三共製作所グループ / グループ代表・Ph.D.(博士) 松本輝雅 氏
東大阪市に本社を構える三共製作所グループ。金属切削加工を主軸に、自動車や給湯器、変圧器などさまざまな製品の内部に組み込まれる部品を手がけている。
グループ従業員は約170名。そのうちおよそ7割を外国人材が占め、12カ国の人々が同じ現場で働く体制を築いてきた。
経営を担う三代目は、現場を見つめながら会社の仕組みを整え、製造業のあり方を模索してきた松本輝雅氏だ。
製造業が生き残るための戦略と、経営を支えてきた思考の背景について話を伺った。

100台の加工機と多国籍の人材が動く24時間工場
三共製作所グループの工場では、およそ100台の加工機が24時間体制で稼働している。
私たちは金属切削加工の会社です。マグネシウム以外なら、だいたい何でも削ります。部品も5グラムくらいから200キロ近いものまで幅広く作っていますね。
自動車、給湯器、消火器、変圧器、さらには防衛関連機器までも。手がける部品は、さまざまな製品の内部に組み込まれている。
図面が来れば形にするので、用途がわからないまま加工している部品もある。それが私たちの仕事。機械はおよそ100台ありますが、24時間動かしているので、生産量としてはかなり多いと思います。
その生産力を支える人材でとりわけ特徴的なのが、外国人人材である。
グループ従業員約170名のうち、およそ7割が外国人。国籍は12カ国に及び、インドネシア、ベトナム、キルギス、ブラジル、コロンビアなど、さまざまな国から人材が集まる。彼らは製造現場だけでなく、品質保証や管理部門にも配属されている。
優秀な人が多くてね。現場でもしっかり責任を持って仕事をしてくれます。
さらにグループ内には、日本語学校「BASIC日本語学院」や、技能実習・特定技能を支援する協同組合もある。
人材の教育から就労支援までを自社で担う体制を整えてきたのだ。

現在も新工場の建設が進み、さらなる生産体制の強化が見込まれている。一方で、グループを率いる松本氏の語り口はどこまでも落ち着いているのが印象的だ。
満足感も危機感も、両方あります。毎日、何かが起こりますから。
人材の問題や設備トラブル、海外情勢の変化。製造業の現場では、想定外の出来事が日常のように起こる。それでも現場を止めるわけにはいかない。だからこそ状況を見ながら仕組みを整え、次の手を打つ。
そうした積み重ねが、グループの現在の姿を形づくっている。

医学部を志した青年が、家業の再建に向き合う
親族に医師が多かったので、私も医学部を目指していました。理系科目が好きで、志望は国立大学の理系学部でした。
そう語る松本氏は、もともと家業を継ぐつもりはなかった。医学へ進まなかったが、関心は残っていた。大学を卒業して家業に入った後も、いつか学び直すという思いは、心のどこかにあったという。
やがて結婚し、家庭を持つ。仕事と生活の責任が増えるなかで、あらためて進路を見つめ直すこととなる。
医学部に進めば、6年間の学びと、その後の研修期間が待っている。将来を考えたとき、自分が選ぶべき道は別にあると判断したんです。
だが、医学への道に区切りをつけた頃、家業の現場は決して安定しているとはいえなかった。
当時は荒っぽい社員がたくさんいました。警察に呼び出されることもあったし、喧嘩するようなこともあった。生産計画なんて立てられない。何をしている会社なのか分からない状態でした。
正直、辞めたいと思ったことは何度もあります。でも、私がいなくなったら会社は後退する。それはまずいなと思いました。
そこで松本氏は部署に関係なく現場に入り込み、製造、資材、営業……できる仕事はすべて引き受けた。既存の役職に収まらず、会社全体を把握するため、「企画室」という肩書の名刺を自ら作って部門を横断して動いた時期もある。
家業を継ぐつもりはなかった松本氏も、いつの間にか会社を立て直す役割を担うようになっていた。
全国の優良企業を訪ね歩き、製造業の「勝ち方」を研究
どうすれば会社は立て直せるのか。松本氏は、その答えを自社の中だけで探そうとはしなかった。現場で働きながら、ある疑問が頭から離れなくなったという。
順調に仕事が回り続け、いつも忙しくしている優良会社がある。一方で、いつも資金繰りや受注に追われてヒイヒイ言っている会社もある。その違いは何か?そこには理由があるはずだと思ったんです。
そこで全国の企業を訪ね歩き、経営者に直接会い、その会社がなぜ利益を出し続けているのかを聞き続けた。
論文にしたかったんです。社長に“1から10まで教えてください”とお願いして、録音し、全部書き起こしました。
取材した内容はやがて一冊の本(※1)にまとめられることになる。だが、その作業は10年にも及んだ。
(※1)著作 『製造業イノベーション なぜこの会社は継続して儲かっているのか』
書いている間は、本当にしんどかったですね。完成した後もしばらくは、出来上がった本をまともに見れませんでした。あの過酷な日々を思い出してしまうんですよ。

取材を重ねまとめていくうちに、企業が強くなる理由にはいくつかの型があることが見えてきた。
圧倒的な品質で代替を許さない企業。独自の技術やノウハウを守り続ける企業。受注から納品までのスピードで市場を制する企業。
方法はそれぞれ異なるが、いずれも「簡単には真似できない強み」を持っている点は共通している。
松本氏はそれらを整理し、企業が強くなる仕組みとして類型化していった。
いくつかのパターンがある中で、うちは品質とブランドを強みにしていこうと決めました。価格競争ではなく、代わりがきかない存在になるということですね。
三共製作所の切削加工も、その延長線上にある。
図面どおりに加工するだけではなく、「あそこなら間違いない」と言われる会社を目指した。
そして、この戦略を支えるもう一つの柱が人材だった。最初の転機は、日系ブラジル人の採用である。
当時はバブル期で、製造業は深刻な人手不足に直面していた。そんな時、知人から日系ブラジル人の人材を紹介される。
まだ日系ブラジル人が日本で働けることもあまり知られていない頃でした。外国人というだけで敬遠する会社も多かったんですが、うち(弊社)は受け入れたんです。
実際に働いてもらったら、めちゃくちゃ優秀でした。本国では弁護士や航空管制官をしていた人もいたし、よく働くし。生産性も上がりましたね。
しかしそれらの人材はその後、大手メーカーへ転職し出す。人材獲得の競争は激しくなっていった。そこで松本氏は、次の国を探すことにした。
2000年、ベトナムへ渡航。現地を見て、その場で採用を決めたという。やがて、人材のネットワークは複数の国へと広がっていく。採用の基準は一貫していた。
勤勉で、人柄がやさしいこと。一緒に働く仲間ですから。
さらに松本氏は、人材の受け入れ体制も整えていく。技能実習や特定技能の制度を活用し、日本語教育も自社で整備。人材の入口から育成までを自社で担う仕組みを整えていったのだ。
こうした企業研究は、学問としての研究にもつながっていった。松本氏は49歳で大学院に復学し、仕事を続けながら研究を重ね、10年間通い続けて59歳で博士号を取得する。
やっぱり勉強が好きなんでしょうね。
そうしみじみと振り返る。若い頃に志した学問の世界へ、別の形で戻った瞬間だった。

変化する製造業の先を見据え、仕組みと習慣を積み重ねる
そのうち、製造の現場もかなり変わると思います。テスラ(※2)もロボットを作ろうとしているでしょう。協働ロボットも、300万円くらいで導入できる時代になっていますからね。
(※2)テスラ:アメリカの電気自動車(EV)およびクリーンエネルギー企業。単なる自動車メーカーではなく、エネルギーの持続可能性を最大化する総合エネルギーマネジメント企業として高い成長と企業価値を誇っている。
三共製作所グループでは、外国人材の仕組みを整えながら現場を支えてきた一方で、設備投資による効率化も進めてきた。
うちは基本、できるところは自動化していこうと思っています。人と設備をどう組み合わせるかが重要です。
製造の現場が少しずつ形を変えていくなかで、その変化を前提に次の体制を考えている。そうした判断の背景には、長年続けてきた習慣があった。
37歳から続けている滝行。そして、人とのつながりを意識的に広げてきたことだ。
松本氏はかつて、人脈についてこんな目標を立てていた。
私が電話したら相手が出てくれて、話を聞いてくれる人を1,000人集めようと決めました。35歳までにと思っていたんですが、わりと早く達成できました。今はもう、その何倍にも広がっています。
現場を見て、人とつながり、変化に備えて仕組みを整える……そうした積み重ねが、松本氏の経営を支えてきた。
現在70歳。だが、本人はこう言い切る。
あと10年やります。
製造の環境はこれからも変わり続ける。その変化を見据えながら、次の仕組みを考えていくことになるのだろう。

