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<青くて赤い、半年の青春時代> 万博グッズプロデュース企業、社運を賭けた覚悟の挑戦!
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<青くて赤い、半年の青春時代> 万博グッズプロデュース企業、社運を賭けた覚悟の挑戦!

2026.03.04
株式会社ヘソプロダクション

株式会社ヘソプロダクション / 代表取締役・経営表現者 稲本ミノル 氏



2014年創業の株式会社ヘソプロダクションは、文具・雑貨を軸に商品プロデュースを手がけてきた大阪発の企画会社だ。
オリジナルブランド「へそ文-HESOBUN-」を軸に老舗メーカーとのコラボレーション企画を展開するほか、鉄道や駅ナカを舞台にした商品開発など、生活シーンや地域に根ざしたものづくりで実績を積み重ねてきた。

そうした取り組みの先にあったのが、2025年大阪・関西万博での公式グッズ企画。
500アイテムを超える前例のない規模のプロジェクトは、同社にとってひとつの大きな転機となった。

「経営は9割がアート」と語る代表の 稲本ミノル氏は、万博を経て何を感じ、いま何を想うのか。未来の大阪を見据えながら語られた言葉から、変化の時代を生き抜くヒントを探る。

★『オオサカジン』で以前公開した記事もあわせてご覧ください。
「オオサカ、イロイロ、働きかた」 https://worksmart.osakazine.net/e704533.html


<青くて赤い、半年の青春時代> 万博グッズプロデュース企業、社運を賭けた覚悟の挑戦!


集大成にしようと決めた仕事が、「万博」だった



「青くて赤い、青春でしたね」

大阪・関西万博の半年間を、稲本ミノル氏はそう振り返る。その言葉どおり、この半年間は、これまでとは明らかに質の異なる時間だったという。

株式会社ヘソプロダクションの社員はわずか13名。しかし彼らは、オフィシャルグッズ500アイテム以上という前例のない規模の企画と物流を回し切り、結果として売上を22億円から4倍へと大きく伸ばした。

<青くて赤い、半年の青春時代> 万博グッズプロデュース企業、社運を賭けた覚悟の挑戦!

万博グッズの企画が本格的に動き出したのは、2023年に入ってからのことだ。

当初、社内にも世間にも、万博を強く意識する空気はまだなかった。そんな中で稲本氏はこの仕事を「引き受けるべき」だと判断していた。

社員のみんなは興味なかったですよ。「万博ってどうなん?」みたいな感じで。でも僕の中では、2025年は集大成にしようって決めてたんです。


ヘソプロダクションを10年続けてきて、自分がどこまでできるのか、一度、総括したかった。しかも大阪で万博が開催されるなんて、稲本氏の人生でもう一回あるかどうか分からない。

生まれ育った大阪で、ものづくりで関われる機会、それが万博なんだから、これはやらなあかんやろ、と走り始めて。企画も打ち合わせも、当時はほぼ一人でやっていましたね。


公式キャラクターのミャクミャクを初めて目にしたときも、稲本氏の視点はぶれていなかった。

正直、第一印象は「面倒くさいモノが来たな」でした(笑)。グッズ展開する側からしたら、目も多いし、形も複雑やし、これを立体にするのは相当厄介そうだと思いましたね。


当時、世間のミャクミャク評価は戸惑いの声も多かったが、逆に手応えを感じていたという。

「これは売れる」と思ったんです。否定されるものほど、後から愛着が湧く。2000年代のキャラクターでも、そういうケースを何回も見てきました。ミャクミャクも、絶対いけるって。


一方で、社員たちにとって万博は、まだどこか遠い仕事だった。本当の意味での“しんどさ”は、万博が始まってからではなく、始まる前にあったと稲本氏は振り返る。

そして、開幕。

万博会場内のオフィシャルストアに立ち、来場者の様子を見続けた稲本氏。週に2回ほど売り場に足を運び、お客様がミャクミャクグッズを手に取る印象や立ち止まる時間を、観察していたという。

やがて、売り場の空気は少しずつ変わっていった。

現場にいると、分かるんですよ。空気で感じるというか。それは、ずっとやってきたから分かることですね。

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眠れなかった一ヶ月、開幕前に込めたすべての覚悟


万博の華やかな開幕とは対照的に、稲本氏の記憶に強く残っているのは、開幕前の一ヶ月だ。

開幕に合わせて製造したさまざまな万博グッズは、数億円規模の段ボールの山が次々と契約倉庫に入っていく。本来なら、少しずつ空気が温まり、売れ始めるはずだった。

しかし、報道やSNSではパビリオンの建設遅れやネガティブな論調が目立ち、「本当に万博は始まるのか」という不安まで漂っていた。

じわじわ来ると思っていたのに、3月経っても売り場が全然動き(=売れ)ませんでした。これ、もし外したら会社が飛ぶぞ、と。


夜中に何度も目が覚めたという稲本氏。寝汗をかきながら、頭に浮かぶのは、積み上がった商品の段ボールと数字のことだった。眠れないまま朝を迎える日が続いた。

恐怖は、在庫だけではなかった。自分の判断ではどうにもならないリスクも、常に頭をよぎっていたのだ。

当時、自然災害のことをよく考えていました。南海トラフ地震(※)だけはほんまに来んといてくれって。台風が来たら物流も止まるし、人も来られない。もう祈るしかない状況ですよ。

(※)南海トラフ地震:駿河湾から日向灘沖にかけてのプレート境界(南海トラフ)を震源域として、概ね100年から150年の間隔で発生している大地震。 今後30年以内の発生確率は70%〜80%とされている。

経営者でいる以上、努力では防げないものも背負わなければならない。その事実を、あの一ヶ月ほど強く意識したことはなかったという。
だが、社内で弱音を吐くことはなかった。

社員たちには「4月13日(万博開幕日)で潮目が変わるから準備しとけ、人生で一番忙しくなるぞ」と言い続けていましたね。それは、自分に言い聞かせているところもあったけれど。


実際にゴールデンウィークを過ぎたあたりから、売り場の空気が少しずつ変わり始めた。数字や在庫とは別の変化が見えてくる。

立ち止まる人が増え、商品を見る時間が長くなった。すぐには買わないが、もう一度棚を見返す人もいた。買う理由を探している、という空気が売り場に漂い始めたのだ。
稲本氏は、普段からこのような消費者の状態をよく見ていて、<乾く>と表現する。

“乾いている”かどうかは、現場に行けば分かるんです。見てたら、「欲しがっているな」という瞬間がある。

その後、万博には人が集まり始めた。夏の間も来場者数は伸び続け、10月の閉幕に向かうにつれて、会場はさらに賑わっていった。

万博が楽しかったから、思い出としてグッズを持ち帰る……そうした動きが広がり、売り場も連日活発に動き続けたのだ。

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経営はロジックではなく“ アート ”。結果の先にある風景を、先に決める


「結果が見えてから考える」「成功してから考える」というやり方もあると思うんです。でも僕の場合、それだと間に合わないことの方が多くて。
だから先に、「こうなってるはず」という未来を置くんですよ。計画というのは未来を当てにいくためのものだと思われがちですけど、僕にとっては「ここまで行くんだ」と自分を縛るために置くもの、という感覚に近いですね。


開幕するずっと前、万博の行方がまだ定まらない時期に、稲本氏が同時に考えていたのは、売り場の先にある未来のことだった。

働く場所をどうするか。組織をどんな状態で次のフェーズ(局面)に渡すか。そして、誰にどのような経験を残すか。
万博の仕事を進めながら、稲本氏はそのすべてを、同時に考えていた。

目の前で万博という大きな仕事が動いている一方で、それ以前から自社ビルの建設を決めており、若手人材を前に出し、次の世代に経験を渡していく準備を始めたのだ。

そりゃ、リスクですよ。万博がどうなるかも分からない時期に、自社ビルを建てると決めたわけですから。でも、リスクは誰かが取らなければ進まないでしょう。社員に頑張れと言うのなら、社長が一番でかいところを背負わなあかんと思っています。


だが、稲本氏が本当に見据えていたのは、建物そのものではない。その場所が、どんな時間を積み重ねてきたのか。そして、ここで働く人間が、どんな時間を過ごしていくのか。

自社ビルを建てた土地は、かつて町工場だった。
体力や体調の問題から、事業を畳むことを考えていた高齢の経営者がいたという。

町工場を取り壊してマンションにする、という選択肢もあったと思います。でも、その方が望んでいたのは「この辺で商売してる人で、ちゃんと地域のことを考えてる人に譲りたい」と。話を聞いて、この場所を引き継ぎたいな、と思ったんです。


稲本氏にとってその土地は、事業のための場所であると同時に、次の世代に手渡していく時間の土台でもあった。
だからこそ万博の仕事も、若手に任せていった。失敗するかもしれない。それでも、経験として渡す価値があると考えたのだ。

一回、ちゃんとした成功体験をさせたかったんです。あの規模の仕事を「自分たちの手で成し遂げた」という感覚は、あとから必ず効いてくるから。


こうした判断は、その場しのぎの選択ではない。稲本氏の中では、すべてが同じ感覚の上でつながっている。だからこそ彼は、自身の経営を「表現」に近いものだと語る。

「経営は9割アート」だと思っています。ロジックも大事だけど、それだけでは人は動かない。「この絵、なんかええな」そう思ってもらえるかどうかが大切だと思います。
ガチガチに決めたら、しんどいでしょう。気持ちも、時代も変わる。ふわっとしている方が、人に寄り添える時もあるんです。


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ヘソプロダクション第二章へ!変化の真ん中に立ち続けるために


万博が一段落した11月。稲本氏は、意識的に少しだけペースを落としたという。長い時間張りつめてきたものが、そこで一度ほどけたのだ。

ビルのお披露目が終わったあと、一瞬だけ、力が抜けた感覚がありました。万博の半年と、その前の10年分。
「一区切りついたな」と実感しましたね。

夜、新しいビルのバルコニーで一人、焚き火をしながら酒を飲んだ。
誰かと話すわけでもなく、何かを整理するわけでもない。ただ、一人で過ごす時間を持った。


稲本氏自身も意外だったという出来事がある。

万博が終わる少し前、夕方に万博近くの湾外沿いを車で運転していた時に、急に涙が出たんです。
万博会場の向こうの夕日を見ながら、しんどかった時期の自分の顔とか、一緒に走ってきた人たちの顔が浮かんできて、、、。


半年間を共にしたチームとの時間が終わりに近づいていることを、実感した瞬間だった。

「ああ、この人たちとも一旦はここで別れるんやな」と思った。その時、たまたま車のスピーカーから尾崎紀世彦の唄『また会う日まで』♬が流れてきたんです。

そんなエピソードを語る稲本氏の言葉から、半年間の濃度が伝わってくる。


万博が終わり、周囲からは次の展開を聞かれることも増えた。だが、稲本氏は急いで答えを出そうとはしていない。

今は、空っぽになるのを待ってる感覚ですね。無理に次を決めるより、自分自身の<乾き>に気づいて、本当にやりたいことが自然に出てくるのを待ちたい。


心が動いたタイミングで動くというスタンスは、創業当初から変わっていないのだ。
とはいえ、視線はすでに先を向く。いま見据えているのは、2030年頃の大阪だ。

次はIR(統合型リゾート)ですよね。新大阪や関空の動線も含めて大阪はもう一段階、大きく変わると思っています。街がエンタメ(娯楽)でどう変わるのかは、資料を読むより、現地を見たほうが早いと思って。「その空気を知っておけ」という意味で、社員をラスベガスに行かせました。


変化の兆しに触れさせることは、次のフェーズに向けて欠かせない準備だと考えているのだ。

ヘソプロダクションという名前は、「物事の中心にいたい」という意味でつけました。前に出たい・主役になりたいのではなく、人や街にさまざまな動きが生まれるときに、真ん中あたりにいてる会社でいたいな、と。


<青くて赤い、半年の青春時代> 万博グッズプロデュース企業、社運を賭けた覚悟の挑戦!

大阪に拠点を置き、街の変化を間近で見てきたからこそ、稲本氏は「動きが交わる場所にいる」ことを大切にしてきた。

大阪が変わるなら、自分たちも一緒に変わっていけばいい。その中で、必要とされる場所にい続けたい。



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株式会社ヘソプロダクション
本社:大阪市福島区海老江1‐4ー3 ヘソホールディングスビル
オフィシャルサイト:https://www.heso-pro.com/