フコク産業株式会社 / 代表取締役 社長 清水隆裕 氏
清水隆裕氏は大阪府八尾市にある、工業用ゴム・シリコーンの製造販売を主業とするフコク産業株式会社の4代目社長である。同社は叔父が昭和47(1972)年に創業したが、創業者が早世したために祖父が家業だった布団店を畳んで事業を受け継ぎ、その後、清水社長の父親へと継承されていった。

清水社長は子どものころからゴムの匂いが苦手で、将来を考える年ごろになっても工場の仕事に夢を抱けず、家業を継ぐ考えはなかった。それを表すかのように、フコク産業に入社するまでは、家業とはまったく縁のない道を歩んできた。
大学時代は学校を休学して、オーストラリアにサーフィン留学に行ったんです。その道でプロになれるとは思っていませんでしたが、おかげで見聞を広めることができました。帰国してからは自分で、おでん屋台を開きました。『サザエさん』で登場人物が、おでん屋台で一杯やるシーンがあるじゃないですか。実際には見たことないけれど、本当にあったらいいなと思ったのがきっかけです。夜はおでん屋台をやって、昼間はビジネス街でカレーを売り歩いていました。
商売は順調で、なにより目の前でお客がよろこぶ顔を見ることがやりがいだった。店舗を構えることも検討したが、少々の路線変更を経て、次に飲食業界専門の求人広告を取り扱う会社に就職。そこで10年を経たころに、今へとつながる転機が訪れた。
求人広告の仕事も自分なりの思いを持ちながらやっていたのですが、やがて自分にしかできない仕事がしたいと思うようになったんです。それはなんだろうと考えて、家業を継ぐことだと結論づけました。だけど当時は赤字の町工場でしたし、結婚もしていたので家族を養い続ける自信が持てない。そこで勤めていた会社の代理店として独立しながら、同時に父の会社を継ぐためにフコク産業に入社しました。ちょうどそのときにパン職人の妻が店を出すことになり、妻といっしょにパン屋もやるという3足のわらじを履くことになったんです。

「無茶ぶり、大歓迎!」
どんな依頼にも、創意工夫で対応する
家業を継ぐことを決意した理由のひとつは、年齢を重ねた父親の背中が小さく見えたことである。会社経営が苦しい状況にあることを知っていたからこそ、父が工場を畳む姿は見たくなかった。自分にしかできない仕事はこの会社を存続させ、再び盛り上げることである。そう決意して、2012年に入社した。それからは現場仕事に始まり、営業、品質管理など社内のあらゆる仕事に携わった。その間に3足のわらじの軸足は家業に重心を移し、入社からの10年間でさまざまな経験を積み重ねて、社の創業50周年の節目である2022年に、正式に事業を継承した。

フコク産業に入社したころに、業界の先輩に仕事絡みのご相談をさせていただくと『無理や』とか『そんなん、できへん』という話が、すごく多かったんです。無理というのは経験から来ているのだろうと思ったのですが、みなさんすぐに『無理』と言うよな!?という印象だったんですよ。それで本当に無理なんかなと思ってやってみたら、実際はできることが多くて、8~9割のことができるんですよ。できることなのにできないという人が多い業界だったので、私はここでやっても勝てると思いました。それが自分の原点にありますし、今もやる気があれば何事も切り開いていけると思っています。
そんな経験を経て、自らが代表取締役になって打ち立てたポリシーは“無茶ぶり大歓迎!”である。一般的には無理だと思われる依頼にも対応し、形にしてみせる。今ではこれは、フコク産業の大きな強みになっている。
いろいろとお仕事のご相談をいただきますが、弊社は無茶ぶりを大歓迎しています。よそでできへんと言われたら、弊社に話を持ってきてくださいと。実際には『これ、どうやったらできるんやろか』といった案件もあります。そんな際も頭を柔軟にして『こうしたら、できるかもしれへん』『逆の発想をしたら、実現できるんちゃうか』とつねに考えるんです。当然どこの会社も取り組まれていると思いますが、弊社はそれを経営者が先頭に立ってやっています。現場は、嫌やと思いますよ(苦笑)。でも私は他社ができない事案を実現させることに価値があり、そこに弊社の伸び代があると感じています。
自社だけの唯我独尊で、無茶ぶりを引き受けているのではない。自社で賄えない作業は、良好な関係を築く周囲の協力会社に依頼する。協力会社も、フコク産業からの発注で仕事が生まれる。そうして、互いにウィン・ウィンの関係を築いている。
たとえば弊社ではゴムを練る工程はやっていませんが、それをやってくださる外注先は10社近くあります。だから弊社のお客様には、その10社の技術を提案できるんです。より多くの選択肢のなかから選べるのは、お客様にとってメリットになります。協力会社さんには弊社からの無茶ぶりに対応していただくこともありますので、値上げ要求に対してはノーとは言いません。やりとりの過程で、情報交換や相談もしています。そうして協力会社さんとチームになって事業を作っているのも、弊社の強みになっていると思います。

攻める経営でメーカーを目指し、
業界を守るための取り組みも
社のトップに就任してからの日はまだ浅いが、清水社長には目指す明確な目標がある。そのひとつは、現在は下請けとOEMに限られている自社の事業から、メーカーの機能を生み出すことである。
これからは積極的に、自社商品を出していきたいと考えています。今もドアノブカバーなどの自社商品を生産していて、今後はこれらの商品をいかに世に出していくかが課題ですね。インターネットの普及で製造業もかなりオープンな環境になってきていて、我々のような製造メーカーがBtoCで直販できる土壌ができていますし、クラウドファンディングなどでチャレンジしやすい環境ができている。昔より、可能性は広がっています。我々ができることを世界に出していって、下請けメーカーから素材メーカーへと飛躍していきたいですね。

そしてもうひとつは、清水社長曰く「守る事業」である。家族で経営を続けてきた同業者が、経営者の高齢化と後継者の不在で、事業を畳まざるを得ない事態が表面化してきている。協力会社との関係を重視するフコク産業にとって、同業者の減少は有利に働かない。だからこそ「守る」ための軸足を社ではなく、業界に置いて取り組む。
後継者がいない町工場が廃業を選択される際に、そこにある金型や仕事を引き取らせていただき、弊社で継続することも行っています。我々のゴム業界に限らず製造業界全体にも言えることですが、今後は後継者不足がより深刻な問題です。例えば、弊社が廃業される同業者をM&Aすれば、お取り引きがあったお客様は発注が続けられますし、経営者さんも安心して辞められる。また弊社としても、社内になかった技術などを習得できる機会が得られる。これはまさに、三方よしの関係です。業界のセーフティーネットのように引き受けていくことで、我々の存在価値を作っていきたいとも思っています。

用途に応じて自らの在り方を変えられる
ゴムのように、時代を生き抜いていく
創業50年を経過したフコク産業にとって今は、第2創業期とも捉えられる時期にある。昨今は業界内だけではなく、社会情勢の変化も激しい。そんな荒波の時代に、4代目は社をどう導くのか。
たとえば上場がゴールだとか、そういったことに私は目標を置いていません。目的は永続性なんです。100年、200年、300年と続く企業を作りたいと思っていて、今はその通過点だと捉えています。今後も今ある経営資源をブラッシュアップしていったり、従業員さんにもっと生き生き働いて夢を実現していただくことに取り組んでいきます。
それはなによりも大事なことと捉えているが、決してゴールや目的ではないという。
その先にあるのは、会社が社会から必要とされ続けること。会社を継続させていき、社会に貢献し続ける。そうすることで、従業員さんも豊かになる。私はそこに、いちばんの価値と目標を置いています。そうやって創業者から繋いできたバトンを次の世代に渡していくことが、自分の使命だと思っています。
フコク産業が扱うゴムは、どんな形にもどんな硬さにもなる。その素材の特性は、人生訓につながるところもある。そんな深い話をしてくれた清水社長の言葉で、本稿を終える。
ゴムは硬度を変えられますし、変形もして伸びたり、跳ねることもできる。また実際の用途としては硬いものと硬いものの間で変形することで、その機能を果たすことが多い。気体や液体の漏れを防いだり、衝撃に対してのクッションになったりするんですよ。これは人の在り方も、社会の在り方も同じなのかなと思うんです。社会が変化していくのに合わせて、我々も変化してフィットしていく。人と人の関係も、そうですね。自分が硬くなれば他者の意見を跳ね返しますが、柔軟になれば相手の話を吸収できる。そういったことはゴムから学びましたし、これからもそれを活かしていきたいと思います。

