常磐精工株式会社 / 代表取締役 喜井 翔太郎 氏
商店街やショッピングモールを歩いていると、必ず目にするのが看板である。そのなかでも折畳みが可能で、開いた際の形を横から見るとアルファベットのAの文字に似ていることから、A型と呼ばれる看板がある。大阪府堺市にある常磐精工株式会社は、ディスプレイ什器の製造販売を行う企業だ。なかでもA型看板は、生産台数が国内最多なのである。
1964(昭和39)年に事業を開始。現在は創業者の孫にあたる喜井翔太郎氏が、代表取締役を務めている。喜井氏は大学を卒業後、ものづくりメーカーに勤めたのち、二代目である父親に請われて家業に入り、2024年に三代目の代表取締役に就任した。

祖父のころはいわば下請けの仕事が主だったので、なかなか業績が上がらなかったそうです。跡を継いだ二代目の父はそこから脱却するために、メーカーになることを選択しました。1900年代の末ごろですね。当時ブームだったアウトドア用品から始まり、お客様のニーズに応えるうちに看板業界に参入することになったと聞いています。今もそうですが、私たちは工事や施工を伴うものではなく、自立型の看板に特化していることが特徴ですね
この記事を読まれている方のなかで自分で商売をされているか、その経験がない限り、看板を買ったことがある人はほとんどいないだろう。
看板を買う人生を歩んでいる人は、日本人のなかでそんなにいないと思うんです。しかし逆に、お店をやっていたりして看板を買う人生を歩んでいる人は、看板を買い続けるんですよ。看板を買う人生を歩んでいる人たちにとってのファースト看板を、どれだけ常磐精工のものにしていくかが大事です。ニッチトップ(※1)を狙っている感じですね
※1 ニッチトップとは、特定の専門分野や小さな市場(ニッチ市場)で、高いシェアを占めている企業のことです。
市場に安価な海外製品が数多あることも事実だが、自社商品の品質とサービスには確かな自信がある。
安い海外製品もありますが、私たちの商品とは耐久性が違います。私たちはパーツの供給も行っていますし、画一的ではなく、個別の要望にお応えすることもできます。品質とサービスの点で、それらとの差別化はできていると思っています
古参社員が次々と離れたのを機に、若い従業員にやりがいを提示する
そんな喜井氏が父親から家業に戻るように要請を受けたのは、就職して2年目、携わっていた仕事の面白さがわかり始めたころだっただけに、迷いがなかったわけではない。父から求められたのは、生産管理の仕事を担うことだった。
大学を卒業後一度就職はしましたが長男なので、どこかの時期で私がやらないと会社を畳むしかないのだろうなとは思っていました。当時の常磐精工社は紙とExcelのような形で生産管理をしていて、社内に生産管理システムを導入したいと。父はアナログの人なのでそういったことは苦手だから、戻ってきてくれないかということでした。私は大学時代に少しプログラミングをかじって、前職でも生産管理をマクロを用いた管理を行う立場にいました。とはいっても、多少の知識がある程度でしたけどね
入社して生産管理システムを導入し始めたころ、思わぬ事態が起こった。社内の変化に対応できなくなった古参の社員が、次々と退職してしまったのだ。人材の入れ替わりが激しかった当時は苦労したが、結果的には若返りにもつながった。
そのころにちょうど、工場設備の入れ替えを行ったのです。それまでは職人の経験に委ねていた作業も、新しい機械であれば極端に言うと今日入った人でもできる。弊社にとっては、改革の時期だったと思います。といっても私ひとりでやったのではなく、父もまだ現役でしたし、父の右腕的存在の方、母とで進めていった感じですね

コロナ禍の混乱を乗り越え、二代目はリタイアした。切削加工の下請けだった会社を看板メーカーへと転身させ、災害時などには従来型の看板が救護用の担架になる商品を開発するなど、二代目は行動力と発想力に富んだ人物であった。跡目を継いだ三代目は、社をどのように発展させていくと考えているのか。
昨年代表になったばかりなので、これからどうしていくかは考えている最中なのです。でも、ひとつ。今まで私や一部の人間でやっていた商品開発を、今後は従業員の皆さんからアイデアを募れるようにしていきたいと思っています
現在の常磐精工社は、従業員の平均年齢が30歳ほどと若い組織だ。それゆえ入社から数年すると、新しいことに挑戦したくなるのだという。そんな従業員の成長への希求を、受け入れるための取り組みである。

若くて新しいことに挑戦したいと思う従業員の方々を、大企業並みの給与や福利厚生で引き止めるのは無理な話です。そのためものづくりの楽しさや、やりがいを糧にしてもらう機会を提供したいと考えています。自分が考えたものが形になって世に出ていくのは、非常にやりがいがあると思うのです。従業員の方々の発想から生まれた商品をどんどん世に出せるような仕組みを作り、モチベーションが高い人材や能動的な人材が集まってきて、長く働き続けてもらえるような組織にしていきたいですね
三代目社長は、地域との関係を深め製造業としての技術成長を追う
自身の代になって新たに取り組むのは、オープンファクトリーとして自社工場を近隣住民に開放し、そこでワークショップ体験をしてもらうことである。今はこれに、力を注いでいる。

近隣の方々にとって、弊社がここで看板の仕事をしていようが関係のないことです。そういうふうに、地域と切り離れた関係でいたくないのです。定期的に近隣のお子さんたちがここに来て、ものづくりの体験ができる。それによって将来、理系を目指して工学部を受験するかもしれない。就職活動をする際に、小さいころに製造業に関わった経験があることで、弊社ではなくても製造業が就職先の選択肢になってくれれば幸いだと考えております。この地で製造業を営んでいる私たちの存在価値を、地域の方々に認めていただくこと。それを、大事にしています
社が掲げるスローガンは、“MAKE THE BEST~常に「今」、最高だと誇れるものを~”だ。この言葉に込めた思いを語る。
私たちは1964年の創業からずっとものづくりをしていますが、ベアリング、アウトドア用品、看板と、時代ごとに製造するものは変わってきています。そのなかでも一貫して大事にしてきたのは、常に今できる最高のものを作るということです。手を抜かないのはもちろんですが、常に最高をブラッシュアップし続ける姿勢を持ち続ける。20年前にできなかったことが今はできるようになっていますし、20年後にはもっと新しいことができるようになっていると思います。常に自分たちを高め、できることをどんどん増やしていく。そういう意味合いを込めたスローガンです

喜井氏が言うように、常磐精工社の主力商品は時代ごとに変遷を重ねてきた。確かなものづくりの技術と、時代のニーズの変化に柔軟に対応する力があったからこそ、それが可能だったのだ。メーカーとしてのプライドを込めた“MAKE THE BEST”のスローガンのもと、三代目が社をどう飛躍させるかに注目したい。
