畑ダイカスト工業株式会社 / 代表取締役 畑 浩基 氏
実家から支援を受けながらニューヨークへ語学留学した後、帰国して埼玉県にあるマシンメーカーで勤務。父親から呼び戻されて家業に入ったものの、そこは叩きあげの技(わざ)で勝負する職人の世界だった。
ベテラン職人との軋轢に悩みながら、技術と人間力で勝負する組織へと変革を遂げた畑ダイカスト工業株式会社 代表取締役 畑 浩基 氏の経営哲学を聞く。

幼少期からなんとなく意識していた「家業の跡継ぎ」
父親が興した会社の仕事を母親も手伝っていた姿が、幼い頃の記憶にあるという畑氏。そんな姿を「かっこいい」と思っていたそうだ。
父がなぜダイカスト(※1)屋になったか。大阪で最初に勤めた先がダイカスト屋だったからという、それだけの理由みたいです。独立後はオイルショックの中、下請けでコツコツ頑張りながら工場を1棟ずつ拡げていったようです。
(※1)ダイカスト:溶かしたアルミニウム・亜鉛・マグネシウムなどの非鉄金属合金を、精密な金型に高速・高圧で注入して製品を成形する鋳造技術
畑氏が幼少期の記憶にある父の姿は、きっとその当時のものだろう。やがて近畿大学へ進んだ畑氏は高校時代から始めたアメリカンフットボールに情熱を傾けた。ろくに就職活動をしなかったため、卒業間際になって進路を見失いそうになった。そんなとき、父親の一言で、本当に渡米して語学学校へ通うことになった。
ニューヨークという場所柄、日本から渡った人たちはミュージカルスターになりたいとか、歌手の人やピアニストが多かったです。韓国人だと財閥とか金持ちの息子、中国や台湾からも金持ちが多いとか、いろいろなタイプの人がいて、それぞれ自分の中に明確な目的意識をもっているわけです。朝から昼まで学校の授業に出て、昼から夜まで働いて、空いた時間にピアノとかミュージカルのレッスンを受けていました。ところが私だけ、実家から支援を受けて、言葉は悪いですが「行っただけ」なんですよね。本気度でいうと、周りの人達はレベルが全然違いました。
ニューヨーク暮らしが1年に及び、周りは皆、夢の実現に向かって努力を重ねている人ばかり。そんな姿を見て、畑氏の胸にある想いが湧いてくる。
アメリカでの生活は、ずっと親の世話になっているんですけど、このまま世話になり続けて学校へ行って、バイトをしながら毎日遊ぶような生活して、本当に大丈夫なのかと思い始めたのです。それと、周りは目標や目的があって何かを掴もうと思っている人たちですから、その意識とのギャップも大きかった。

帰国後に立ちはだかった古参職人の高い壁
自分には何もない。そんな焦燥感に駆られた畑氏は、そのとき初めて実家へ戻って父と一緒に仕事をしたいと思った。だが一方で、まだアメリカにいたい想いもあり、アメリカにあるダイカスト工場で働こうと考える。
実家と取引のある会社の伝手(つて)でダイカストメーカーから紹介してもらったり、自分で就職先を探したりしたのですが、私自身が本気じゃなかったんでしょうね。帰るところがあるから、覚悟が足りない。腹をくくっていないわけです。
それを見透かされたのかどうかは分からないというが、表向きはビザの関係で難しいとの理由で雇ってもらうことは叶わなかった。
アメリカに居続ける意味を失った畑氏は帰国。すぐ家業に入ることはせず、父親の勧めで埼玉県にあるマシンメーカーに就職した。その会社で機械のことを中心に学んだ。
マシンメーカーに勤めて1年が経ったとき、畑氏は父親から「大阪へ戻ってほしい」と頼まれた。
現場から叩き上げで会社のナンバー2だった職人と意見の相違があり、職人が退職した。それを電話で知らされ、大阪へ戻ることになったという。
そう言われても、急には無理です。勤め先とは「3年間は勤める」という約束があって、父もそれを承知していました。それを1年で「父に頼まれたから大阪へ戻ります」「はい、そうですか」という話にはなりません。ですから、父が埼玉まで来て、やむにやまれぬ事情を説明したうえで、退職を認めてもらったのです。。
いよいよ家業へ入ることになった畑氏だが、あらためて実家の工場を見て、スピード感の違いに圧倒された。埼玉のメーカーはじっくりと時間をかけて開発し、丁寧にものづくりをする職場だった。一方で実家の工場は、それが当時は普通とはいえアメリカと埼玉で見てきた世界とはまるで異なり、機械が常にフル稼働している大量生産の現場だったのだ。そんな現実を目の当たりにして、あらためて「この世界に自分が入って行って、うまく嵌まるだろうか。大丈夫か……」という、漠然とした不安にも似た感情が湧いたという。

しかも、まだ古い体質が残る時代から叩きあげて腕一本で生きてきた古参職人からの、畑氏への風当たりもきつかったという。
職人さんたちからすれば、オムツをしている頃から知っている社長の倅(せがれ)です。年齢も、親子ほど離れています。自分で決意して会社に戻っているので、はっきりと意見を言ったりしていた。生意気だと思われたはずですよ。
もともと職人らは仕事を教えてくれない。父親も「手取り足取り教えるタイプではない」という。
職人さんから見た当時の私は、頭の中に知識はあっても、手を動かしてモノづくりができる技術はない。例えば、車の運転方法を教科書で覚えても、実際に運転できるわけじゃありません。実際に機械を操作して自分で作ってみろと言われたら非常に難しいです。
畑氏は、配達を手伝いながら、受注が次第に減っていくのを感じていた。安い製品、安い人件費を求めて、製品の発注先を中国へシフトする流れが強くなっていたのだ。
このままではいけないという危機感があって、営業に出始めたのです。当時はインターネットがない時代です。代わりに、ダイカスト業界に特化した電話帳みたいな冊子がありました。そこから亜鉛ダイカストを扱っている企業をピックアップして、電話をかけて「会ってください」とお願いするわけです。
畑氏に営業の経験はない。さらに、自分の会社に自信もなかった。しかも、営業先を訪ねたとき応対に出てくるのは、資材購買一筋何十年という、業界の生き字引のような人ばかりだった。
初めての営業ですし、どう話していいのかも分かりませんから「安くします」「納期を守ります」としか言えないわけです。相手からすれば安く買えたらいいので、たまに「じゃあ、やってみるか。値段はこれやで」と言ってくれるところもありました。そうしたら、納期を守るため必死になります。自分が取ってきた仕事ですから責任があるし、品質も保持しないといけない。当然に、職人さんたちに当たりがきつくなります。そうなると、やはり、自分の気持ちが空回りし始めるのです。
畑氏は初めのうちは「仕事が取れている」ことを、営業の成果だと思っていたという。ところが実際は違っていた。
うちの技術を買ってくれていたわけでも、信用してくれていたわけでもありませんでした。うちより安い工場を見つけたら、簡単にそっちへ行ってしまう。相手からは「安いからいいや」としか思われていないから意思の疎通はなく、信用も築けませんから、長いお付き合いにはなりませんでした。
営業回りをしている中で、大きな仕事を取れそうな企業から「ISO9000」(※2)の取得を条件に出されたことがある。
「ISO9000」:国際標準化機構(ISO)組織が定めた製品やサービスの品質を継続的に向上させるための「品質マネジメントシステム」に関する国際規格の総称。顧客満足の最大化を目的とし、業務プロセスの標準化や責任の明確化を規定している
早急に「ISO9000」を取りなさいと言われて、じゃあ取りますと言ったけれども、私自身が「ISO9000」を理解していなかった。コンサルタントを頼んで、言われるまま書類を作ろうとするのですが、職人さんにも手を煩わせて書いてもらわないといけないことがあります。根っからの職人さんの中には、そういった書類仕事がすこぶる苦手な人もいて「なんで書かなあかんねん」と反発されるわけです。

「いい人」こそが「いい製品」を作る。ワンマン体制を捨てて見つけた経営者の自覚
職人たちの反発に遭いながらも、畑氏には一縷の望みがあった。「ISO9000」獲得のために、現場の仕事を文書化すれば、ノウハウをマニュアル化ができる。それが実現できれば、新人教育や事業継承にも活用できるのだ。
そうやって職人さんたちに無理を言いながら、ISOを取得しました。その頃には父に代わって私が事実上会社の実権を握っていましたから、それが気に入らない古参の職人さんたちは次第に辞めていきました。それでも人手が要るので募集をかけるのですが、私のワンマンプレイに「ついて行けません」といって辞めていく。また募集をかけるけれど、また辞めていく。その原因を探ろうとせず「だったら自分が24時間働いてやる」という気概を持っていました。実際、父ががむしゃらに働いている姿を見てきましたから。
当時はまだ、会社を組織化する発想がなかった畑氏。冷静に考える時間もなかったという。だが、そのままで良いとも思っておらず、自ら学ぶ場を求めていった。
いろいろな会社を見学させてもらって、社長さんともお話をさせていただきました。とくに大阪には、自分の失敗談を話してくださる経営者の方がたくさんおられます。今は立派な会社を構えておられるけど、過去には数々の失敗を重ねて今があるんだなと、安心したり希望をもったりしました。本当に、経営者として役に立つ気づきと学びを得ましたね。
「やはり人が大事」と再認識した畑氏は、社員から「一緒に頑張りましょう」と言ってもらえる会社を目指そうと決意する。
そのことに気づいたのは、つい最近ですよ。以前は、安い仕事しか取ってないのに「俺はデキる営業マンや」と自負していた時期もありました。でも、それじゃダメなんです。社員に「行け行け」と尻を叩くばかりじゃなしに、人を大事にしようと思ったのです。
その頃から、やっと社長としての自覚も出てきたように思います。
とりわけ畑氏が大事にしていることが「人間性」だという。何百個という小さな製品を検査する際、検査に携わる人の人間性が現れる。だから人間性を疎かにしては、良い製品を提供することはできない。会社の理念にある「いい人、いい製品を作る」という一文も、そんな畑氏の心情が込められている。
うちでは1日の終わりに、終礼をしています。そこでは社員どうし褒めたりお礼を言い合ったりすることにしています。「今日は〇〇さんに助けてもらってありがとうございました」という感じでね。そうすると、いい気分になって帰れるし、あくる日もいい気分で出社できます。お互いに良いところを見つけようとするから、社内の人間関係も良くなりました。
最後に、かつての畑氏と同じような立場にいて、今まさに組織運営で悩みを抱えている人へのメッセージをお願いした。
ただ、諦めないこと。何かしら解決策はあります。諦めなかったら、なんとかなります。私も、そうしてきました。今は苦しくても、大丈夫。なんとかなります。だから諦めないでください。
かつてはワンマン経営で、古参の職人のみならず、新規採用してもすぐに辞めていく状況が続いたが、人を大事にする経営にシフトしてからは定着率も良くなったという。
平均年齢30代という若い活力にあふれ、ダイカスト業界の未来を担う会社だ。
