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「目の前の人を助ける」 時代が変わっても揺るがない福祉の原点。 堺を愛する<あすなろ会>
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「目の前の人を助ける」 時代が変わっても揺るがない福祉の原点。 堺を愛する<あすなろ会>

2026.06.09
社会福祉法人 あすなろ会

社会福祉法人 あすなろ会 / 理事長 上野充司 氏



堺市西区で40年にわたり、子ども・障がい者・高齢者福祉の領域で地域の暮らしを支えてきた社会福祉法人あすなろ会。
保育園の立ち上げから始まり、地域の変化に合わせて事業を広げてきた。

現在、その中心に立つのが二代目理事長の上野充司氏だ。
創業者の背中を見て育ち、民間企業での経験を経て地元に戻った上野氏は、変化の大きい福祉の現場にどのように向き合ってきたのか。

「制度がどうという前に、まず“人”なんですよね。」

そう語る言葉の奥には、地域とともに歩んできた時間と、揺るぎない価値観がある。
今回はその半生をたどりながら、あすなろ会が目指すこれからの福祉について話を聞いた。

「目の前の人を助ける」 時代が変わっても揺るがない福祉の原点。 堺を愛する<あすなろ会>


地域とともに積み重ねた40年。始まりは一つの保育園から


あすなろ会を立ち上げたのは、現理事長 上野充司氏の両親だ。
当時、 「子どもを預けられる場所がない」という声が地域で日常的に聞かれていた。その状況に対し、国の保育園の制度に則り開設、その後、堺市で初めての障害者入所施設を立ち上げた。

立ち上げ当時、上野氏はよく保育所に連れて行かれ、園で子どもたちと遊んだり、日曜の廊下のワックス掛けに同行したりしていた。
そうした光景からも、両親が地域の声に応えようと懸命に動いていたことがうかがえる。

夕方まで保育園におって、帰ったらおばあちゃんが面倒を見てくれて。家族みんなで保育園をつくってる感じでしたね。


こうして育った子どもたちが大人になり、今では自分の子どもを預けに来てくれるようになったという。

上野家はもともと地域との結びつきが強い家でもある。
父は自治会の役職を務め、だんじりの買い替え時に寄付をするなど、地域の暮らしを支える場面に長く関わってきた家柄だった。
そんな環境で育った上野氏にとって、「地域に根ざす」という姿勢は特別なものではなかったのだろう。

障がい者施設、特別養護老人ホーム、地域包括支援センター。事業が多角化していくにつれ、地域の暮らしのあらゆる場面にあすなろ会の支援が届くようになった。しかし根底に流れる精神は、創業当時から変わらない。

制度よりも、まず地域の“困っている声”を最初に拾う。その文化がずっと続いていると思いますし、続けなあかんと思っています。


人の暮らしの変化に寄り添って歩んできた40年。あすなろ会の歴史は、この土地の家族や生活とともに育ってきた時間そのものだ。

「目の前の人を助ける」 時代が変わっても揺るがない福祉の原点。 堺を愛する<あすなろ会>

外での挑戦を経て気づいた、地元に根を下ろすという道


大学卒業後、上野氏はすぐに家業に入らず、住友金属鉱山株式会社に就職した。愛媛の工場で購買を担当し、地域の中小企業の社長たちと直接向き合う日々。現場で学ぶ機会に恵まれたという。

担当する商社の社長さんが自ら来てくれて、「会社とはどんなものか」をよく話してくれたんです。住友の歴史や、地域で商売を続ける覚悟、事業を「譲る側の姿勢」のようなことまで教わりました。
新人の自分を一人前として扱い、経営の哲学まで語ってくれる人が多く、本当に勉強になりましたね。


また、東京本社では数字を扱う交渉や事業の仕組みづくりに携わり、仕事の手応えを感じていた。

それでも、心のどこかには「いつかは地元に戻るのだろう」という感覚があったという上野氏。幼いころから、父が地域の活動に深く関わり、家業が地域の福祉を支えてきた姿を見て育ってきたからだ。

その“いつか”は思いがけず早く訪れる。
父が現場に関われない事情が生まれ、事務を担っていた妹だけでは法人運営が難しい状況になった。兄は医学部受験の最中で、家業に携わるのに現実的ではなかった。

「戻ってきてくれへんか」と言われて、最初は悩みました。でも、うちの事業は地域の福祉そのものなんです。いずれ自分が関わる可能性はあると思ってましたし、何よりもこの地域で育ててもらったという気持ちが強かった。だから最終的には「戻ろう」と思えたんです。


自分が生まれ育った地域に役割を持って帰ってきた、そんな感覚だったという。

「目の前の人を助ける」 時代が変わっても揺るがない福祉の原点。 堺を愛する<あすなろ会>

制度と現場のあいだで揺れた組織を、“価値観づくり”から立て直す


家業に戻った上野氏がまず感じたのは、「制度が先に走りすぎて、現場が疲弊している」ということだった。

中間管理職は真面目で責任感が強いからこそ、できていない部分に目が行きやすい。制度に沿うことも大切だが、それだけでは職員の持ち味や、利用者との関わりの良さが十分に見えてこない。

上野氏は、これまでさまざまな現場や人と関わってきた経験から、「仕組みがあるだけでは組織は動かない」という実感を持っていた。とくに福祉の仕事では、人の背景や思いを汲む姿勢そのものが支援の一部になる。

100点を目指す組織は、みんながしんどくなります。人はそれぞれ違うし、弱いところもある。そこを支え合うのが本来の職場やと思うんです。


働くうえで、何よりも人への思いやりを大切にしている上野氏が始めたのは、制度の再設計よりも日々の価値観を整えることだった。

管理職と対話を重ね、「点数を見る」から「人としてどう関わるかを考えること」へ軸を移す。
若手からベテランまで声を聞き、働きづらさの背景を一つずつ確かめていった。

価値観づくりの根底には、上野氏自身が前職で得た学びがある。その一つが、ある外部研修で聞いた話だ。

あの日本航空墜落事故(※)で亡くなられた乗客の持ち物の一つに、ディズニーランドのお土産が写った写真があったそうです。
「そのお土産袋を手にして帰るはずだった。楽しみにしていた時間がそこにあった。お客様にとって、その日の体験は一度きりかもしれない。」そういう話でした。
その写真がディズニーの社員食堂に掲示されていたと聞きました。

福祉も同じで、利用者さんにとって今日の支援は今日しかない。明日があると思った瞬間に、手を抜いてしまう。そうならないように、と強く思わされました。

(※)日本航空墜落事故:1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便が群馬県御巣鷹の尾根ヘ墜落した航空事故。死者520名。単独機の事故として世界史上最悪の航空事故

こうした考えを日常の業務の中で繰り返し共有してきた上野氏。
職員同士が声を掛け合い、利用者とも穏やかに向き合おうとする姿勢が、職場の雰囲気として広がってきているという。

「目の前の人を助ける」 時代が変わっても揺るがない福祉の原点。 堺を愛する<あすなろ会>

変わりゆく時代の中で、「目の前の人を助ける」原点を守り続けたい


人口減少が進み、家族のあり方も変わる中で、福祉ニーズは複雑さを増す。制度が整っても、その枠に収まりきらない人は必ず出てくる。地域の福祉法人が向き合うのは、まさにその「制度の外側」に残る困りごとだ。

上野氏はいま、「地域で支え合う文化が弱くなってきている」と感じている。

昔は、困っている人がいたら誰かがさっと手を差し伸べ、助けていましたよね。制度がどうとか関係なく、「しゃあないな、やっといたるわ」みたいな文化があった。でも今は、ルールを先に考えてしまう。制度化されていないことはしたらあかん、といった空気が強くなってしまっている気がします。


地域に助けられ、地域で育ち、今度は地域へ返していく。
その循環が弱まりつつあるいま、あすなろ会は「困ったらあそこに相談しに行こう」と思ってもらえる場所であり続けたいという。

また上野氏は、堺市議会議員としての顔も持つ。

「目の前の人を助ける」 時代が変わっても揺るがない福祉の原点。 堺を愛する<あすなろ会>

議員活動を始めたのは、現場で感じてきた「制度の届かなさ」を行政側につなぐためだった。

まずは地元の人間として役に立ちたい、その延長に議員の仕事があります。制度をどれだけ整えても、人はそんなに割り切れません。生きている以上、誰だって揺れる時がある。その揺れを受け止められるのが福祉の価値やと思っています。
きれいごとやないんです。
目の前で困っている人がいたら助ける……こうした当たり前のことができなくなったら、福祉は終わりです。



40年にわたり地域と歩んできた歴史は、地域の人たちとの関係があったからこそ築けたものだ。
上野氏が大切にする「目の前の人を助ける」という姿勢は、これからの時代にこそ存在感を増していくだろう。

「目の前の人を助ける」 時代が変わっても揺るがない福祉の原点。 堺を愛する<あすなろ会>




社会福祉法人あすなろ会
本社:大阪府堺市西区草部341番地
オフィシャルサイト:https://sakaifukuizumi.com/