株式会社東住吉介護センター / 代表取締役社長 建林典夫 氏
東住吉区、平野区、住吉区、阿倍野区で、主として訪問ヘルパーを派遣して高齢者の生活を支える、株式会社東住吉介護センター 代表取締役社長の建林典夫氏。
ヘルパーの仕事は、利用者の自宅を訪問して、身体的な介護と生活援助を行う。お風呂に入れる入浴介助、食事の介助、排泄の介助のほか、買い物や調理など食事の準備、掃除などを利用者と一緒に行い、全般的な生活支援も行う。
必要以上に介入せず、やれることは自分でやってもらうことが基本で、それが結果として健康寿命を伸ばすことになる。

介護事業を継ぐ気はなかった
父親の先代社長が1999年に介護事業を始めたきっかけから話を聞いた。
介護保険制度が始まった頃、地元の市会議員から「こんど介護保険の仕事が始まります。以前から福祉に関わる仕事をしたいとおっしゃっていたから、ちょうど良いのでは?」と勧められたのが直接のきっかけです。
そのまま親子二人三脚で介護事業へ歩み始めたと思いきや、そうではないという。
建林氏が大学を卒業してタオル会社に就職した頃、父親は建設機械の販売やリースを行う会社を営んでおり、建設業者へ商品やリース品を納入していた。
建林氏が就職した3年後、体調を崩した父親に代わって家業を継いだ。その後、体調を回復した父親が介護事業を始めたのである。
僕は父とは別の道を進もうと思って、自分の仕事をしていたんですが、介護事業をやり始めた父の調子がまた芳しくなくなってきて、手伝ってくれないかと声がかかったのです。その頼みを、初めは断りました。勝手なことを言わないでくれという想いがありましたね。
タオル会社に勤めていたとき「体調を崩したから」と自分の(建設機械・リース)会社に呼んで、その後体調が回復してきたら介護事業を始めてた。そして、また体調が思わしくないから「今度はこっちをお願い」というのは、いささか勝手な言い分で納得がいかなかった。
しかし、父親のパートナーとして一緒に介護事業に携わっていた人物からも「来てもらえないだろうか」と頭を下げられた。
地元の先輩に「どうしたらいいでしょうか」と相談したんですよ。先輩からは「自分の人生は他人に言われて決めることではない。自分で決めなさい。」とアドバイスを受けたことと、父のパートナーさんから説得されたこともあって、こっち(介護)に入ることを決めました。

やってあげたくてもできない「業務」と「厚意」の狭間で悩むヘルパーも
こうして介護事業に携わることになった建林氏は、あらたな経営理念を打ち出した。それが「介護は家族の信頼をつなぐ力」であり、先代が掲げていた理念に加えて、自身の想いを込めて練り直したのだ。
だが、これも、すぐに出てきたわけではない。
介護事業に携わって1年が過ぎたとき、「やっぱり辞めよう」と考えた建林氏。ほぼ決心を固めて、父親のパートナーに「辞めたい」と申し出たら、案の定「そう言わないで、なんとか続けてくれ」と懇願された。そのとき、ある考えが脳裏をよぎった。
建林氏は当時、両親から離れて祖父母と一緒に暮らしていた。日々の生活で、高齢者の身体機能の衰えや行動パターンは何となく分かっていたし、それを嫌だとは思わなかった。
僕は、どういう気持ちでやってきたんだろうか。祖父母と一緒に生活していく中で、祖母を見ながら感じる家族のしんどさを体験しました。たとえば、毎夜2時頃に起こされて、見えないものが見えるとか言われて、体も心もしんどかった時期があります。そういう家族の方のしんどさが分かりますから、介護のプロとして家族の信頼をつなげていく。それは自分の家族だけじゃなくて、地域の家族っていうのもあるだろうし、大きい意味で社会の家族という意味でもあります。
その家族の信頼を繋げていくのが、我々介護のプロの力なんだとの考えに基づいた理念を言葉にしたのです。
現在、主力の業務は介護ヘルパーの派遣で、併せて通所介護を行っている。長年介護してきた方が亡くなったり、施設に入所される方が増えている。また家族が家で介護できない人も増えている。
ヘルパーさんも高齢化して減って来たことも、理由のひとつ。そして、利用者さんも歳を重ねて入院されたり施設へ入られたり、あるいは亡くなる方もおられます。そういうタイミングが重なって、売り上げがガクッと落ちることがありますね。
介護事業は公定価格といって、国が決めた料金体系で事業を行う。仕事をこなせば確実に現金化できるメリットはあるものの、それが逆にデメリットにもなるという建林氏。厳格にルール化された業務を超える支援は、やってあげたくてもできないジレンマに悩む毎日だ。保険法上のルールがあることを、利用者になかなか理解してもらえない場合が少なくないのだ。
ここまではできる、そこから先はできない。ちょっと手を伸ばしたら出来るんだけれども、やってはいけないという法の壁があります。たとえば照明器具の電球交換は、心情的にはやってあげたいのだけれど、ヘルパーの仕事ではありません。
「それくらいは厚意でやってあげても良いのでは?」という考え方もあるが、いったん認めてしまうと「これもお願いできる?」「まぁ、これくらいなら……」と、ヘルパーと利用者の双方で歯止めが利かなくなる恐れがある。
法的な線引きがあることを理解してもらうには、利用者本人や家族に対して何度も根気強く説明するほかない。しかし、あまりに杓子定規に分けてしまうことの弊害もあるため、法の枠からはみ出る行為についてはヘルパー業務と時間を分け、いわゆるオプションサービスとして対応している。
先ほどの電球交換だったら、利用者へ「別建てで料金が発生しますよ」と説明する。一方で、実際に利用者宅を訪れて業務を行うヘルパー個々についても、認識を統一しておく必要がある。
本人は厚意のつもりなんですが、法律から外れてしまうのでダメですよと言っても、理解が追い付かない人もいます。そこがやっぱり、サービスの均質化を担保しようと思ったときの難しさです。

地域コミュニティに参加して得た幅広い人脈が大きな強み
公私の線引きが曖昧になりがちなのは、裏返せば利用者に心から寄り添おうとしている態度の表れではないかとも思える。
建林氏が考える東住吉介護センターの、他事業所に無い強みは何だろうか。
一番の強みは、「地域に根差している」ことです。例えば、地元の商店街主催で行われるイベントに、僕あるいはスタッフが実行委員として入ることで、地域を盛り上げることに役立つと同時に、他業種の人や地域住民の方たちと横の繋がりができます。それが自分の会社のみならず、介護業界全体の役に立つかもしれません。また、地域の方たちとの繋がりをもつことで人脈が広がりますから、なにか困りごとをもっている人がいたら「あの人に繋いでみよう」とパイプ役になれる点では、大きな強みだと感じています。

地域住民の繋がりでいえば、東住吉区の住民が中心メンバーとなっている地域コミュニティ「じょいなす☆なっぴー」の存在が大きい。
「じょいなす」とは英語の「Join us」に由来し、そこに東住吉区の公式キャラクター「なっぴー」をくっつけた。
参加資格を設けず、政治活動と宗教への勧誘、そして過度な営業、この3つだけ禁止という緩い繋がりだ。
スポーツ好きの同志を募ったり、地域のイベントを手伝ったり、「この指とまれ」方式で誰が参加してもしなくても自由な集まりだ。
建林氏もメンバーのひとりで、地域のイベントには積極的に参加してきた。
業界団体の会長職を多く引き受けているのも、事業所単体で行うには難しいことでも複数の事業所を跨いで相互に補い合いやすいからだという建林氏。人の繋がりを何より大事にしている。
一方で、経営者として、スタッフを率いる立場でもある。会社全体のモチベーションを上げるために、さまざまな工夫しているそうだ。
特にコロナ禍以降は、コミュニケーションが非常に大事だと痛感しています。人間関係が良くなると、仕事もやりやすくなります。半年に一度は全社員と懇談して、普段は吐き出せていない想いを聞いたり、とくに何もなかったら普通にお茶を飲みながら話をしたりするだけでもいい。そういう時間を大切にして、個人の繋がりをつくっていくことを大事にしています。
今後の展望については、次の世代へバトンタッチできるよう考えている。すでに後継者の目星は付けてあるそうで、次世代を担う若い世代が自分たちのやりたいことをやっていけるようレールを敷いていきたいという。
最後に読者へのメッセージを伺った。
介護される側の人は、早いうちから介護に関わると、心身の状態は悪くならないと思うんです。要介護になる人、そして要介護になった人を支える家族も、ギリギリまで頑張ってはダメです。早いうちから相談をしてプロの介護に任せると、費用はあまりかからないし、要介護状態が大きく悪くなることもありません。
「家族だから」と、自分で背負ってしまう人が少なくない。
頑張りすぎて共倒れになる前にプロの手を借りたら、少しの負担でこれまでと変わらない生活を維持できる可能性が広がる。
プロの手を借りることは、家族としての責任を放棄することではないし、恥ずかしいことでもないから、早めに手を打っておくことが大事だ。
