略して看多機/かんたき)「あっと桜之町」を運営している。

それぞれの部署は医療依存度の高い人や退院直後で状態が不安定な人、在宅での看取り支援など、住み慣れた自宅での療養を支えるなど、多機能なサービスを展開している。
その運営全般を担う代表 臼井啓子氏に話を聞いた。

自分の目が届く範囲で! 堺で必要とされる<看多機>であり続ける、自然体経営


病院で訪問看護ができないなら、起業しよう


もともと看護師として病院で勤務していた臼井氏。今も自身が運営する施設で現役の看護師だが、初めて看護師を志した動機は意外にも「何もない」という。

医療に携わる仕事をしたかったんです。医師を目指していたこともありましたけど、中学に入った頃には、自分には難しいと思って、目標を看護師に変更した感じです。


1993年頃、市立堺病院(現、堺市立総合医療センター)に勤務していた当時、患者が退院していった後の過ごし方を知ることができないことが気になり始めた。そんなとき、臼井氏は訪問看護と在宅看護の制度を知る。

患者さんの自宅を訪問して看護ができることを知って、看護部長に「この病院で訪問看護をやる予定はありますか?」と訊いてみたのです。部長の答えは「未来永劫ありません」でした。


臼井氏が訪問看護をやりたいと思った直接の動機は、手術を終えたばかりの、ある癌患者との出会いだった。

看護師として勤め始めて、2~3年経った頃です。入院患者の中に、食道癌の手術を受けた方がいました。手術が終わって呼吸器に繋がれているから、しゃべることができません。でも、家に帰りたがっている様子は、なんとなく分かりました。その方の病室を回ったときに、自分自身を指で『×』印を示されたんですよ。「私は、もうダメなのか?」と尋ねておられるのだと察しました。
「そんなこと言わんといてください」と返したものの、気持ちの中ではこみ上げてくるものがありました。
そのような患者さんを、たとえ1日でも2日でもいいからご自宅へ返せる手段があるならば、そこに携わりたいと思ったのです。


看護部長からの「訪問看護は未来永劫やる予定はない」といわれた臼井氏は、訪問看護に携わりたい気持ちのほうが勝ったため病院を退職した。

在宅の患者さんをお世話できる求人を探して、生野区にある診療所で働き始めました。その診療所で午前中は院内で看護師の業務をやり、午後は訪問看護に出るという体制での勤務でした。


ところが、臼井氏の体にも病魔が忍び寄っていた。
体調不良が続くため医師の診察を受けたところ、脳腫瘍と診断される。腫瘍が良性なのは不幸中の幸いだったが、手術を受け、看護師はいったん辞めることになった。
その後、新規開業の診療所に勤めたり、結婚を機にしばらく専業主婦をしたりしていたが、看護師に戻りたいという気持ちが強くなっていった。出産を経て、保健所から声がかかったのを機に、役所の相談員として勤め始める。

介護保険が始まる前でした。堺市で福祉のワンストップ相談サービスを立ち上げる話が進んでいて、そこへ看護職として入りました。相談業務なのでケアマネジャーの資格を取ったものの、現場を経験していません。
そんな自分が、現場で活躍しておられるケアマネジャーから相談を受けていることに対して次第に疑問を感じ始めたのです。そんなこともあって、とある事業所へ正社員のケアマネジャーとして転職しました。そのあと、雇われ役員として別の事業所にも勤めて、経営も少しだけ経験しました。


役員として迎えられた事業所ではあったが、社長との間で考え方の方向性が合わず、袂を分かつことになる。意見が分かれたのは、臼井氏の母親に介護が必要になったことがきっかけだった。
社長の「役員はプライベートを横に置け」という言葉に違和感を覚えたことが大きいという。意見が割れなければ長く勤めるつもりだったが、もし次のステップがあるとすれば起業を考えていたという臼井氏。
これを機に、起業へ向けて動き始めた。

起業を決めたのは、癌になった母親の介護がきっかけでした。それと、母親が開業資金として500万円を貸してくれたことで、起業がより現実的な話になったことも決め手になりました。


2014年4月に起業した当初に手掛けたのは、要介護認定を受けた人を対象に介護サービスの利用を支援する「ケアプランセンター」としての業務だった。
時を同じくして、しばらく現場を離れていたケアマネジャーの資格を持つ幼なじみにも入ってもらい、一緒に始めた。

はじめは、プランニングだけです。やみくもに突っ走らないことにして、しっかりしたスタッフが入ってから訪問看護を始めようと考えていました。そうしたら、ハローワーク経由でスタッフが入ってくれたので、起業した翌年の2月から、ケアプランに加えて訪問看護ステーションも事業化できました。


スタッフ管理は「放置」主義


現在運営している「看多機(かんたき)」は、臼井氏の自宅と同じ建物に入っている。そのため、臼井氏に限っては毎日顔を出し、利用者とコミュニケーションをとっているという。

もちろん、スタッフには休んでもらいますよ。私が自分の意思で休みを取らず、公私の区別をつけていないことに関しては、全然苦になりません。


臼井氏が導入している支援サービスの中で大きな特徴が「看多機(かんたき)」だ。これは、訪問介護、訪問看護、通い、泊りなど、サービスの垣根を跨いで柔軟な対応をしやすいことがメリットだという。

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オフィスKでは、スタッフの離職率も低いという。スタッフとのコミュニケーションが円滑で、人間関係も良好だという職場の雰囲気づくりは、どのようにしているのだろうか。

あんまり干渉せず、放置しているからかもしれません。もちろん会社の理念は、折に触れ伝えています。社風は、お互いの陰口を言わないことでしょうね。人が集まると、どうしても不穏な話が湧いてくるものです。私に告げ口があったときは、「その話を本人に伝えてもいい?」って訊くんですよ。それを嫌がったら「自分で言いなさい」と突っ撥ねます。嫌がらなかったら、本人へダイレクトに言います。私は直接見聞きしたことしか信じないから、そういうふうにしたら、陰湿なことをやりづらくなる空気ができあがっていきました。


それは一方で、自分で考えて責任をもって主体的に動けるように仕向ける、スタッフ教育の一環ともいえる。だが、現実はなかなか難しいようだ。

それが課題ですね。ある程度は任せますが、代表として「なんでこうなってるの?」というチェックは入れます。そういう意味では、任せる範囲を自分の目が届く範囲にとどめておこうと思っています。本当に全部任せてしまうと、サービスの質の担保という観点からも自信がない。だから、私は会社を大きくすることはできないというのが本音ですね。


アルバイトも含めて20数人ものスタッフがいると、どうしても失敗やミスは起こるもの。それでも、細かいことには口を出さないといい、黙って容認するラインを決めているそうだ。

私自身は、スタッフを怒鳴ったり力で押さえ込んだりしないと決めていて、うっかり手を滑らせてモノを壊すぐらいは黙っています。ときどき、新しい食器が買い足してあったら「割ったな……」と(笑)。そういうのは責めません。車をぶつけたという報告を受けることもありますが、他人に迷惑がかかっていなくて保険を使うほどではないときは、塗料を渡し「塗っとけ」と。
私が口を出すのは、利用者さんの為にならないことを見たり聞いたりしたときです。たとえばスタッフが「○○さんを、午前中にお風呂に入れたい」と言ったとき、それは何故なの? 利用者さんがそう言ったのか? あなたたちの都合で、午前中に済ませたいだけじゃないの? 「何故?どうして?」と訊いて、答えられないのは自分の都合だからですよ。そういうときは、しっかり注意します。
スタッフに対して「これだけは忘れないで」と思うことは、やはり利用者さんファーストですよね。それと、自分たちは社会資源だという意識をもってほしい。


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介護ロボットの研究が進んでも「人」にしかできない領域がある


今期で12期目を迎え、近い将来には事業継承が課題になってくる。

以前は、65歳くらいで仕事を辞めようと思っていました。でも、今考えているのは75~80歳くらいまで続けて、その間に息子が継ぐ気になってくれたら継げばいいし、他にいい人が現れたらその人に任せてもいい。じつは息子の友達がスタッフとして入ってくれているのですが、今の20歳代でも中堅層の年代と比べて、意外にしっかりした考え方をもっていたりする。私らの考え方は、もう古いと感じることもあります。もちろん変えちゃいけない部分はあると思いますが、もっと柔軟にとらえてもいいでしょう。経営スタイルも、時代に合わせて変えていく。私らが老害になってはいけません。ですから、会社も施設も続けられることがベストとは思いますが、自分で続けることに執着はないのです。


会社の向かいに喫茶店を併設し、臼井氏の息子さんが店長を務めている。もともとは利用者の自宅だった家屋を購入し、喫茶店に改装したのだという。

その方が亡くなられて、親族の方が相続された後、個人的にローンを組み購入しました。息子は調理学校を出て他所で飲食店をしていたのですが、労働条件が苛酷で体を壊して休養していました。しばらくして送迎くらいなら手伝えるかも、というので、じゃあヘルパー資格を取ったら、と取らせたんです。この喫茶店を作るとき、彼に任せることにしましたが、私も午前中は必ずいます。
このお店はスタッフの福利厚生の一環でスタッフの休憩や食事のほかミーティングに使ったり、利用者さんやそのご家族も利用されたりします。


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最後に、同じ業種で働いている人、これから介護の世界で働きたいと思っている人に対してメッセージをお願いした。

儲けようと思ったら、できない仕事です。私は、この仕事が社会に必要だと思うからやっています。そういう志があれば、是非やってほしい。社会に貢献できるし必要な仕事なので、誰かの役に立ちたいと思っている人は、この業界で頑張っていただきたいです。大金持ちにはなれませんが、勉強しながらお給料がいただける、良い仕事だと思います。
ぜひ若い人に入ってきてほしい。


介護業界の人手不足を補うため、国内外の企業ではロボットを導入する研究が急速に進んでいる。
しかし、臼井氏は「ロボットにできる領域って、すごく限られています。ロボットには、利用者さんの気持ちを察することはできません。」という。

主役はあくまで利用者であり、もちろん100%分かることはできなくても、利用者さんから見て「わかってくれる人」になりたいという臼井氏。
そのために日々勉強を重ねている臼井氏だった。

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合同会社オフィスK
大阪府堺市堺区桜之町西2丁1-18
オフィシャルサイト:https://www.atto-kaigo.com/