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沈没寸前だった創業100余年の銅線加工メーカーを蘇らせた4代目社長
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沈没寸前だった創業100余年の銅線加工メーカーを蘇らせた4代目社長

2025.09.07
昭和製線株式会社




昭和製線株式会社 / 代表取締役社長 廣瀬 康輔 氏



大阪府富田林市にある昭和製線株式会社は、銅線の加工を主業とし、前身時代から数えて創業100年余りの歴史を重ねてきた。現在の代表取締役である廣瀬康輔氏は、4代目にあたる。曽祖父が1920(大正9)年に大阪市平野区に平野電線製造所を設立し、戦後に一度は事業を清算するが、1956(昭和31)年に現在の社名で再興。それからの歴史も、約70年を数える。曽祖父から父まで3代にわたって受け継がれてきただけに、廣瀬氏が跡を継ぐのは既定路線だったのかと話を向けると、4代目はにこやかな笑顔を浮かべながら否定した。

沈没寸前だった創業100余年の銅線加工メーカーを蘇らせた4代目社長

今後、電線の事業が伸びていくことはなかろうという気もしていましたので、規定路線で戻ろうとは考えていなかったですね。ですが、実際に就職して仕事をしてみて、これまで自分が食べてこられているのも、成長しているのも、昭和製線という会社のおかげだということにあらためて気づきました

その頃、父親である社長とともに長年、会社を支えてきた工場長が退職するタイミングが重なった。

そのときに父親から『ウチでやる気があるんやったら、今のタイミングがエエのと違うか』という話がありました。それまでは父親から、会社を継がないかという話は全然なかったんです。やりたかったら、やったらエエんちゃうくらいの感覚でしたね。その話があって一度、真剣に考えてみました。会社には社員がいるし、彼らには彼らの生活がある。それだったら、真剣に事業や会社自体を考える人間が必要じゃないかと思ったんです。それで、戻ろうと決めました

昭和製線に入社したのは2004年。入社前は一度戻ってみて、その後も継続するかは追々考えるつもりでいた。しかし、入社してすぐに、やるからには徹底的にやると腹をくくった。廣瀬氏をそうさせたのには、当時の昭和製線が数々の問題を抱えていたこともあったのだろう。

商売自体がどんどん落ち込んでいくようなタイミングで、出荷量も減っていくし、利益も減っていく。それに、お客さんからのクレームが多かったですね。お客さんの製品に求める品質が上がっていて、それに対応できていませんでした。クレーム対応は精神的にもこたえるので、あの時期は本当にしんどかったですね

徹底すべきは品質管理の改善。とはいっても、言うは易く行うは難しである。顧客との対話を重ね、工程をはじめあらゆる点をいちから見直した。品質にこだわってきた社の原点とあらためて向き合い、愚直に改善に取り組む。同時に従業員の意識改革も促し、時間は要したがクレームは徐々に減っていった。そして入社から10年の時を経て、2014年に代表取締役に就任。ここも一筋縄ではいかず、社長としての船出は荒波に向かっての出港だった。

沈没寸前だった創業100余年の銅線加工メーカーを蘇らせた4代目社長

経営面は船にたとえれば、沈みかけていたんです。注文は落ちる一方なのに、お客さんからは毎年のように値下げ要請がある。やむなくそれに応えていたら、気が付くと経営的にはもう本当に厳しくなっていた。船のなかにどんどん浸水してきて、このままでは沈んでしまう。必死で水をかき出して、経営の立て直しをしないといけないというタイミングでした



ひょんなことから商売が軌道に乗り、業績が向上。太陽光パネルのアップサイクルで万博に参加



そんなあるとき、ひょんなことから商売が広がるきっかけを得た。社長に就任したその年の年末に、東京で開かれた展示会に出展した。何かを売るわけでもなく、ただ自社が加工した製品を並べただけ。かつて技術者だった来場者に「私も昔、こんな製品を作っていた」などと声を掛けられることはあったが、商売につながる反応はなかった。ところが……。

台湾や香港、東南アジアの方々から次々と『この製品は、私の国で買えるのか』と尋ねられたんです。私は『いやいや。こんなの、あなたの国でも買えるでしょ』と答えたのですが、先方は『日本製のものが欲しい。自国の製品は信用できない』と言うんです。当時は海外販売を行っていませんでしたし、それをやる考えもありませんでした。なので、とりあえずネット販売でもやってみようかと始めたんです


沈没寸前だった創業100余年の銅線加工メーカーを蘇らせた4代目社長

すると、予想もしていなかった大きな反響があった。海外にニーズがあることを把握し、販売方法を整えていき、これを機に経営が上向いた。

東南アジア向けに銅線の輸出をスタートして、それからこの10年間、安定して注文が入るようになりました。あの展示会が会社の業績を伸ばしてくれた、一つのきっかけでしたね。東南アジアは暑いのに、まだ家庭にエアコンが普及していないんですよ。なので、これからも需要が望める。東南アジアからさらに西には、インドのマーケットがあります。そこに向かって、今後はどうしていくか。現地で生産することも、なくはないと考えています

社長就任から10年を過ぎ、海外展開という次のフェーズに社を導いた。そして新たに手掛けるのは、太陽光パネルをアップサイクル(※1)する事業。そのきっかけは、太陽光パネルが大量廃棄される問題に関心を持ったことだった。

※1  アップサイクルは、元の製品をそのまま活かすため、リサイクルのように分解や溶解によって原料に戻す工程が不要です。そのため、その際に消費されるエネルギーを削減し、地球への負荷を軽減することにつながります。

沈没寸前だった創業100余年の銅線加工メーカーを蘇らせた4代目社長

個人的に、太陽光パネルがすごく好きなんです。太陽の力で発電できるなんて、画期的な技術じゃないですか。なので、これに絡む事業をやってみたいと思っていました。ただ私たちが生産したり、メーカーとして動けることは、なかなか見当たらなくて。そうしているうちに2020年くらいから、太陽光パネルの大量廃棄問題が浮上してきました。そこに絡める仕事がないかなと、その廃棄問題を調べ始めたんです

太陽光など再生可能エネルギーで発電した電気を一定期間、一定の固定価格で買い取ってくれるFIT(=固定価格買取制度)という制度がある。その期間は有限で、家庭用で10年、産業用は20年である。

産業用のメガソーラーなどは、FITが切れると事業として成り立たなくなる。だから制度の期間が終了するのと同時に、捨てられてしまうパネルが多いことが分かってきました。そもそも太陽光パネルは、作るのも大変なんです。資源もたくさん投入して作ったにもかかわらず、制度の終了とともに捨てられる。それは、もったいないなと思いました。それに鉛はんだ(※2)が使われていたり、廃棄する際には厄介な産業廃棄物になるんです。だったら、捨てられる可能性があるものを減らす取り組みをしようと。ただ単にA発電所をB発電所にするというリユースではなく、違う形に太陽光パネルをアップサイクルして、転用していこうと考えるようになりました

※2  鉛はんだは、主にスズ(Sn)と鉛(Pb)の合金でできたはんだです。かつては電子機器の組み立てで広く使われていました。鉛は人体や環境に有害な物質であるため、その使用は国際的に規制されるようになりました。特に、2006年にEU(欧州連合)で施行されたRoHS指令により、電気・電子機器における鉛の使用が原則として禁止されました。これにより、鉛を含まない鉛フリーはんだが主流となっています。


昭和製線が手掛ける太陽光パネルのアップサイクルは、どのような形の物になるのか。

たとえばメガソーラーから出てきたパネルを、ホワイトボードみたいな形に加工する。普段はホワイトボードとして使って、いざという際は発電機になる。あるいはテーブルだったり、最近は卓球台も作りましたね。今後もそういうアイテムを作って、いろんな形に太陽光パネルを転用していくことを考えています

その中のひとつが、大阪・関西万博の会場内に置かれている「そらいす」と名付けられた屋根付きのベンチ。その屋根には、アップサイクルされた太陽光パネルが設置されている。充電スポットとして、熱中症対策のスポットとして機能し、CO2の排出量削減にも貢献する。

沈没寸前だった創業100余年の銅線加工メーカーを蘇らせた4代目社長

大阪・関西万博が今年に開催されることはあらかじめ分かっていましたので、そこでちょっと実験的な取り組みをしたいなと思っていました。太陽光パネルのアップサイクルはまだ事業化や、こういったモデルでやるといった目処が立っているわけではありません。今回の万博は半年間の展示会だと思っていまして、実際にいろいろと引き合いをいただいています。万博会場内に設置後もSNSなどを通じて様々なご意見を頂いており、9時開場前の早朝に工事を行うなど改良を続けています。半年間の万博が終わった後に、その間に得たデータをどう次に生かすかも今考えているところです。いずれは弊社の事業になるように、育てていきたいですね


従業員たちに求めるものは「人間力」。それを礎に、4代目は社をさらに前に進める



現在の従業員数は20名。年齢は20代から70代までと幅広く、外国人実習生も迎え入れている。これからの社の歩みを共にする彼ら・彼女たちに求めるのは、何事も自分ごととして取り組むこと。

他人事だと、言われたことをやるだけになってしまいます。そうなるとどうしても、それをこなすスピードだとか、正確さだけで勝負するようになる。そうではなく『今やっていることが、お客さんにとって本当に良いことなのか』『お客さんの目線になったら、もっとこうした方がいいんじゃないか』などと、自分ごととして考える。そうすると、結果は明らかに違ってきます。だからこそ、みんなには自分で考えて、先に進んでいくマインドを持ってほしいんです


沈没寸前だった創業100余年の銅線加工メーカーを蘇らせた4代目社長

その考えもあって昭和製線では、人間力を大事にしている。昭和製線が定義する人間力とは「相手を思いやる言動を通じて、周囲に好影響を与える力」である。人間力を高めるための良い「考え方」を持ち、「言動」「習慣」に結びつけることを求めている。

人間力を高める上で我々がやっていることは、声かけなんです。私は、環境が人を育てていくと思っています。1日のなかで仕事をしている時間って、長いですよね。そのなかで前向きな言葉かけであったり、時間を前向きなことを考えるのに使うのが大事。そうして人間力を高めるために会社ができるのは、環境を整えることくらいしかないんです。だからこそ環境を整えて、物事を考えていくための情報が会社のなかで手に入れられるようにする。そうすることは私の責務だと捉えて、これからも取り組んでいきます


沈没寸前だった創業100余年の銅線加工メーカーを蘇らせた4代目社長

沈没寸前だった船は4代目の手によって傾きを修正し、販路を海外に広げるなど立ち直った。今後は新規事業にも着手するなど、廣瀬氏が昭和製線の舵をいかに切るかに注目したい。

昭和製線株式会社
本社:大阪府富田林市若松町東 3-2-33
オフィシャルサイト:https://www.showa-seisen.co.jp/