インクルージョングループ / 会長 代表取締役 藤田 直 氏
一番大きかったのは、やっぱり相談の現場で「届かない」現実を見たことです。
制度や支援の仕組みが整ってきた今も、目の前の困りごとをすくいきれない場面は少なくない。福祉の現場では、障がいや高齢、子育て、働き方といった課題が重なり合い、ひとつの制度や事業だけでは支えきれない現実がある。
そうしたなかで、障がい福祉や保育、高齢者支援、さらに福祉事業の開業支援や経営支援まで手がけてきたのがインクルージョングループだ。
代表 藤田直氏は、必要だと感じたことにどう向き合ってきたのか?その歩みを追った。

現場と経営支援の両方を担うからこそ、実践に根ざした支援ができる
僕らは、現場だけをやっているわけでも、コンサルだけをやっているわけでもないんです。両方手がけるからこそ、見えるものがある。
福祉事業を自ら運営する一方で、福祉事業の開業支援や経営支援も手がけているインクルージョングループ。現場と支援の両面を担っていることが、同グループの現在地をよく表している。
最前線にいるからこそ、実践しながらアドバイスできる。自分たちでやっていなかったら、机上の空論になってしまう部分もあると思うんですよ。
現場を持つからこそ、支援の実態に根ざした助言ができる。グループを率いる藤田 直氏の言葉からは、実践のなかで積み重ねてきた実感がにじんでいた。
コンサルタントがいないと事業が回らない状態は、ずるいと思っていて。いつまでも頼るのではなく、いつかは卒業して独り立ちしてもらいたいんです。
目指しているのは、支援先が自分たちの力で回っていける状態をつくることだ。その考え方は、自らの事業のあり方にも通じている。
どんな空間であろうが、どんな空気であろうが、自分がいることで明るくなったり、楽しくなったり、救われたり。そういうことをずっとしたかった。

救えなかった悔しさが福祉の道へ。理不尽への怒りが起業へ向かわせた
藤田氏が福祉の世界に入る前、身を置いていたのはパチンコ業界だった。就職氷河期のなかで、まず生活していくために選んだ仕事だったという。
“食っていける仕事”ではありました。お客さんから何十万円使ってもらって、それが自分の給料になる。もちろん仕事として成り立っているけど、自分の中ではどこか割り切れないものがあったんですよね。
そんな思いを抱えるなかで強く残っていたのが、身近な友人を救えなかった経験だ。
困っている友人から連絡をもらっていたにもかかわらず、忙しさもあって十分に力になれなかった。その悔しさが、“ もっとまっすぐに、人の役に立つ仕事をしたい ”という思いにつながっていく。
また藤田氏は、理不尽だと感じたことを、そのまま受け入れるタイプではなかった。高校時代には、文化祭で音楽ライブをしたいという思いから生徒会長になり、校則や慣習を動かした経験もある。
無理やと言われたら、「なんで無理なん?」「どうやったら変えられるん?」って考えるタイプなんです。ルールを変えるのって、やってみたら意外と難しくない。学生の頃から、そんな感覚がありました。
友人を救えなかった悔しさや、身近にあったいじめ、貧困の問題への思いも、藤田氏の中には残り続けていた。
そんな折に始まったのが介護保険制度(※)である。もともと人から相談を受けることが多かった藤田氏は、その新しい制度に自分の進む道を重ねていった。
(※)介護保険制度:介護が必要な高齢者やその家族を社会全体で支え合うため、2000年に創設された公的保険制度。40歳以上のすべての人が保険料を納め、介護が必要になった際に一定の自己負担で介護サービスを受けられる仕組み
制度のことを覚えて、困ってる人の力になれる仕事は、自分に向いてるんじゃないかと思っていました。ソーシャルワーカー(相談援助をとおして生活での困難や支障のある人々を支援する専門職)の仕事をやってみたい気持ちも強かったですし、介護保険が始まったばかりの業界だったので、ここなら自分にも勝負できるかもしれない、と。
ただ、福祉の現場に入ってすぐに相談職へ就けたわけではなかった。特別養護老人ホームで働きながら、利用者や家族と向き合う日々を重ねる。
その経験を土台に相談員となった藤田氏は、外出行事や地域との交流にも力を入れ、目の前の人の表情が変わっていく手応えをつかんでいった。
相談に来られた時はほんまに悲壮な顔でも、最後には笑顔で帰ってもらう、というのはずっと意識していました。めちゃくちゃ勉強もしてたし、正直、俺に相談に来てくれたら何とかできる、くらいには思ってたんです。
しかし、地域で相談を受けるようになると、藤田氏は既存の制度だけでは受け止めきれない現実に次々と直面する。そこにあったのは、介護に限らず、家庭や子ども、生活全体に及ぶ切実な悩みだった。
「旦那にDVを受けてるんですけど、この先どうやって生活していったらいいですか?」「子どもに発達障がいがあり、小学校に入ったばかりなのにもう不登校です、どうしたらええんでしょう?」とか。ほんまにいろんな相談が来たんです。その時に痛感したんですよ。正直、「俺にできないことはない!」と思ってたけど、何もできへんやんって。
怒りと無力感は、起業を決意する原点になった。ただ、理由はそれだけではない。藤田氏のなかには、組織のあり方そのものへの違和感もあったという。現場でひたむきに働く人が、正当に評価されていないと感じる場面も少なくなかった。
ちゃんと人の評価を正当にした方がいいと思っていました。ひたむきに頑張ってる人が報われないのは、おかしいやろって。「だったら俺が組織のてっぺんを取って、自分が正しいと思うルールで運営したい」と考えたんです。
相談の現場で見た理不尽さと、組織の中で感じていた違和感。その両方が重なった先に、起業という選択があった。
一番大きかったのは、やっぱり相談の現場で「届かない」現実を見たことです。目の前で困ってる人がいるのに、仕組みの側が追いついていない。それやったら、自分でつくるしかないなと思いました。

「これでええんか?」と問い続け、必要な事業をつくってきた
障がい福祉、保育、高齢者支援、コンサルティング。藤田氏が事業を動かす源には、いつも現場の困りごとがある。
障がい分野を見直す中で就労支援事業所(※2)に足を運び、利用者にどんな仕事を用意するかを強く意識するようになったという。そこで、デザインやライティング(文章作成)、動画編集などの仕事を取り入れ、利用者が実務に触れられる環境をつくった。
(※2)就労支援事業所:障害や病気(精神障害、身体障害、知的障害、発達障害、難病など)を抱え、一般企業で働くことに不安や困難を感じている方々に対し、働くための知識やスキルの向上、職場探し、就職後の定着支援を行う福祉サービス施設
就労支援事業所を見に行った時、暗いところで単純作業ばっかりしている場所もあって、正直「何がおもろいねん、これ」と思ったんです。もちろん、なんでも立派な仕事です。ただ、それを続けるだけでは、その先の選択肢が広がりにくいこともある。それやったら、手に職が残る仕事をちゃんと作りたいと思ったんです。
コンサルティング先のチラシ制作の仕事なども依頼し、経験を積める場を広げていく。
せっかく働くなら、将来的にも役に立つことを身につけてほしい。「これができる」と言えるものを持って外に出られた方がいいし、在宅でもできる仕事なら、働き方の幅も広がります。
その関心は保育にも広がっていった。
就労支援の現場や、いろんな大人の方を見ていると、もっと子どもの頃から社会性や人との関わり方を育てていけたら、違ってくる人もいてるんちゃうかなと思ったんです。そう感じたことが、保育の事業や、大学の先生と組んだプログラムづくりにもつながっていきました。
また、働く職員の側にも、見過ごせない課題があった。
子どもが生まれたばかりの職員さんの中には、働きたい気持ちはあるのに、子供の預け先のこともあって、職場で遠慮しながら働いている人もいた。これは環境の方を整えなければいけないと。地域の子どもも、自分たちの職員の子どもも預かれる場所として、企業主導型保育を立ち上げました。
さらにコンサルティング事業でも、藤田氏が見ている範囲は広い。開業の手前から、開業後の運営まで切れ目なく関わる。
皆さんは初めて開業するわけですから、最初は分からないことだらけです。お金を借りるところから、法人格をどうするか、事業計画をどう立てるか、指定申請をどう通すか、全部つながってる。開業してからも、利用者や職員のこと、経営と、次々出てくる課題まで見ていく必要があると思っています。
重視しているのは、支援先が自分たちで回っていける状態をつくることだ。
そうした考えから、藤田氏はコンサルティングにとどまらず、“経営を担う人を育てる場”として経営塾も続けてきた。
事業を立ち上げる知識や考え方を伝え、自分で動ける人を増やしていく。
その取り組みから、卒業生や支援先、社内から起業する人も生まれていった。実際、地方の限界集落で宿泊施設づくりやオンライン診療の普及に取り組む卒業生もいるという。
自分だけが抱え続けるより、ノウハウを持った人が増えて、それぞれの場所で走っていける方がいい。そういう広がり方には意味があると思っています。

分けられた福祉をつなぎ直し、支え合いが生まれる場にしたい
いま藤田氏が思い描くのは、高齢者、障がいのある人、子どもが同じ場で関わり合える環境だ。
老人ホーム、保育園、障がいのある人の入居施設を備え、それぞれがゆるやかにつながる。そんな福祉の拠点を、自身の実業として形にしたいと考えている。
高齢者も子どもも障がいのある人も、地域の中で一緒に暮らしている。それなのに福祉のサービスとなると、全部ばらばらになる。それって、やっぱり不自然やと思うんです。
ただ、一緒にいるだけではあまり意味がない。誰かの役に立てる、自分にもできることがある……そう感じられる場が、生きる力にもなりますよね。
支援する側と支援される側をきっぱり分けない。子どもが高齢者から受け取るものもあれば、障がいのある人が誰かを支える場面もある。そうした関係が日常の中で生まれる可能性を見ているのだ。
その発想は、法人同士の関係にも及ぶ。同じ課題意識を持つ事業者が法人の垣根を越えてつながり、それぞれの強みを生かしながら支援を担うあり方だ。そうした連携のあり方は、「コンソーシアム」とも呼ばれる。
一つの法人で何でもやる時代ではないと思っています。法人の垣根を越えて、みんなで一つのプロジェクトをやっていくことで、社会貢献をしていく。そういう形が、これからは必要です。
藤田氏が見据えているのは、一つの法人の中だけで完結する福祉ではない。
人も法人もゆるやかにつながり、それぞれの役割を持ちながら支え合える地域のあり方だ。
その視線は、利用者や地域にとどまらない。藤田氏は、組織を率いるなかで自らの未熟さとも向き合ってきた。だからこそ今は、一人ひとりが自分を大切にしながら働けることを重視しているという。誰かに無理を強いるのではなく、それぞれが安心して力を発揮できる場であってほしい。そんな願いも、思い描く福祉の延長線上にある。
どんな空間であろうが、どんな空気であろうが、自分がいることで明るくなったり、楽しくなったり、救われたり。そういうことをずっとしたかった。
必要な事業を積み重ねてきた先で、藤田氏は分けられた支援をつなぎ直そうとしている。
その先にあるのは、支援を必要とする人はもちろん、働く人にとっても、自分らしくいられる場なのだろう。

