株式会社ピーエーエス / 代表取締役 野村寿子 氏
リハビリの現場で磨いた“手の感覚”を、暮らしの中で生かす、ものづくりがある。
作業療法士としての経験をもとに、オーダーメイドの椅子をはじめとした、「体を支え、心を整える製品」を生み出してきた野村寿子氏。
彼女が率い、大阪府箕面市に本社を構える株式会社ピーエーエスでは、福祉用具からウェルネス(※1)商品まで、誰もが心地よく使えるデザインを追求している。
(※1)ウェルネス:単に病気でないことにとどまらず、心身ともに社会的にも良好な状態を積極的に追求し、よりよく生きようとするライフスタイルやその意識をいう。
「障がいのある人のために作ったものは、きっとみんなの役に立つ」
その信念を胸に、代表取締役 野村寿子氏が歩んできた“気づいて動く”ものづくりの道を語ってもらった。

体の声に寄り添う、暮らしを変える椅子づくり
一脚の椅子が、人の暮らしを変えることがある。
作業療法士 野村寿子氏がつくるのは、体の声を聞きながら形を決める “寄り添う椅子” だ。
作業療法士とは、日常生活の中で人の体の動きや姿勢を整え、呼吸や動作を助ける専門職。野村氏は、その “手の感覚”をオーダーメイドの椅子という形で再現している。
年間350件に及ぶ制作現場では、座ることすら難しかった人が、再び呼吸を整え、笑顔を取り戻す瞬間がある。
できなかったことが、少しできるようになるだけで、人は変わる。
呼吸が深くなれば、気持ちも前を向く。私のつくる椅子はそのきっかけをつくる道具なのです。

野村氏の椅子に座った人々は、家族と一緒に外出できるようになったり、人生の最期を穏やかに迎えられたり……どれもが、野村氏にとって忘れられない出会いとなっている。
毎日たくさんの方と出会いながら、それぞれの体と対話して形を作っていきます。まるで問題集を解いているみたいに、一人ひとり違う課題があって。だからこそ、どの出会いも宝物。その積み重ねが、今の私を形作ってくれていると思いますね。
すべての椅子に、ひとりの人生と向き合った時間が宿る。その“ひとりを支える”という姿勢は、やがて一般向けブランド「p!nto(ピント)」(※2)にも受け継がれ、福祉の枠を超えて広がっていった。
(※2)p!nto(ピント):リハビリの知見をもとに姿勢を優しく支えるクッションブランド。体に無理なく寄り添う設計で、医療・福祉の現場だけでなくオフィスや家庭でも活用されている。
現在は、椅子・クッションに加え、寝具やウェア、ウェルネス商品など、暮らし全体を支えるアイテムを展開。
そして大阪・関西万博「大阪ヘルスケアパビリオン」にて“センソリーインテリア”(※3)を出展し、オフィス空間から心と体のバランスを整える暮らしのあり方を提示した。
リハビリの現場で培われた感覚を、誰もが使える形にして、暮らしの中へ届けているのだ。
(※3)センソリーインテリア:視覚・聴覚・触覚・嗅覚・固有覚といった五感に働きかけ、「心と体を整える空間設計」の考え方にもとづいたインテリア製品のこと。

大阪・関西万博「大阪ヘルスケアパビリオン」にて“センソリーインテリア”出展
「気づいて動く」 父の言葉から生まれた理念
野村氏が作業療法士を志したきっかけは、父の背中にあった。
泌尿器科医だった父は、脊髄損傷などで社会復帰が難しい患者たちと向き合いながら、「専門性は日常の中で生かしてこそ、なんぼのもんや(=価値がある)」と語っていたという。
父はそう言って、ほどなく亡くなってしまうのですが…その言葉が、ずっと私の中に残っているんです。日常の中で役立つ専門職に就きたいと思って、作業療法士を目指しました。
病院や施設でリハビリに携わる中で、野村氏は気づいていった。
「子どもたちは、遊びを通してこそ成長する。障がいの有無にかかわらず、育ちの原理は同じなのだ」と。
例えば、雨が降って水たまりができるとします。子どもはそれに気づいて、入りたくなって、足を踏み入れて、靴の中がぐちゃぐちゃになって「気持ち悪い」と感じる。でも次は、跳び越えてみようとか、バシャッと音を立ててみようとか、また動きたくなるもの。
こうした「気づいて、動いて、また気づく」を繰り返していくうちに、子どもは成長していくんですよ。
この感覚をまさに理論づけているのが、アメリカの心理学者ジェームズ・ギブソンの生態心理学だ。
知覚と行動は切り離せず、環境とのやりとりの中で〈気づいて動く/また気づく〉という循環が人を成長させるという考え方。すでに以前から野村氏が実践していたことが理論化されていたのだ。
その思想を体現する場として「気づいて動く場所」という意味を込め、自身の会社に“Perception and Action Space(PAS)”と名付けた。
現場で一人ひとりの体と向き合っていると、気づくことが本当に多いです。その小さな気づきが、次のものづくりにつながっていく。私だけでなく、社員みんながその循環の中で動いています。
一脚の椅子も、一枚の布も、誰かが「自分らしく動けるように」と願って生まれたもの。その積み重ねが、私たちの仕事なんです。
制度の外へ踏み出し、「みんなが育つ場所」をつくる
ピーエーエスを立ち上げる前、野村氏は吹田市が運営する障がい児施設で16年間、作業療法士として勤めていた。
保育士とともに子どもの「遊び」に寄り添い、体が不自由でも笑顔で過ごせる時間をつくる現場こそが、野村氏の原点である。その実践をまとめた共著書『遊びを育てる 出会いと動きがひらく子どもの世界』は、今も保育や福祉の分野で読み継がれている。
やがて、行政が「発達グレー」(※4)と呼ばれる子どもへの支援を制度化し始めた。現場で支援する立場として、野村氏は悩んだという。
(※4)発達グレー:発達障がいの特性が一部見られるものの、明確な診断基準には当てはまらない子どもたちを指す言葉。支援の必要性はありながら、制度上の線引きが難しいとされている。
障がいが「ある・ない」で線を引かなければ、制度は動かない。でも、子どもの成長に境界なんてないんです。
制度の整備が進むほどに、現場とのズレを感じるようになった。その違和感の根には、幼い頃に育った東大阪での記憶がある。
私が育った下町は、ほんまにいろんな人が一緒に暮らしてたんです。障がいのある子も、ない子も、同じ土の上で遊んで、ケンカして、また仲直りして。「ええやん、それで」と笑ってくれる大人も多かったし、“分ける”という発想が、そもそもありませんでしたね。
市の職員の立場で、対象を区切り、手続きを踏まなければ支援はできない。その仕組みの必要性は理解していた。それでも目の前の子どもたちを思うと、心は決まっていった。
「障がい児だから」「健常児だから」じゃなくて、目の前の子がどう育っていくかを見たい。だったら、制度の外に出て、みんなで一緒に育つ場所を自分でつくろう。そう思ったんです。
こうして公務員を辞め、1999年に誕生したのがピーエーエスの原点となる教室「遊空間ピーエーエス」。
陶芸や絵画などの感覚運動の教室を開き、障がいの有無にかかわらず通える空間づくりに挑んだのである。
しかし、当時はまだ福祉制度の支援が中心で、障がい児が民間の教室に通うという選択肢はほとんど知られていなかった。利用者は少なく、経営は厳しかったという。
やりたいことの方向性は間違っていない。でも、時代が早すぎたんです。公務員をやめて収入はゼロ。でも、この「みんなが集える教室」はいつか必要になると思っていました。
教室「遊空間ピーエーエス」(※5)を続ける中、野村氏はある作業療法学会で“椅子づくり”という新たな可能性と出会う。その経験が、後に「オーダーメイドの椅子」やブランド「p!nto」誕生へと発展していった。
(※5)教室「遊空間ピーエーエス」は現在休止中だが、「人が気づき、動く場所をつくる」という理念は、いまも受け継がれている。

五感を大切に、共に生きるものづくりを未来へ
「障がいのある人のために作ったものは、きっとみんなの役に立つ」
この言葉どおり、野村氏のものづくりは常に“共に生きる”視点から生まれている。
車椅子用のクッションや寝具、ウェア。どの製品にも「体が楽で、美しいこと」へのこだわりがある。福祉用品にありがちな無機質さを取り払い、日常にすっと溶け込むデザインを追求してきた。
いま、ピーエーエスは次の一歩を踏み出そうとしている。そのひとつが、2026年1月に完成予定の新社屋だ。
山に囲まれた自然の中に建つその建物は、野村氏自身が色彩設計まで手がけた。サーモンピンクやベージュ、青を基調にした空間は、光の加減によって表情を変え、そこにいる人々の気持ちをやわらげてくれる。
空間の色や光が、働く人の心のあり方を変えていく。「気づいて動く」というピーエーエスの理念を、まずは私たち自身が感じ取れる場所にしたかったんです。
その「場づくり」は、建物だけにとどまらない。野村氏は冗談めかしながら、こう話す。
最近、“AI 寿子”を作りたいって言ってるんです。私の考え方や判断の基準を、データとして残していけたらいいなと思って。「このとき野村ならどう考えるか」を、社員みんながいつでも引き出せるようにしたいんです。理念を共有して、誰もが自律的に動けるチームにしていきたいですね。
さらに、一般向けブランド『ひさこの五感くらし』を始動、一棟貸しのユニバーサルデザイン宿泊施設『ほぐれる暮らしの宿 coconiwa』を建設する計画もスタートした。
触れる、香る、聴くなど五感を刺激する体験を通して、人が元気を取り戻す場を育てていく構想だ。


ユニバーサルデザイン宿泊施設『ほぐれる暮らしの宿 coconiwa』イメージ
忙しい日々の中、プライベートタイムの野村氏は季節の野菜で手製のポタージュをつくり、自宅ベランダの植物に花が咲くのを見ては、ホっと息をつく。そんな時間を大切にしているという。
お花って、水をあげるとちゃんと応えてくれるでしょう。こうした小さなやり取りが、私の元気のもとなんです。
空の色や花の変化を常に気づける自分でいたい。その感覚を大切にしていれば、きっといいものづくりが続けられると思っています。

