あすなろ介護株式会社 / 代表取締役 鳥屋尾 利行 氏
印刷機器の輸入商社 ハイデルベルグ・ジャパンで開発や営業に携わっていた鳥屋尾(とやお)利行氏。
リーマンショックのあおりを受け人員整理を行うことになり、リストラ候補に自分の名が挙がったことを機に起業に踏み切った。
脳性麻痺をもって生まれてきた三女のために、将来の居場所をつくることが介護事業で起業する直接の動機だったと語る。

リーマンショックによるリストラを経て起業
ハイデルベルグ社の東京本社に勤務していた鳥屋尾氏は、企画宣伝、情報誌の編集に関わった。
会社の情報誌です。カメラマンとライターさんを連れてハイデルベルグの印刷機が入っている企業様を訪ねて、お話を伺ってくるわけです。ちょうど今、こうして『オオサカジン』の取材を受けていますけど、当時はそちら側にいたわけですよ(笑)。
そこで家庭を持ち、大阪には戻らず暮らし続けるつもりだった。ところが、近くに身内がいない環境は、思いのほか負担が大きかった。
入社した当初、東京本社へ配属されて開発要員としてプログラムを組んでいました。その3年後に、当時お付き合いしていた女性、今の妻を呼び寄せて結婚しました。横浜にマンションを買って、そこで一生暮らすつもりだったのですが、三女が生まれて脳性麻痺と診断されたのです。
当時、鳥屋尾氏は脳性麻痺に関して深い知識はなかった。事の重大さにはまだ気づかず、ただ入退院を繰り返していた。ところが、身内がいない地での生活が、やがて大きな負担になってくる。
長女が小学生、次女が幼稚園、三女が病院という状態でも、親は私と妻の2人しかいませんから、子どもの世話をする手が絶対的に足りないわけです。そういう生活が2年弱ほど続いたときに、このままでは生活が立ち行かないため、会社に申請して大阪へ転勤させてもらったのです。大阪は地元ですから、私も妻も実家を頼ることができるようになりました。
夫婦の負担は減り、これからは三女を中心に生きていくことを決めた鳥屋尾氏。
大阪では営業、販売促進などに携わる。
営業に携わっていたとき、他社の経営者と直接会う機会が増えた。業務のことや経営哲学などの話を聞いたり情報提供を受けたりしながら、ビジネススキルは確実に伸びていったという。
そんな折、2008年にリーマンショック(※1)が起こる。
(※1)リーマンショック:2008年9月15日に米投資銀行「リーマン・ブラザーズ」の経営破綻を機に起きた、世界的な金融・経済危機
日本に大きな影響はなかったのですが、ドイツの本社が受けたダメージが酷かったようです。本国と同じ規模のリストラをしなさいとの指示が来て、一緒に働いていた同僚らの多くが会社を去りました。

ところが鳥屋尾氏は、この大規模な人員整理をむしろ起業のチャンスととらえた。次のリストラ候補に自分を入れてくれるよう、自ら上司に頼んだのだ。そうすると、本当に名前が挙がった。
退職が決まると、介護タクシーの運転ができるようにと2種免許も取得した。また、ハローワークの求職訓練で介護職員基礎研修も受け始めて、起業の準備を進めていったのだ。
介護事業で起業を思い立ったのは、たまたま手に取ったハウツー本がきっかけだった。この時、三女の為に介護事業に向けた人生の駒がいよいよ進んでいく。
タイトルは忘れましたが、介護事業で起業しませんかという内容で、こういう人生の選び方もあるんだなと。それと、三女のこともあります。入浴介助の一部はうちでやっていますが、生活支援は他の事業者さんにお願いしています。それでも、出来ない日があったら、うちで調整してあげられることや、私たち家族が感じた不安を少しでも解消できればとの想いからですね。
実は起業準備の一環で介護職員基礎研修を受講していたとき、一緒に起業する仲間も探していた。6カ月の受講期間に2人の同志を見つけて一緒に設立したのが、あすなろ介護株式会社なのだ。
設立当初は、売り上げの確保に苦しみました。介護事業を立ち上げたからといって、利用者さんが勝手に集まって来てくれるわけではありません。人件費を抑えるために、私が利用者さんを訪ねてケアをして、少しずつですが必死で利用者さんを増やしていきました。それに伴って、介護士さんも増やしました。
当初は、いわゆる困難事例を率先して引き受けたそうだ。困難というのはクレーマー(苦情者)の類で、他の事業所が引き受けを躊躇するケースだ。
障がいをもっている方を受け入れているのですが、ひと口に障がいといっても人それぞれで千差万別です。状況に合わせて柔軟に対応できるスタッフじゃないと、利用者さんと喧嘩して帰ってきたら本末転倒ですよね。しかも、利用者さんの後ろには役所がついていますから、揉めたらこちらの立場がどうしても弱くなってしまいます。そんな利用者さんともうまく対応できるのが、うちの強みになりました。
鳥屋尾氏にも障がいをもつ三女がいるため、利用者さんの家族の気持ちにも実感を伴って寄り添えることも、他の事業者にはない強みかもしれない。
それを、営業担当がうまく使うんですよ。「社長の娘さんがね……」って(笑)。だから、安心してお任せくださいって。企業理念にも「利用者さんと利用者さんの家族の支えになる」と書いてますし。
起業から3年が過ぎた頃、事業は伸びているのにキャッシュフローがついてこない事態に陥った。介護報酬の入金が翌々月のため、資金繰りに苦慮したという。
ハイデルベルグの退職金を投入しても追い付かなくて、もしかしたら黒字倒産しかねない状況でしたが、なんとか持ちこたえて生き残っています。
2026年1月現在、約70人のスタッフを擁する事業所に成長した。
提供するサービスも、居宅介護、同行援護、重度訪問介護、訪問介護、介護予防訪問介護など幅広い。また、エリアも大阪市をはじめ府下の十数市と、京都府の一部にまで及んでいる。
3年前に、デイサービスの事業所をM&A(合併・買収)をして、くずは支店として運営しています。買った当初は赤字でしたが、2年目ぐらいから黒字になって、利益を残してくれるいい組織になりました。
現在、厚生労働省は、採算が取れない事業者を整理する動きをみせている。
そのため廃業を決めた事業者から乞われて、利用者を引き継ぐこともあるそうだ。
利用者さんの引受先が決まらない間は、事業を畳むことができないのです。一昨年あたりから、他社から「うちは事業を畳むことにしたので、あすなろさんで引き継いでくれませんか」って、すでに3社から引き受けています。そういった事業者の経営をしていた人やスタッフだった人も、うちのスタッフとして入ってくれる例がありますよ。

介護士を自社で養成することで人材の安定確保を図る
鳥屋尾氏が介護サービスと並行して取り組んでいる事業のひとつに、介護士を養成する教育機関 アイ・ビリーブ株式会社がある。介護士を自社で養成するメリットは、所定のカリキュラムを履修した介護士を安定して雇用できることにある。また、一方で、止むにやまれぬ事情もあるのだという。
5~6年前から、業界全般に介護士の募集が困難になっています。紹介会社に頼んで採用しても、半年くらいで辞めてしまうのです。でも、紹介料は発生しますから、こっちは決して小さくない損を被ります。そんなことを繰り返すくらいなら、介護士を養成する学校をつくって、自社で教育して資格を取ってもらおうということで始めました。
正式に資格が取れる教育カリキュラムを組むには、15人程度の講師が必要だった。だが、それも上手く集めることができたそうだ。
無資格者を教育し、資格に価値を見出してくれることを期待した。
卒業して資格を取ったら、結構スパッと辞められてしまうこともありまして。
それが、鳥屋尾氏の悩みのタネになっている。
ただ、全般的にみれば、自社で介護士の養成をやりはじめてからは、採用に苦慮することは少なくなったという。

愛情をもって育てられた「心が温かい人」と一緒に仕事をしたい
鳥屋尾氏はさらに、市内で「駄菓子屋」を開いた。
店内には、自社の介護士募集ポスターも掲示されている。店員は、市内の大学生をアルバイトで雇う。いつも募集を上回る応募があるそうだ。
駄菓子屋に関心のある子が意外に多いですし、若い人が集まる場にしたかったんです。
鳥屋尾氏が初めに描いていた構想では、就労継続支援B型(※2)として、障がいがある人の社会参加を促したいとの思惑があった。
最後に、鳥屋尾氏が「一緒に働きたい」と思う人物像を尋ねた。
(※2)就労継続支援B型事業所:障がいや難病により一般企業での就労が困難な方に対し、雇用契約を結ばずに、自分のペースで働ける「場所」や「生産活動の機会」を提供する障がい福祉サービス
確かに頭のいい人や愛情の深い人は必要なんですが、突き詰めていくと「心が温かい人」ですね。言い換えると、親御さんから愛情を注がれて育った人。知的障がいがある人にも、人としてちゃんと『気持ち』があります。そういう人に対して、愛情をもって見守れる人と一緒に仕事をしたい。知識や技能的なことは、後から勉強すればいいのですから。
鳥屋尾氏は現在63歳。いま15歳下の専務を後継者として育成中だ。もっとも専務も鳥屋尾氏と共にあすなろ介護を創設したメンバーのひとりとのことで、経営理念や鳥屋尾氏の精神はすでに受け継いでいる。
また、将来は、お世話している人たちが安心して暮らせる、グループホーム(※3)もつくりたいとのこと。
「それは、三女のためでもあります」という鳥屋尾氏。
健康で動けるうちに、自分も利用者さんたちも安心できる居場所をつくるのが目標だ。
(※3)グループホーム(認知症対応型共同生活介護):認知症の高齢者が5〜9人の少人数で、専門スタッフのサポートを受けながら共同生活を送る介護施設のこと

